猫好きに捧げる芸術論
放課後の美術室。むせかえるような油の匂いの中で、エプロン姿の先輩は、イーゼルの前に立って筆を運んでいる。私は机の前に座り、猫の写真とにらめっこしながら、必死で粘土をこねくりまわす。決して上出来とはいえない塑像を、じっと正面から見据えていると、頭上から、からかうような声が降ってきた。
「それ、狸?」
先程までイーゼルの前にいたはずの彼が、いつの間にか背後に立っていた。あまりの言いように、私は憮然として唇を尖らせる。
「一応、猫のつもりなんだけど」
「これのどこが猫なんだ? 太りすぎじゃないか」
「あんたなんか、猫の神様に呪われるといいんだわ」
私の言ったことが分からなかったのか、彼はしばらく考え込むようにしていたが、ふと思い立ったように、美術室の奥の書棚から大判の本を取り出して、私の横に広げた。
「君が猫と言い張るならば、それは猫なんだろうね。まあ、猫っぽくない猫を作った芸術家もいるから」
彼が示してみせたのは、やたらやせ細った猫の彫像だった。まるで何日も食べ物にありつけなかったようにがりがりで、糸でできた人形みたいな猫。
「それ、誰の作品?」
「アルベルト・ジャコメッティ」
聞いたことのある名前だった。かなりうろ覚えだが、確かシュールレアリスムの彫刻家ではなかったか。
「前衛芸術なんてくそくらえよ」
「どうしてそう思うんだい?」
「絵が上手いのにわざわざ下手に描くなんて、才能の無駄遣いじゃない?」
有名なパブロ・ピカソのことを考える。青の時代と呼ばれた頃と、それ以降との作品の落差を。キュービズムに凝っていた頃なんか、タイトルを見なければ何を描いているのかさっぱり理解不能な作品ばかりだ。上手く描きたくても描けない人間がきっと山ほどいるだろうに。そう僻むのは凡人の嫉妬だろうか。
彼は窓のほうへと歩いていき、どこか遠くを見つめるようにして言った。
「そいつは違うな。たぶん上手い人間ほど、表現しようとしたものと、実際に表現したものとの差に立ち竦むんだ」
「どういう意味?」
「分からないか? 君は絵はあまり描かないけど、文章は書くんだろう?」
心の隙間にそっと割り込んでくるような言葉。私は粘土をこねる手を止めて、彼の横顔を見た。
途端、天からの啓示のように、ふと脳裏に閃くものがあった。私は何となく彼の言わんとすることを理解したような気がした。自然の中に立って、物事をよく見ようと観察するときに、私は時折、奇妙な錯誤を覚えることがあった。意識を超えた存在を不条理なまでに認識するその刹那。時計の針が落ちるその一瞬に、彼方から不意に現れ出る生の躍動。それを書き止めようとするたびに、いつもどこからか何かが零れ落ちるのだ。絶えず流れる水をとどめることができないように。
「僕はジャコメッティが好きだよ」
どうして、と聞くと、彼は窓の外を眺めたまま、静かにこう口にした。
「だって彼。火事になったときに、レンブラントの絵と一匹の猫のどちらかを選ばなくちゃならないとしたら、猫にするって言ったんだ。芸術よりも猫の生命をとるってね」
そこで振り向いて、彼は晴れやかに笑った。
「それは本当に、素敵なことだとは思わないか?」
作者は美術に関しては全く詳しくないことをここでお詫びしておきます。ジャンルは文学になっていますが、文学に関しても(以下同文)。
以下は作者の独断と偏見により、猫名言ランキング一位に君臨する某彫刻家の言葉。
"Dans un incendie, entre un Rembrandt et un chat, je sauverais le chat."
(火事のときに、レンブラントか猫か、って言われたら、僕は猫を助けるね)