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その憑き夜の明けてから


 文は3日学校を休んだ。


 半兵衛は何事もなかったかのように部室に来ていて、またこんにゃく関連の本を読んでいた。


「文、大丈夫なん? 具合悪いとか? あの悪魔の……なんかのせいで、身体あんなんなったあとだから、あれがやっぱり……」


 さすがに心配なので俺は半兵衛に訊ねた。自分で先日の光景を詳細に思い出してしまうと気分が悪くなりそうなので、なんだかやたらぼやけた言い方になってしまう。

 だが予想に反して半兵衛はけろりとした顔で、


「ああ、具合は悪いみたいですよ」


「なんで若干嬉しそうな顔してんだよ……まさか、ざまあみろとか思ってるわけ?」

 そういうのではないだろうと思いつつ、俺は少し茶化した口調でたずねてみる。

 正直、いま俺は少しこいつが怖い。

 いんかの羽根を躊躇なくもぐところを見てしまってから。


「そうではないですよ、おかげさまで、文と私は以前の状態よりはいくらか健全な関係になれました」

「あ、そう。それはよかったけどさ」

 ごりのよくわからない説教が、多少は役に立ったのだろうか。

 安堵の混じった穏やかな微笑み。

 その笑みには悪意や邪悪さの一片の欠片もない。

 だからこそ、俺は怖い。のかもしれない。


「文の不調は、ただの筋肉痛ですから。

 詳しいことは本人に聞いてください」


 ふだんから少し困ったような顔をしているイメージもある半兵衛だが、文が悪魔と契約したあの日以来、いくらかすっきりしたような表情をしているような気もする。


「そうですね、私も肩の荷が少し下りた気分です」

 軽くため息をついて、肩をいたわるような仕草をする半兵衛。


「文も、本当に……文も憑き物が落ちたような顔をしていました。なんなんでしょうね、実際には憑き物を憑けた状態なわけだから、おかしな話なんですけれど」


「おまえの死角でいつも般若みたいな顔してたぞ」

「ああ、そうだったんですか。坂さんたまに文見て変な顔してるなとは思っていたのですが……私の見てないところでは心の邪気が漏れ出てたんですね。ははは」


 はははどころじゃねえ、まじ怖かったんだからな。


「許嫁に見つかって家に連れ戻されるくらいなら、学校も辞めてふたりでどこか遠くへ逃げよう、そう、文はずっと言っていました」

 思い出しているのか、少しつらそうな表情になる。


「『私はぺんちゃんさえいればなにもいらない』と……何度も、何度も言われました。逃げて、逃げて、どこまでも逃げて、見つかりそうになったらまた逃げようって。でもそんな生活、私は文にはさせたくなかった。ふつうの高校生活を送ってほしかった、ふたりで、ふつうの高校生活を過ごしたかった。ふつうの学生のできる範囲の解決策を探りたかった、それで私なりに思い付いたのは映画だった」


 だが、それは文の心の平穏にとっては逆効果だったというわけだ。


 自嘲するように首を振りながら、半兵衛は続ける。


「一度、ふたりで逃げるくらいなら私はひとりで消えると、言ってしまったんです。もちろん文をおかしなことに巻き込みたくない一心で。でも文はひどく傷付いてしまった……ふたりで逃げるか、さもなくば許嫁やうちの親を殺すとまで言い出しました。そのために本気で私の書庫を読みあさって、今回の悪魔召喚もそのときに見たようです。刺し殺す、爆破し殺す、呪い殺す、毎日人を殺す話ばかりしていました」


 ぞっとする話だが文の様子を見ていれば、本気でやりかねないと思ってしまうのは理解できる。


「よく切れる刃物を試すからって、鶏をね。合法に手に入る生き物としてそれがいいと思ったんでしょうね、丸のままに近い鶏肉から、最終的には生きたやつまで。鶏が暴れて部屋中血まみれになってたこともありました。無残な姿になった鶏を、私がなんとか鳥肉と呼べるくらいにまでは捌いて、仕方ないので毎日そればっかり食べてました」


 律儀に食べているあたり偉いというかなんというか。

 だがそこもある意味不気味ではある。俺がそんな目にあったらたぶん発狂しているし、そんな肉正直食いたくないし、そういう意味で、こいつにはなにか人間として大事なものが欠けているんじゃないのかとさえ、思ってしまう。


 それを「人形のような」とたとえたならば、きっと半兵衛は「家のためだけに生きることを強制されてきたんです、人形のようなものです」と自嘲して笑うだろう。

 だがそれもなんとなくしっくりとはこない。家庭環境は間違いなく原因のひとつではあろうが……


 淡々と半兵衛は文との間に起きたことを語っていく。


「人殺し関係の本を読んで、刑務所の中なら隠れる場所として安全だから、うちの家の人間を殺さないまでも、適当に何十人か殺して、いっしょに無期懲役で刑務所の中で一生を添い遂げよう、みたいな話も……うちの人間は手練なので殺すのは難しいと判断してからは、ずいぶんしていました。殺すなら老人なんじゃないかとか、施設の場所を調べたりとか」


 文は文で発想がめちゃめちゃに犯罪者的だ……頭が痛くなってきた。


「最終的には、とにかくこんな学校になんて居れないようにすればいいんだ!と、校長を殺す算段を立ててましたよ……派生して、学校内で何人か殺されれば学校閉鎖になるはずだ!大人より子供の方が殺しやすい!って、生徒を無差別に殺す計画になっていました」


 それを毎日止めようとしていたというわけか、ここしばらくの相当に消耗した様子はそれが原因だったのか……


「文に他人を傷付けるようなことをしてほしくないと、私はなんとかなだめていたつもりだったんですが……そんな態度だったからこそ、心理的に文は追い詰められてしまっていたのかもしれません。


 それに、文が他人を傷つけることばかり気にしていたからこそ、あの儀式に手を出すのは盲点になっていた……視野が狭かったです。彼女はおそらく、他人を傷つけること以上に、自分を傷つけることに抵抗がない。彼女のことを理解できていなかった私のせい、私の責任です。これからも、私がなるべく気をつけていなければ」


 文の気持ちに応えた、というよりは保護者として認識を改めた、というような気もしないではないが。

 大変なことになってしまったのはそうなんだが、以前よりはいい。

 きっといい。

 まあ雨降って地固まるってとこかね。




 なお、いんかはどきんの知り合いの医者に預けられることになるそうだ。

 付き添いのためにどきんも学校を休んでいる。

 あんな話を聞かされてしまうとそちらも心配ではあったが、邪雅一族の方の問題では、俺になにかできることがあるわけでもない。




 そして。土日挟んで週明けの放課後、やっと部室に姿を現した文も、なんとなしに上機嫌なふうだった。

「おひさしぶりで。えっと……なんか醜態を見せちゃって、悪かったわね」


 今日は部長会議とやらで、ごりと半兵衛は終わってからでないと部室には来ない。半兵衛は天文部の部長が病欠で代理だそうだ。


「醜態っつうか……醜態だったなあ、ふつうじゃない意味で」

「なんせどろどろだったからね、醜いを通り越して醜かったでしょうね」

「で、身体の方は大丈夫なのか?」

「それがさあ、いや死ぬかと思ったわ」

「まじで?」

「ためしに悪魔の力、使ってみたのよ。筋力とか強くなったんだろうと思って。ちょっと走ってみたり、クッションとか殴ってみただけなんだけど……そしたら、身体がぜんぜんついていかなくて、ひどい筋肉痛になったわ。死ぬかと思った。トイレに行けないくらい動けなくなった」


 そういうことか……筋肉痛とは……


「ぺんちゃんが言うには、魔力的なパワーで身体を動かす、という種類のものであって、身体自体をつくり替えているわけでないって話で。

 うーん、なんかよくわかんないけど。

 1回、こんな力を問題なく振るえる肉体にすることはできる?って聞いてみたら、めきめきって全身が変形して、ものすごいマッチョにさせられたわ。さすがにこれはありえないと思ってすぐ元に戻してもらったけど」


 マッチョの文……たしかに見たくはないな……


「あとは、痛いのが嫌なら痛覚を遮断するのならできるって言われたから、やってみたんだけど、感覚ないとどのぐらいの力が入ってるのかまったくわかんなくて、自分の力で10回くらい自分の腕とか足とか折っちゃったわ。折れたとこからどろどろがどろどろどろってして、すぐくっつくんだけど。でも1回、中指折れて落としたままなの気付かなくて、踏んづけて思いっきり転んじゃって。あーこれも、ないわーって」


「うん、ないね」


 あのどろどろはいまだに思い出すだけで、心臓がなんかやばい方に震えるのを感じる。怖い。恐ろしい。


「結局身体ができてないと、こういう力はいまのままじゃうまくふるえないってこと。しょーがないから、地道に筋トレやるわよ。何もないところで転ばなくなるためにもね」


 うむ。なかなかいい心がけじゃないか。


「そういや、その眼帯はなんだ? 中二病か?」


 文は左目に眼帯をしている。


「そうと言われればそうなのかもね」

 なんかにやーと笑って、眼帯を片手でつまんで、聞いてくる。

「見る?見る?」

「え、なに?」


「どーん」

 眼帯を外すと、左目は金色に輝いていた。

 そして、右目とは別に、まるで意思を持っているかのようにぎょろぎょろと動く。


「うわ、きも。やばい。なにそれやばい」

「でしょ?でしょ?めっちゃきもい」


 きもいきもい、と自分で言いながら嬉しそうにはしゃいでいるようにも見える。


「全身の半分を同化してるんだけど、なんか認識するのが不便だから、左目が一応こいつの居場所ってことに決めたの。儀式中に落ちちゃった目だから、なんか悪魔の濃度が濃くて、頭に近い場所の方が話すのに便利とか、なんかそんなんでここにいるわけよ。血液とかに話しかけるイメージなんてできなかったから」

「へ、へえ……こ、こんにちは」

 ぎょろ、と目玉は俺の方を向く。頷くように上下に瞳孔が振れる。

 怖い怖い。


「名前付けたから呼んであげて。それ、とか呼ぶと不機嫌になるわよ。

 好きな名前で呼べっていうから、『アンドロメダ』って付けた。本物の名前以外に呼び名を付けるのが慣習なんだとかなんとかって」

「うわ、中二的ネーミングセンス……?」


「うん、まるで、鎖みたいだと思ったから」


 静かに呟くように文が言う。応えて、なのか、どろどろっと眼窩から溢れてこぼれてくる。俺はそれを見て吐き気をぶり返しそうになる。



「あとどろどろして泥みたいな目玉だから」



 俺は一瞬きょとんとした。吐き気が飛んだ。

 中二と言うよりはおやじギャグだった。


「え?え?おまえそんなこと言うやつだったっけ」

「そこはー! 文ちゃんかあーわいいーって言うとこでしょ!? 男はみんなそう、何言っても可愛い可愛いって言う馬鹿ばっか」


「いやいやいやその目玉見ちゃうともうぜんっぜん可愛くないから」

「やっぱり?でしょ?私もそう思う」

 なぜかやたらと嬉しそうに笑う。


「それでなんでそんな嬉しそうなわけ?」

「んー。その可愛い可愛いふみちゃんじゃ、なくなったからかな」


「可愛いの嫌だったの? ぜいたくだな」

「可愛いの自体というより、可愛い自分?自分が嫌い」


「たとえばさ、この目あんたに見せながら、私がいま裸になったとしても、あんたは私に対してもう欲情しないんだと思う。さっきからずっと怯えてるでしょ、私が怖いでしょ」


 全裸になったら正直わからない……いややっぱりその通りのような気もする。腹の奥の恐怖感がずっと消えていない。


「可愛い女子ってのは、いまあんたが感じてるような逆らえない怖さを、自分より力の強い男に対してずっと、ずーっと抱いてきたわけ。そんな世界もまるごといやだった。でも私の一部がこんなに気持ち悪くなったことで、私はそのクソみたいな世界からは少しはみ出ることができたんだって思うとね。もうすごく嬉しい。

 年頃の男で私を性的に見ないやつが増えた、嬉しい」


「さ、アンドロメダちゃんいったん仕舞われてね」

 目玉を摘んで押し込むと、まわりのどろどろも中に入っていった。そして眼帯を元に戻し、

「なーんかすっきりしたー」

 大きく。伸びをひとつ。


 そして、思い出したように、


「ごりってけっこういいやつよね」


 ぽつりと。


「まあごりらだから好きにはならないけど」



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