sixty and five
どこをつつけば「もっと生産性のあるやり方」みたいなセリフが出るのか。牧師のくせに『放蕩息子』だとか『良きサマリヤ人』だとかの訓話を知らないらしい。井澤にしても、日ごろ「アガぺの愛」なんて口にしているけれど、その手の愛は何のことはない、「アッカンベーの愛」だ。
とまあ、今のマヨは鬱憤晴らしが主目的なのであろうけれど、スマホを取り出して、この件について掲示板に書き込んでみる。するとどうだ、早速コメントがついて、曰く、「その牧師はクリスチャンではありませんね。羊の皮をまとった狼です。聖書の教えからかけ離れています」と断罪する人がいる。「ホームレスの友であろうとして頑張っているあなたの知人こそ本当のクリスチャンです。素晴らしいです」とヤスダ君の活動を激賞。いっぽうでは、「うーん。牧師さんが言っている事もごもっとも」と、次のコメント者が現れる。
でも、自分はあの牧師先生が嫌いなのは確かだけれど、あながち自分が偏っているとばかりは言えないのだ。アガぺの楽園で働いている職員、一人として牧師先生のことを良く言う者がいないのは、どうしたことか。誰もが、社長であるはずの牧師先生を馬鹿にしている、「何が礼拝式よ。馬鹿じゃないの、あの牧師」など言い言い。ごますりの井澤の他は、みな礼拝式を迷惑に思っている。たださえ忙しいのに、礼拝式なんかやられてみろ。日曜が来るたんび会場のセッティング、余計な業務が増えるではないか。ボケ老人を集めてする説教だってそらぞらしさの極致。「『神は愛です』だと?あの牧師にとって『金が愛です』だろう」と嘲笑されている。




