14/闘い
「『世界勝者連盟』が三位、真実牛人インヘルベリア!」
牛人と化したインヘルベリア先生の再びの叫びと共に、波動が場を駆け抜ける。やがて、インヘルベリア先生。否、インヘルベリア牛人は、進藤真由美の胴体を無造作に掴んだまま、進行を開始する。進む先にいるのは、アスミだ! 捕食、という言葉がジョーの脳裏を過る。
人間の移動とは異なる、猛牛の疾駆のごとき力強さで牛人は一気に間合いを詰めると、鋭い爪を備えた片腕を振りかぶり、アスミを薙ぎ払いにかかった。胴が折れ、爪が内臓に突き刺さり、そして存在を蹂躙される。そんなイメージがジョーの脳裏を駆け巡った瞬間である。
牛人の剛腕は、空を切っていた。
時間が止まったかのように、少女の肢体が宙を舞っている。牛人の一撃を、華麗なバク宙でかわしたアスミが、静かな靴音で着地する。
今度は、アスミの管楽器の声が響いた。
「『八百万のロックンロール』」
先ほど牛人から感じられた波動が、今度はアスミからも発せられる。ただ、先ほどのとは違い、今度のはどこか優しくて、そして不思議なことに色がついていることがジョーには分かった。紅蓮の赤色である。
アスミは慣れた仕草でシュっとマッチを擦ると、三本の火種を宙に放った。火は燃えあがるとくるくるとアスミの回りを旋回し始める。昔怪談で伝え聞いた人魂のように。
「強大な存在変動律。何故、こんな東の果ての島国に?」
牛人は驚き、しばし次の動作に躊躇する。
「さーて」
アスミは二本の指を伸ばした手刀を作ると、ゆっくりと天にかざした。マッチから放たれた火球を、アスミがコントロールしているのがジョーには分かった。
「いい加減、進藤さんを放しなさい!」
アスミが手刀を振り下ろすと、三つの火球が、それぞれ独特の軌道を取りながら牛人に向かっていく。そのスピードは、優れた野球投手の投球ほどに速い。
「ぐぬぁっ」
苛烈な閃光と、炸裂音。アスミが放った火球を左腕で受けた牛人は、全身を激痛が迸ったようだった。そこに隙ができた。
いつの間にか牛人の下方にまで間合いを詰めていたアスミは、片足を無造作に牛人の胴にあてると、スっと、奴が右腕に抱えていた進藤真由美を抜き去った。
そのまま、後方に跳躍し、弱き者を抱きかかえた騎士のように、気が行き届いた動作で進藤真由美を廊下に寝かせる。一瞬、安堵の表情がアスミに浮かぶ。
「アア! アア! 火の本質能力! 忌々しいこと。肉体を駆使しない存在変動者は、いつだって小賢しい!」
火傷を負った牛人はひとしきり喚き散らすと、唾をまき散らしながら口を大きく開いた。人の歯とは異なる、鋭利な牙が備わっている。
アスミは立ち上がると、さらに複数のマッチを擦りながら、廊下の奥の方へと駆けていく。動作を大きくして自身の存在を牛人に印象づけているのは、相手の注意を進藤真由美から逸らそうとしているからなのがジョーには分かった。だがそれでは、危険はアスミに集中することも理解する。
「加速連弾っ」
再びアスミが放った火球群が、牛人に向かう。しかも今度は火球がそれぞれに別の軌道を取って加速していく。あわや、その剛腕が届こうかという所までアスミに接近していた牛人は、今度は肩口を焼かれ、苦悶の表情を浮かべる。
距離を取れるならば、アスミに分がある。まがりなりにも格闘技の一つである柔道の戦闘勘から、ジョーがそう判断しかけた時である。牛人は振りかぶった右腕を、アスミに届かないと判断するや否や、拳を握りしめ、強烈に廊下に叩きつけた。
「え?」
アスミも、そして遠方から攻防を見ていたジョーも理解が遅れた。
地面に埋め込まれた牛人の拳は廊下の土台そのものを突きぬけ、あろうことかこの三階のフロアの、地盤そのものを貫いていた。
物理的な衝撃の波が左右に伝播する。軋み、唸りを上げながら、フロア自体が中心から崩壊していく。
ジョーが走り出したのはその時だ。アスミには、届かない。
だからせめて、アスミが守ろうとした進藤真由美を抱きかかえようとした。
フロアが倒壊する最中、何とか意識を失っている進藤真由美を抱きしめた時、視界の遠方に映ったのは。牛人の返しの剛腕が撃ち込まれ、身体をくの字に折りながら喀血するアスミの姿だった。