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『ガラクタだらけの温もりと、私のプラムボット』

掲載日:2026/10/23

『ガラクタだらけの温もりと、私のプラムボット』


「君を愛することはない。僕の隣にふさわしいのは、もっと淑やかで、完璧な淑女だ。お前のような油臭くて落ち着きのない女は、公爵家の道具としても役に立たない」


大理石の回廊に響き渡った、元婚約者・ジュリアンの冷たい声。

あのとき、私の胸はぐしゃりと音を立てて潰れた。

「道具としても役に立たない」――その言葉が、熱した鉄の杭のように胸の真ん中に突き刺さって抜けなかった。


私はドレスの裾を自らの足で踏んづけて派手に転び、擦りむいた膝を抱えながら、王宮を追い出されるように去ったのだ。


*


それから一年。

王都の喧騒から馬車で三日も離れた、緑豊かな山あいの廃工房。

作業台の上には、真鍮の歯車、青白く光るナノクリスタル、そして散らかったレンチやドライバーが無造作に転がっている。


「痛っ! もう、また親指挟んだぁ……!」


私は油で黒くなった手を振り回しながら、作業用のスツールから転げ落ちた。

鼻の頭を煤で汚し、くしゃくしゃになったエプロンを引っ張る。お世辞にも「元侯爵令嬢」とは呼べないみっともなさだ。


『マスター・クララ。心拍数の急上昇および末梢神経の疼痛シグナルを検知。包帯と冷却シートを準備しますか?』


部屋の隅から、滑らかな車輪の音を立てて近づいてきたのは、銀色の滑らかなボディを持つ自律型ロボット――私が持てる魔導工学と未来技術の粋を集めて組み上げた、知能搭載型プラムボットの『オットー』だった。

青い光を帯びたバイザーが、私の顔をじっとスキャンしている。


「いいのよオットー、ツバつけとけば治るんだから! それより、メイン回路の出力調整はどうなったの?」


『出力安定性は九八パーセント。極めて良好です。ですがマスター、先ほどから作業効率が三十二パーセント低下しています。思考領域に、過去の不快な記憶の残渣がフラッシュバックしていると推測されます』


「……な、生意気言わないでよ! 機械のくせに、私の頭の中まで覗かないで!」


私はそっぽを向いて、乱雑に積まれた図面を引っ張り出した。

だが、手元が狂って紙の束が床一面に雪崩を打つ。


「あーっ! もうっ、なんでこうなるのよ私の手は!」


床にへたり込み、散らばった図面をかき集めようとして、急に視界が歪んだ。

ぼたぼたと、大粒の涙が設計図に落ちて、青いインクを滲ませていく。


「……役に立たないって、言われちゃったんだもん」


膝を抱え、小さくしゃがみ込む。


「私、ジュリアンのことが本当に好きだったのよ。彼が笑ってくれるならって、王宮で笑われないように淑女の歩き方も勉強したし、ドレスだって着慣れないコルセットで息を詰まらせて……。それなのに、あんな、みんなの前で……『愛することはない』だなんて……」


しゃくり上げる声が、静かな工房に響く。

一年経っても、少しも忘れられない。

聡明で完璧な令嬢なら、裏で帳簿を調べて相手をやり込めたりできたのかもしれない。けれど私はただのおっちょこちょいで、魔導具いじりしか取り柄がなくて、振られた瞬間は泣き喚いて逃げ出すことしかできなかった。

「道具にすらならない」と言われた自分の存在価値が、ぽっかりと抜け落ちたまま、どうしても埋まらないのだ。


カタリ、と金属の擦れ合う音がした。

オットーが目の前に膝をつき、ひんやりとした金属の手を、私の頭の上にそっと乗せてきた。


「……オットー?」


『マスター。私の内部辞書には「道具」という単語の定義が存在します。「特定の目的を達成するために用いられる器具」。これが学術的定義です』


「……そうよ。私はその役目すら果たせなかったの」


『否定します』

オットーのバイザーの光が、穏やかな琥珀色に変わった。


『私の心臓部である意識回路は、あなたが流した涙の成分、あなたがため息をつくときの呼吸の波長、そしてあなたが作業中に鼻歌を歌うときの心拍リズムを学習して構築されました』


「え……?」


『もしマスターが完璧で冷徹な人間であったなら、私はただの無機質な計算機になっていたでしょう。あなたがドジを踏んで転ぶから、私は手を差し伸べる機能を獲得しました。あなたが寂しそうに星を見るから、私は夜空を観測するレンズを磨きました』


オットーはぎこちない動きで、私の頬にこぼれた涙を、柔らかいシリコンの指先でそっと拭った。


『マスター・クララ。あなたは誰かの道具などではありません。私の心を産み落としてくれた、ただ一人の創造主であり――私にとって、最も愛おしい人間です』


「オットー……」


金属の胸板に、私は思わず額を押し当てた。

油と金属の匂い。けれど、内部の魔導炉から伝わってくる確かな温もり。


「機械のくせに……そんな生意気なこと、どこで覚えてきたのよ……うぇーん!」


私は子どものように声を上げて泣いた。

王宮の冷たい大理石の上では決して流せなかった、情けなくて、悔しくて、傷ついた本当の涙。

オットーは文句も言わず、ただ静かに私の背中をトントンと規則正しく叩き続けてくれた。


*


どれくらい泣いただろうか。

ようやく鼻をぐずぐず言わせながら顔を上げた私の前に、オットーが一杯の湯呑みを差し出してきた。


『ほうじ茶です。適温の六十五度に設定してあります』


「ありがと……。あ、ちょっと待って、これ砂糖入れたでしょ?」


『糖分の補給は精神的ショックの緩和に有効であると判断しました』


「もう、勝手なことばっかりして」


私は笑って、甘いほうじ茶を口に含んだ。

まだ胸の奥にはちくちくとした痛みが残っている。きっと、あの屈辱と悲しみが完全に消えることはないのだろう。

でも――。


「よしっ!」


私は袖で涙を拭い、作業台を両手で叩いた。

「オットー! 次の改良パーツ、取り付けるわよ! 今度はもっと美味しいお茶が淹れられるように、指先のセンサーを微調整するんだから!」


『了解しました、マスター。……転んでまた指を挟まないよう、十分にご注意ください』


「一言多いのよ、まったく!」


からからと笑い合う私たちの頭上、天窓から秋のあたたかな陽光が差し込んできた。

完璧になんてなれなくていい。誰かの便利な道具になれなくたって、私の手はこんなにも温かい命を創り出せるのだから。


◇◇◇


『青いランプの見る夢は』


あれから、三年。

山あいの廃工房だった建物は、いまや王都でも知る人ぞ知る『魔導自動人形(プラムボット)研究所』へと生まれ変わっていた。


「わわっ、オットー! そこ右、右曲がって! ああっ、積み上げた図面が――!」


ド派手なクラッシュ音とともに、紙の束が天高く舞い散る。

エプロンのポケットにスパナとドライバーを突っ込んだ私は、工房の床に盛大に滑り込んで尻もちをついた。


「痛たた……もう、なんで床にワックスなんて塗ったのよー!」


『訂正しますマスター。それはワックスではなく、あなたが今朝「新しい潤滑油を試す」と言って派手にぶちまけた高粘度シリコンオイルです。床面摩擦係数の低下について、私は三度警告を発しました』


滑らかな銀色の車輪を器用に操りながら、オットーが呆れたように青いバイザーを明滅させた。

三年の歳月を経て、彼のボディには私特製の拡張チップが何枚も組み込まれ、いまや「皮肉」と「ため息」まで完全再現できるようになっていた。


「うぅ……人のドジを三回もカウントするなー!」


私が床をぽかぽか叩いていると、工房の古びた鐘が、からんころんと澄んだ音を鳴らした。


『来客です。訪問者の生体スキャンを開始……心拍数、血圧ともに著しく不安定。極度の疲弊を検知』


「え? こんな山奥に?」


私が煤けた顔を袖でぬぐいながら立ち上がると、工房の扉が重々しく押し開かれた。

そこに立っていたのは――泥だらけの高級外套を身にまとった、見覚えのある男だった。


「……あ、あの……ここに、王宮を揺るがすほどの天才魔導具技師がいると聞いて……」


かすれ切った声。

やつれ果てた頬、脂ぎって乱れた金髪、そして――かつて王宮の舞踏会で私を冷たく見下ろした、あの傲慢な碧眼。


「……ジュリアン?」


思わず口から名前が零れ落ちた。

男――ジュリアンは、私の姿をまじまじと見つめ、目を見開いた。


「え……? ク、クララ……? 嘘だろ、なぜ君がここに……? いや、まさか、王都の貴族たちが噂している『奇跡の知能人形』を作った技師というのは、君なのか……!?」


三年前なら、この顔を見ただけで心臓が縮み上がり、耳の奥がキーンと鳴って過呼吸になっていただろう。

「お前は道具にもならない」「君を愛することはない」。

あの冷たい言葉の刃が、私をどれだけズタズタに引き裂いたか。


けれど、いまの私の胸にあるのは、震えるような恐怖でも、煮え湯のような憎悪でもなかった。

ただ――「あ、本当にこの人、落ちぶれたんだな」という、どこか他人事のような乾いた風が吹き抜けただけだった。


「なんの用ですか、ジュリアン様。ご覧の通り、私は今、新モデルの調整で忙しいんですけど」


私が冷たくあしらおうとすると、ジュリアンは突然、工房のオイルまみれの床に両膝を突き、すがりつくように頭を下げた。


「クララ! 頼む、僕を助けてくれ! あの後、僕の公爵領は魔獣の襲来と水害で大赤字だ! 完璧な淑女だと思って迎えた新しい妻は、実家の没落と同時に男を作って財産を持ち逃げした! いまや領地を維持する人手すら足りないんだ! 君が作ったそのプラムボットを、我が領地に……僕に提供してくれ!」


必死に哀願するジュリアン。

かつて学園の華と持て囃され、私を「道具」と切り捨てた男が、いまやその「道具」を作った私に泣きついている。


復讐劇の小説なら、ここで「ざまぁみろ!」と高笑いし、彼を罵倒して門前払いするところなのだろう。

けれど、私はなんだか猛烈に――情けなくなってしまった。


「……ジュリアン様」


私はため息をつきながら、作業台から一本のレンチを手に取った。


「私が三年前、あなたに言われた言葉、覚えていますか?」


「そ、それは……若気の至りで……」


「『公爵家の道具としても役に立たない』って、あなた言いましたよね」


ジュリアンがビクッと肩を震わせる。


「私、あのとき本当に死ぬほど痛かった。自分には何の価値もなくて、誰にも選ばれない、ガラクタみたいな人間なんだって思って、毎晩泣いてました。……でもね、いまなら分かるんです」


私は、隣で静かに待機しているオットーを見上げた。

オットーの青いランプが、優しく点滅している。


「道具かどうかなんて、他人が決めることじゃないんです。私は自分の手で、この子たちに『心』を注ぎ込みました。泣いて、転んで、油まみれになって、それでも誰かを笑顔にしたくて作ったんです。……でも、あなたは違う」


私は真っ直ぐにジュリアンを見据えた。


「あなたは昔も今も、周りの人間を『自分を飾る道具』や『都合のいい救命胴衣』としか見ていない。そんな人に、私が魂を削って作ったこの子たちを渡せるわけがありません」


「な……っ!? たかがブリキの人形じゃないか! 買い取ってやるって言ってるんだぞ! 金ならいずれ領地が立て直せば――」


立ち上がって声を荒らげようとしたジュリアンの前に、スッとオットーが割り込んだ。


『警告。マスター・クララに対する恫喝的言語パターンを検知』


オットーの胸のハッチがガシャリと開き、高圧放水ノズルがジュリアンの鼻先にピタリと向けられた。


『これ以上の接近は、工房敷地内における有害廃棄物とみなし、強制洗浄プロトコルを実行します。カウントダウンを開始。スリー、ツー……』


「ひっ……! ば、化け物め!」


ジュリアンは腰を抜かし、泥だらけの服のまま、這うようにして工房の外へと逃げ出していった。

遠ざかる足音。

工房には、再び静寂が戻ってきた。


「……ふう」


私は胸に手を当てて、ふうっと長く息を吐き出した。

震えていない。

私の指先は、もうちっとも震えていなかった。

あんなに痛くて、あんなに怖かった過去の亡霊が、ただの哀れな男として消えていったのだ。


『マスター。心拍数、呼吸数ともに安定。精神的動揺は極めて軽微と判断します』


オットーがノズルをしまい、バイザーをことりと傾けた。


「……うん。もう、大丈夫みたい」


私は笑って、オットーの丸い金属の頭を撫でた。


「ありがとね、オットー。私を守ってくれて」


『当然の職務です。私はマスターがドジを踏んで転んだときに支え、過去の亡霊がドアを叩いたときに追い払うよう、プログラムされていますから』


「もう、だから一言多いのよ!」


からからと笑い合う私たちの足元で、散らばった設計図の端っこが風に揺れていた。

完璧じゃなくてもいい。

泣き虫で、おっちょこちょいで、油まみれの私を、最高傑作として愛してくれる相棒が、ここにはいるのだから。



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