249/続く物語
穿たれた人形の体を丁寧に湯で拭いて、肌着を替えて、簡素な衣服を纏い直すと、アスミは縁側から空瀬神社の敷地内へと降りた。
石の道を御神木の所まで歩いて行く。
子供の頃に、ジョーとこの巨木に登ろうとして、父に怒られたこともあった。イメージとして思い浮かんだことを、無邪気に何でもやってしまおうとでもいうような。我ながら、若かった。
もうすぐ、朝日が昇る気配がする。周囲の空気がシンと夏の季節にそぐわないように冷たく引き締まって、場所が神社だからということもあるのだろうか。何だか霊性が降りてきている。そんな時間。息づかいが聴こえてきたので振り返ると、かくして少年――宮澤ジョーがアスミの元へとやってきた。
「アスミ、ゴメンなさい!」
ジョーはいきなり、石道に頭を打ちつけんとする勢いで頭を垂れて、謝罪した。
「ええと。何だっけ?」
「ほら。アスミ、たぶん身体のことずっと気にしてたのに。俺、軽い気持ちで『気にしない』なんて言っちゃって」
「ああ。うん。あの時は私も、何だか余裕がなくて」
カっと感情が高ぶったのは事実だ。だが今は、だいぶ気持ちが落ち着いている。たぶん、この人形の体を作った母へのわだかまりが、父の話で解けたからだ。
「許してくれるか?」
「うん。許す。私も怒っちゃってゴメン」
律儀な奴だなと思う。街が、世界がどうこうというこの状況で、私の心のことなどまだ考えていて、と。でもそれを言うなら、出会った頃から幼ないなりに、妙な所で誠実な男ではあった。
「ジョー君が私に関して、何かを『選択』した夜だったと、父さんから聞いてるわ」
「そうか。小父さんとスヴャトも面識があったんだった。だったら話が早い――結論から言おう!」
ジョーのまなざしが強い確信に満ちていたので、ギュンっと見つめられてちょっとたじろいだ。少しの間会わないだけだったのに、表情、所作、諸々が大人びた気もする。
「俺の『構築物の歴史図書館』の能力で、アスミの誕生日――八月二十日にアスミの『たましい』を十三体目の義体に『再臨』させる。その上で、ヴォストーク1号の能力を使った『作戦』で真実大王を邀撃する」
「ええと? どういうこと?」
この時点でのアスミでは、ジョーが言い出したことをすぐには理解できなかった。
「『構築物の歴史図書館』の能力? ヴォストーク1号? 作戦?」
「ちょっと急がなきゃな部分もあってさ。俺そろそろ出発しなくちゃいけなくて、詳しくは後でリンクドゥで全部話すけど……」
「待って! 待って! 『作戦』? 大丈夫なの? やっぱり、私が『マグマ』を使った方が……」
どんどん話を進めるジョーに対して、重要な部分は指摘しておかなくてはと慌てて言葉を紡ぐが。
「フッフ。自爆して倒そうとか、まったく、俺もアスミも十五年程度しか生きてない人間が考える限界だったぜ」
ここにきて、ジョーは少々不遜ともいえる表情を見せる。
「俺、けっこう色んなものを、特には六十一年分の、一人の男の人生を見てきたんだが。俺たちが気づいていなかっただけで、俺たちのことを愛してくれていた人がいて、今でも助けてくれようって街が、歴史が、風景が、けっこうある、らしいぜ?」
長年この少年のことを見てきたが、こんなにも「勢い」に満ちているのは珍しいことだった。いつも茫洋として掴みどころがない男だったのに、今日は何だか物語の主人公でもあるかのごとき展開力じゃないか。
「それ、私も心当たりがあるわ」
神社の鳥居の所に、新たなる人影が現れる。この鈴を振るような声も、知り過ぎるほど知っている。
「志麻?」
一旦大天寺山の自宅に戻ると言っていた志麻も戻って来たのだ。
「たとえば、ぬらりと登場、百色ちゃん! とかね」
「あんた、何言ってるの?」
志麻は志麻で、何か先ほどまでとは違った印象を受ける。一つ彼女の中に残っていた澱みを、解消してきたとでもいうような。
「志麻、ちょうど良かった。アリカ小母さんに、繋いでくれ」
「宮澤君。確信してるのね。いいわ」
アスミは驚いた。急に母の名前が出たのにも驚いたが、ジョーの言葉を受けて志麻がスマートフォンの操作を始めると、志麻は僅かな動作でとあるリンクドゥのアカウントを画面に表示させたのだ。
志麻がスマートフォンをジョーに預けると、ジョーはおもむろに通話ボタンを押した。ここは二〇一三年。気持ちさえ確かなら、地球の半周向こうにいる相手にも、SNSですぐに連絡が取れる時代なのだ。アカウント名には「空瀬アリカ」と、アスミの母の名前が記されていた。
「もしもし。あ、アリカ小母さんですか? お久しぶりです。ジョーです」
「はい」
あれほど渇望した母の声が、気楽な感じでスマートフォンの向こう側から聴こえてきた。
「アスミの十三体目の義体は、そこにあるんですよね?」
「……あります」
ジョーの口ぶりは陽気にして、余裕を残し、かつ真剣でもあった。ジョーはたとえばそう、「家族」というものを信じている様子で。
「そこはスロヴェニアですね?」
「スロヴェニアの、ブレッド湖の近くです」
「じゃ、今から取りに行きます」
「分かりました」
ジョーは最低限の会話を終えると、リンクドゥの通話を切った。
「ゴメンな。ギリのギリまで、アスミとの『関係性』を対価にスロヴェニアのオントロジカを十三体目の義体に宿したいと思うから。『再臨』が終わってから、ゆっくり電話で話してくれ。アリカ小母さんにこの方法を教えたの、俺の祖父ちゃんなんだ」
ジョーはスマートフォンを志麻に返すと、改めてアスミを向き直って。
「ってわけで、俺、今からスロヴェニアに行ってアスミの十三体目の義体をゲットしてくるから。今が十六日未明で、アスミの誕生日の二十日まで、ギリギリくらいか? あれ、スロヴェニアって『S市』の空港から直通便あるのかな?」
その点に関しては、志麻がちょっと得意気に。
「今だと、韓国経由でドイツへ。そこからスロヴェニアのリュブリャナ空港へという形になるわ。航空券とか、全部手配しておいたから」
「さすが、心配性で先へ先へと準備することが得意な志麻さん!」
「『さん』付け!? 宮澤君……もっと普通に褒めてくれていいのよ?」
志麻は夏の軽やかな装いをよそに、中々に大きなキャリーバッグを引いていた。
「志麻も、行くの!?」
「ちょっとね。私もお題目はアスミのために、でもほとんどは自分のために、アスミのお母さんと会わないといけないの」
「じゃ。俺と志麻が手に入れた情報は旅路の途中で全部リンクドゥで送るから、アスミは『作戦』をブラッシュアップしててくれ。そういうの考えるのは、アスミの方が得意だからな」
ごく自然に流れるように、ジョーはアスミに右手を差し出した。
しかし、目まぐるしく新しい情報が行きかい、事態がどんどんと進み、ちょっと思考が追いついていなかったのもある。ジョーの意図を捉え損ねたアスミは、改めて見ると、豆が何度もつぶれて固まっている、鍛え抜いた手なんだなぁなんてことをボンヤリと考えた。
そんなちょっとした「間」に割り込んでくるように、今度はアスミのスマートフォンが電話の着信で振動し始めた。
(見覚えがない番号だけど?)
訝しげに思いながらも、このタイミングである。何かあるのだろうと通話ボタンをタップすると、またまた電話の向こうから懐かしい声が聴こえてきた。
「アスミさん! 今、山口県から広島県に入ったところですっ」
「ムッちゃん!? 生きてたの!?」
ジョーを見やる。この一晩で、不思議なことが沢山あったらしい。
真実大王の能力で存在を破壊されたんじゃなかったの?
なんで山口県?
アスミとしては感じる疑問に関して、何か知っているなら話してと視線でジョーに促したのだが。
「や。俺の中の『紅い線』は消えたままだ。なんか、俺とは関係ない別系統の力で復活して、現界してるんだと思う」
ジョーもあんまり心当たりはない様子で。
またまたどういうことだと思考を巡らせるアスミだったが、電話の向こうの陸奥は明朗で、何やらテンションも高い。
「アスミさん、ホンダのNSXって知ってますか? その、『すーぱーかー』だそうです。今、それの助手席です。隣のオジサンが、もう、飛ばすんです。疾いですっ」
「隣のオジサンって誰?」
「デカパンのオジサンです。警備員の方なのですが。元レーサーだそうで。あ、そう言えばお名前を、まだ聞いてませんでしたっ。事情を話したら、送ってくれるって」
デカパンのおじさん?
何か壮大な話と、そうでもない話が混じってる気がする。
「良かった! じゃあ、陸奥も戦力に追加で。やってきたら、一緒に『作戦』考えててくれ。あいつは考えるのとか、あんまり得意じゃなさそうだけど」
ジョーは差し出していた手を引っ込めて、体を返した。
アスミはここでようやくジョーが、アスミに握手を求めていたのだと気がついた。
カップルの成立を娯楽化した昔のテレビ番組を動画サイトで観たことがあった。男が右手を差し出して、女はどうするのか、みたいな場面があったのを覚えている。
何となくタイミングが合わなかっただけなんだけど、これだと何だか私が「ごめんなさい」しちゃったみたいじゃないか。
(別に手くらい、握ってくれて良かったのに)
いよいよ、本当にスロヴェニアに向かって足を踏み出さんとする間際、ジョーが語りかけてきたのは、こんな話だ。
「アスミ、観光だ」
「ええと。何?」
「アスミ、言っちゃ悪いけど地縛霊みたいなものじゃないか」
「そう、そうね。面と向かって言われると、ええ? って思うけど。そんな感じの存在なのは否めないわ」
「全てが終わったら、けっこう色んな存在が『S市』に観光に来るから。これはもう、この地に縁あるアスミが色々お迎えすると、みんな喜ぶと思うんだよ」
「どういう話なの? 本当」
「つまり、必要なのは……」
「うん」
「民泊だ!」
「ええ? どういうこと!?」
あろうことか、ジョーはカラっと笑ってみせると、その会話の内容については特に何の説明も残さずに駆けはじめた。その後を、志麻もキャリーバッグを引きながら足早に付いてゆく。
珍しく勢いがある感じでやってきたので、ジョーが立ち去ってしまうと、ことの他、自分の家――空瀬神社の静けさが気になった。
そんな頃に訪れた、胸のくすぐったさ。意味がよく分からない。そもそもこの身は人形で、胸には穴が空いているはずなのに。
ちょうど朝日が昇ってきて、世界を照らし始めたものだから、自分という存在に宿った温かさが陽光の熱によるものなのか、己の内側からくるものなのか、判別がつかなくなる。でも、どこか心とは別のところ。体の記憶で知っていること、忘れていなかったことがある。振り落とされそうな時に掴んでくれていた手と。動けない夜に支えてくれていた背中と。微睡の中で貸してくれていた肩と。そう。この温かさを、ずっと知っていた。
まだ、とまどいが半分。でも、触れて貰えなかったのが、何だか寂しい。自分の心臓の鼓動が、何だか優しい。
自分の本当の気持ちに気づき始めたのは、女の方が少し後だった。
かくしてこの国の終戦の日の夜は明けて、世界の命運を決するアスミの誕生日まで、あと四日。
新たなる幕が上がり。物語は、続く。
この日地平線から昇る太陽の光は、輝いて、美しかった。
/第十一話「君の名前は」・後編・了
第十二話へ続く




