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イケメンゴリラ


「いたた……ぎゃー!」

 転んだ真子が、傍らに高く積んであった本の山に頭を突っ込ませて雪崩が起きる。

 あたふたして動けない俺をそっと退けて、半兵衛が救出に向かった。埋もれかけた真子のまわりの本をどけて、手際よく積み直していく。

「怪我はありませんか?」

「痛いけど大丈夫です、すみません……」


「文、そっちも崩れそうなので押さえてくれますか」

「え、どっち? これぎゃっ」

 案の定、文も転んだ。

「やだなんか柔らかいもの踏んだ!なに!?」

「……すいませんごりさんお願いします」

「はいよ」

 ごりもてきぱきと働き出す。

「足の踏み場がねーってこういうことを言うんだな……俺の部屋の汚さの比じゃねえ……つか物が多すぎるだろこれ、明らかに部屋のキャパ超えてるぞ」

「どこになにがあるべきかがまったくわからないですね……申し訳ないですが元の場所に戻すのは無理ですね」


「あっ……えっと、警察は呼ぶの? どうすればいい?」

 なんとか自分の携帯電話を取り出して、待ち受けの猫を見たらやっと俺の心も落ち着いてきた。


「どうでしょう……

 こちらの山は漫画の新刊がいちばん上に積んであります。

 こちらの袋の中身は賞味期限が5年前のお菓子や飲料……

 他人に荒らされたわけではないかもしれないですね。

 単にものすごく整理整頓が苦手な方なのでは……」


「私が踏んだのくまのぬいぐるみだった……焦った……」


「逆に言うと、これだけ汚いと仮になにか盗まれてたりなんかしても気付かねえってのはあるよな。

 本人が誘拐されてたりしてもさ」


「不吉なこと言わないでくださいごりさん……!」


「ともかく警察への電話はいったんやめておきましょうか。

 私は部屋を見る限りでは、もともとこうだったのではと思います」


 いろいろ物を踏んづけながらごりは奥の部屋へ進んでいく。


「おっ。ゴリラ!」


 奥の部屋は壁一面に写真が貼ってあった。


 ごりの写真がたくさん。

 ゴリラの写真もたくさん。


「おーおー。まじで俺のファンって感じだな!」


 自分の写真がこんなふうに扱われていたら、ちょっとはびびりそうなものだが、ごりは単純に感心している様子でそれを眺めている。


 ……『メモリアル』に「ごりさんいけめん」って書いてあるらしき文字、まじで謎だったんだけど……

 これを見てしまうと信じざるを得ないものがある。ゴリラ好きが高じて、ゴリラ似のごりがイケメンに見えてきたというわけだ。



「おっ! シャバーニ先輩の写真集発見!」

「先輩? 知り合いですか?」

 ごりが本棚から取り出したのは、ゴリラの写真集だ。

「シャバーニ先輩、めっさイケメンだよな!

 知らんの? 東山動物園の、イケメンゴリラって有名になったやつ。

 このとおり写真集が出るほどの人気」


「ああ、聞いたことがあるような」

「ほらほら、イケメンだろ、小栗旬に似てね?」

「えっ、でもゴリラですけど……そう言われるとイケメンだし小栗旬似に見えてきました」

 洗脳されてないか真子、大丈夫か。


「ってことはゴリラ似の俺も、つまり小栗旬似ってことに」

「ならねーよ!」


 とは突っ込んだものの、そう言われると俺もだんだん……


 イケメンゴリラが小栗旬にみえてきた……




「シラタキちゃんがどこにいるかの手がかりってありそう?」

「いや、どこからなにを探していいやら……」


「ごりさん、ちょっとこっち」

 半兵衛が手に持っていたのは双眼鏡だった。望遠鏡も窓際に置いてある。

「ここから……映研の部室が見えます。ここから観察してたみたいですね」

「うほっ! ほんとだ! てかこっから見ると学校近っ!」

 双眼鏡を受け取って目に当て、さっそく学校の方を見るごり。

「女子更衣室とか見えるんじゃね? ……あ、カーテン閉まってら」


 目的が! 違うから!


「はー、部室意外に丸見えだな、変なことしないように気を付けろよ、坂」


「俺はしねーよ! てめえが気を付けろ!」


「まあシラタキちゃんとやらはこういう俺のファンで、ここから俺を観察してたってのはひとつ謎が解けたな」

「まあ、謎ではあったな……」

「それ以上の収穫はないとも言えますが……」


 しばらく部屋の中をいろいろ探してみたが、シラタキが様々なところへ行っている痕跡は多々あったものの、「いま」どこにいるかということの、ヒントになりそうなものは結局探しきれなかった。


「しゃーない、今日は帰るか」



□ ■ □ ■ □



 シラタキの部屋を出た頃にはもう空は暗くなっていた。

「家まで送ろうか?って言ったらおうちにあげてくれる優しい女子はいない?」

「いませーん」

「下心込み込みすぎて逆に清々しいですね」

「学校まで戻って解散にするかあ」


「待って」


 街灯の少ない道で、不意に半兵衛が皆を制してすっと前に出た。

 文がびくっとして、険しい顔で眼帯を押さえる。


「どなたですか?」


「なんだ、もう見つかってしまったか」


 脇道から出てくる長身の黒い影。


「別に名乗ってもいいがね。邪雅一族の《赫月(レッドムーン)》という者だ」


「女の声だな。女か」


 半兵衛が懐から紋様の書かれた札を出し

「光、来」

 唱えるとそれは明かりとなって空に浮かんだ。

 長い赤いコートの女性を照らし出す。


「うお!メガネイケメン女子だよ坂!おまえの好みじゃねえか!」

「そんなこと言ってる場合じゃねえ!」


「ここにいるということは……まさかシラタキさんになにか?」


「シラタキ? 知らないな。私が用があるのはごりくんだよ」

 《赫月》はしかし口元に手を当てて一瞬考え込んだ。

「シラタキ……もしかしてあの女のことか。白い髪の」


「知ってるのか!?」


「はは。だったら知らなくもないね。

 じゃあ知っていたとして、ごりくんを差し出せば教えると言ったら?」


 半兵衛が走った。

「差し出すわけがないでしょう!」


「だろうね」

 《赫月》も軽くステップを踏んで飛び出す。


 上段から殴りかかる《赫月》の腕をかいくぐって、半兵衛がその脇腹に札を押し付ける。

「爆」

 だが小さな爆発が起きたとき《赫月》はもうそこにはいなかった。

半兵衛の背後に立ち、また腕を振りかぶる。

「はやい……!」

 半兵衛が近距離攻撃を仕掛けていったのは、おそらくごりたちから距離をとるためだ。攻防を繰り返しながらじわじわとこちらから離れていく。


「坂、真子と文連れて逃げろ」

「でも……!」


「俺が逃げて半兵衛と完全に離れちまったらやつは俺を追ってくる。したら勝ち目ゼロだ。でもおまえらは危ないから逃げろ」


「私は逃げないわよ」

 文は眼帯を抑えたまま、仁王立ちしている。

 こいつ……



 地面に手を付いた半兵衛、道に魔方陣が浮かび上がり、派手な火花が散る。

 だが高くジャンプして赫月はそれをかわしている。


 軽やかに宙返りして、たんと着地する。長いコートが羽のようにふわりと舞った。

「それで仕込んだつもりか?」

 コートを払い上げると、中から札が数枚落ちた。

 おそらく接近したときに半兵衛が差し込んでいたのだろう。

 その数枚の札をつまみ上げて、投げやる。

 札は《赫月》を傷付けることなく、空中で爆散した。


「魔術師がいると聞いていたが、この程度なら勝てそうだ……君たちの中で、まともに我々と戦えるのは魔術師の君とメスの方のゴリラだけ。

 ゴリラのいないいまが勝機!」


 《赫月》は一瞬で接近して半兵衛の腹をめがけて蹴り上げる。

 まともに入れば致命傷だ、まずいと思った瞬間、半兵衛の反応速度が急に増した。足をつかみ上げて、《赫月》の体を地面に叩き付ける。

 おそらく増幅の魔術だ。身体能力を一時的に向上させるやつ、以前逃げるときに足にかけてもらったことがある。

 攻撃の札に注意を払わせておいて、はじめから肉弾戦に持ち込むつもりだったのかもしれない。

 倒れた《赫月》に半兵衛は容赦なく殴りかかる。

 メガネが吹っ飛んだ。


「いける!そのままタコ殴れ!」


 だが半兵衛の動きが一瞬止まった。


 眼光。俺でもわかるほどの、おそらく「殺気」というもの。


 遠目で見ても全身に鳥肌が立つ。

 やばい。これは、やばい。なにかやばい。


 文が無言で飛び出した。

 静止する間もなかった。



 半兵衛の襟元をつかんで後方に投げ上げる。

 不自然なほどに筋肉が盛り上がり、丸太のようになった右腕を文は叩き付けた。


 ごっ、とコンクリートのはずの道が、クレーターのように大きくへこむ。


「がっ……」


 無表情のまま文は大量の返り血を浴びている。

 どくん、どくんと全身が脈動し波打っている。

 眼帯のとれた右目から、どろどろしたものがこぼれてきて、どろどろは砕けたコンクリートに当たると灼けたように煙を上げる。


 しばらく俺たちは動けなかった。


 投げ飛ばされた半兵衛が戻ってきて、そっと文を後ろから抱きしめた。

「もういいです、文」


「待ってぺんちゃん。まだこいつ死んでない」

「殺さなくて……いいです」


 半兵衛がそっと文を《赫月》から引き離す。


 《赫月》はやがて、咳き込んでどばどばと血を吐きながら体を起こした。

 腹から肋骨が数本飛び出していて、片手と片足はありえない方向に曲がっている。

「君がそんなことになっているとは……予想外だった。

 でもそのことを私に知られたのは落ち度と言っていい。

 対策を練り直して……また来るよ」


 《赫月》は身を翻して、夜の闇に消えていった。

 出血の量などから見ても、相当の深手を追ったのは間違いない。

 それでも動けるのは、邪雅一族の強化された肉体というやつだからなのだろうか。


「文……大丈夫か……?」

 ぐったりとしてしばらく半兵衛に引きずられるままだった文は、糸が切れたようにへたりこんだ。身体はほぼもとの大きさに戻ったようだ。

 そしてのたうちまわる。

「いたいいたいいたいいたいいいいあああ!」

「おいおい!」

「……大丈夫よ、体を無理な使い方したせいなだけだから」

 ばたん、と倒れて大の字に転がる。

 体の皮膚のそこここが破けていて、そこからどろどろが出ては自己修復しているようだ。

 制服もぼろぼろである。


「助けてくれたのは嬉しいですが、文。

 お願いですから、無茶をしないで。

 それと……もう少し私の強さも信じてください」


「そうだぞ、せっかくオレンジのふりふりの可愛らしい下着なんてつけてんのに台無しだ」

「おまえは黙ってろよごり!!」


「あいつ強かった!

 ぺんちゃん本気で殺そうとしてたもん!」


「ええ、お互い手加減できる相手ではなかった」


「私、わかった。

 ぺんちゃんが人殺しになるのはいやだ」


「私も嫌です、文が人殺しになるのは」


「でもねぺんちゃん、私なら大丈夫なの、

 だって殺したのは悪魔のせいだって言える。

 ぜんぶ悪魔のせいだって言えるから大丈夫なの!


 でもぺんちゃんは駄目。だって逃げられない。

 ぺんちゃんはひとりで抱え込んで自分を責め続ける。

 だから駄目。絶対に駄目」


「……そうでもないですよ、冷淡ですよ」



 諦めにも似た表情を半兵衛はしていた。

 殺そう、と明確な意思を持ってしまった時点で、おそらく殺したのと同じなのだ。

 半兵衛の真面目さは、そういう質のものなのだ。


 だが、それを言ってしまえば文だって相手を殺そうとしている。

 もういろんな人を殺そうとしている。


 覚悟の質が違うから、それは「違う」のだが、文を納得させる言葉にはできないでいる。


 そんな表情だった。


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