172/聖女
ジョーは街の片隅の教会のような建物を訪れて門の前で逡巡していると、やがてこの場所の関係者なのだろう。世間的には夏のクールビズが語られて久しい昨今、長袖の品が良いスーツを着た男の人に声をかけられたので、目的を告げたら建物の中まで案内された。
この建物を拠点に活動している集団は「祝韻旋律」という。ジョーも以前から名前は知っていて、何らかの宗教的な活動をしている人々と認識していたが、それはどうやら日常の側面らしい。非日常の側面として、オントロジカにまつわる事件に関して「中立」の立場の人達だというのは、最近アスミらに聞いて得た知見であった。
中世の教会を連想する建物の中に通されると、礼拝堂のような場所を抜け、少し通路を歩いた奥の部屋に案内された。
部屋の中は窓が開いていて弱く風が吹きこんでいる。優しい風に乗せて、懐かしい音が流れている。これは、AMラジオの音源だ。音源も最近のデバイスで聴くのが日常だったジョーとしては、震災の頃に聞いていたメディアという印象が強い。
部屋は学校の大教室ほどに広く、中には書籍・CD・DVDといった嗜好品から、鍋や皿などといった台所用品、そして様々な衣類が丁寧に並べられていた。さながら、小さなバザー会場のよう。
その中心に、女は調度品のような大きなソファの上に寝そべっていた。純白のサマードレスに、胸元に緑色がベースのシンボリックな刺繍をつけている。微風で漆黒の髪がサラサラと流れている。翡翠の瞳の中に理知の光が宿っている。女はジョーに気づくと、身体を起こして軽く手で髪を梳いた。
案内してくれた男の人が彼女をジョーに紹介してくれる。
「中谷理華様だ」
祝韻旋律の代表者、聖女・中谷理華。ジョーの住む街近辺を中心に活動している集団で、震災以降良い意味での噂話も多い。ジョーもその名前は知っていた。
「ごきげんよう、宮澤ジョー君」
「俺を、知ってるんですか?」
ピンポイントに名前を呼ばれてジョーは驚いた。ジョーは別に、この街の有名人でも何でもないぞ、と。
「え。あれ? アスミさんの紹介で来たんじゃないのかい?」
「いや、ネットで見たら色々と物と物とを交換してくれる場所だって書いてあったので」
祝韻旋律という集団の大事な考え方は、お金を媒介としないモノとモノとの交換である。古い自転車をあげる代わりにお米を貰うとか。家事・介護を一日手伝う代わりに三食の食事を頂くとか。そうやって交換でうまく回って行く世の中を目指している集団らしい。
アスミの名前を出すあたり、理華はアスミからジョーの事を聞いていたのだろうと思い至る。
「なるほど、表向きの用件だと。何と何を交換したいんだい?」
「持ってきたのは古いアニメのDVD‐BOXで、探しているのはアスミの誕生日プレゼントです」
「あ、そのアニメ、面白いよね」
「父のものですが、今度Blu‐ray Boxが出るんで、DVDの方はオークションとかに出していいって言うんで」
食いつくのはそこかと思いつつ、解説を加える。聖女というからには、もうちょっと厳粛な人をイメージしていたが、ジョーに向ける態度はくだけた感じである。アニメとか、観るんだ。
「ただ、そうだね」
聖女・中谷理華はDVD‐BOXのパッケージを指でなぞりながら、こう続けた。
「アスミさんの誕生日プレゼントの方は、ここでは見つからないかもね」




