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ベルは梅を蜂蜜に漬けてみた

掲載日:2026/06/23

初投稿前の練習作です。

ここは首都から馬車で半日から一日ほど離れた、何の変哲もない小さな村——プルネラ。

山あいの静かな土地で、村人たちは畑を耕し、家族とささやかな日々を送っている。

その村に住むベルは、今年で十一歳。 濃い亜麻色の髪をおさげに結び、

碧い瞳をきらきらと輝かせながら、家の手伝いや勉強に励む、ごく普通の女の子だ。

ただひとつ、他の家とは少し違うところがある。

ベルの家では、父と祖父が小さな養蜂をしているのだ。

といっても大げさなものではない。

家の裏手の森に、木で組んだ巣箱が五つか六つ置いてあるだけ。

それでも、そこから採れる蜂蜜はベルにとって特別だった。

黄金色に輝く、とろりとした甘い蜜。 スプーンでひとすくい舐めれば、胸の奥まで温かくなる。

瓶に詰められたそれを眺めるだけで、ベルは一日の疲れがふっと消えていくように感じていた。



----------------------------------------------------------------------------------------



「お姉ちゃん、またその苦い実拾ってるの?」


六歳になるベルの弟、ミエルが不思議そうに首をかしげながら近づいてきた。

ベルは拾ったばかりの緑色の実を見せる。


「みんなは苦いし、お腹を壊すって言うけど……なんか気になるのよね。

それに、すごく良い匂いなの」


「ふーん」


ミエルは興味を失ったように棒を振り回しながら、森の奥へ走っていった。

ベルはため息をつきながら、手のひらの実を見つめる。


「はー……こんなに美味しそうなのに、なんで食べられないのかしら」


ほんのり赤みを帯びた緑の実。

手の中で転がすと、さっきより甘い香りが強くなった気がした。

その香りに誘われるように、ベルは祖父と父の言葉を思い出す。


「梅の花は、蜂たちのごちそうなんだ」


家の近くの巣箱の周りには、梅の木が何本も生えている。

春になると白い花が咲き、蜂たちはその花粉を集めて、あの黄金色の蜂蜜を作るのだ。


「蜂蜜に入れたら、この甘い香りでもっと美味しくならないかな……」


考えた瞬間、胸がうずうずしてきた。

誕生日に父からもらった、小さなリボン付きの蜂蜜。

大事に少しずつ食べている、特別な蜂蜜。

そこに、この梅を入れたら——?

素敵なものになるかもしれない。


「逆もあるかもだけどね……」


そう呟きながら、ベルはきれいに洗った梅を六つ、 ぽとん、ぽとん、と蜂蜜の瓶に落としていった。

黄金色の海に沈んでいく梅の実は、まるで泳いでいるみたいだった。

ベルは瓶をそっと撫でる。

その瞬間、胸の奥がふわっと温かくなり、 いつもより疲れが吹き飛ぶような気がした。

——瓶が、ほんのり光っていたことに気づかないまま。



----------------------------------------------------------------------------------------



同じころ、プルネラ村の近くにある避暑地の別邸には、

十三歳になる領主の息子——レオンが滞在していた。

蜂蜜を薄めたような柔らかな金髪。肩にかからないくりいの長さで、うねりがありながらも、まとまっている。新緑のように澄んだ瞳には知性が宿っている。

しかしその美しさとは裏腹に、レオンは体が弱かった。

少し気温が変わるだけで体調を崩し、 来年から始まる貴族学園への通学すら危ぶまれるほどだ。


「レオン様、少しはお召し上がりになりませんと、元気も出ませんよ」


乳母のプルネラが、温かいスープを盆に載せて声をかける。


「……食欲が出ないんだ。体もだるいし」


レオンは手にしていた本のページをめくりながら答えた。

その声には年相応の張りがなく、どこか沈んでいる。


「頭はぼーっとするし、喉はイガイガするし…… ほんの少しのことでイライラしてしまう」


自分の不調に苛立ち、レオンは眉間に皺を寄せた。

プルネラの方を見る余裕もない。

部屋には、ページをめくる乾いた音だけが響く。

プルネラはため息を飲み込み、静かに部屋を後にした。

食堂に入ると、使用人たちが夕食を囲んでいた。

その中のコックがプルネラに気づき、心配そうに声をかける。


「プルネラさま、レオンさまの具合は……?」


「全然だめなの。今日もほとんど召し上がらなくて。


都会から離れて、きれいな空気を吸えば良くなると思ったのだけれど」


「……そうですか」


二人は肩を落とし、しばし沈黙が落ちる。

ふと、コックが思い出したように言った。


「そういえば、近くの村で最近流行っている飲み物があるらしいですよ。


暑い日に最高だって。そういうものなら、レオンさまも飲めるかもしれません」


「まあ、そんなものが? ……私も気分転換が必要だし、明日見てこようかしら」


プルネラは少しだけ表情を明るくした。

——この“村の飲み物”こそ、ベルの梅の蜂蜜漬けで作ったジュースだった。



----------------------------------------------------------------------------------------



「こんなことになるなんて、本当にびっくり」


ベルは、目の前でごくごくと梅ジュースを飲むミエルを見ながら呟いた。


「ぷはー!本当に美味しい!お姉ちゃん最高!」


ミエルは飲み終わると、袖で口をゴシゴシ拭きながら満面の笑みを向けてくる。


「最近はお姉ちゃんの梅ジュース、村のみーんなが飲んでるんだよ。

そういえば、残った梅の実はジャムになったの?」


「そうそう、なったのよ。美味しいジャムにね。それもびっくりだわ」


「お姉ちゃんのカンが当たったんだねえ」


にこにこ笑うミエルにつられて、ベルの胸も温かくなる。

ベルが試しに蜂蜜に漬けた梅。

それは驚くほど美味しい蜂蜜漬けになり、蜂蜜の価値はぐんと上がった。

さらに、それを水で溶いたジュースは村中で大人気。

漬けていた梅までジャムになるという“おまけ”つき。

一石二鳥どころか三鳥の結果に、ベルも家族も驚きつつ、嬉しい悲鳴を上げていた。


「ベルの梅の蜂蜜漬けを食べていると病気になりにくい」


誰が言い出したのか、そんな噂まで広がっている。

確かにベルの家族は健康そのものだが、噂は噂。

ベルは苦笑しながらも、どこか誇らしい気持ちになっていた。


コンコンコン。


珍しく丁寧なノックの音に、ベルはびくりと肩を震わせた。

村の人ならノックしないか、ノックと同時に扉を開ける人がほとんどだからだ。


「はーい、どなたですか?」


そっと扉を開けると、五十歳ほどの上品な貴婦人が傘をさして立っていた。


「突然すみません。私、隣の別邸で療養しておりますレオン坊ちゃまの乳母でして……


こちらで体に良いものをこしらえていると伺い、参りましたの」

ベルは思わず肩をすぼめた。


「えっと……梅の蜂蜜漬けのことだと思いますが、

なんというか……噂に尾ひれがついてまして。ご期待に応えられるかどうか……」


「水で溶くと飲みやすいと伺いました。食欲がない時に良いのではと思いまして」


「確かに、そうだと思います。最近暑いですしね」


貴婦人の丁寧な物腰に、ベルは少し緊張がほどけた。


「どなたか、風邪でもひいてらっしゃるんですか? 蜂蜜は喉にも良いんですよ」


「ええ……実は私がお世話している坊っちゃまなのですが、喉が痛いらしく、そのせいで食欲も出なくて。とても心配で……」


ベルは貴婦人の沈んだ表情に胸が痛んだ。

棚の奥から蜂蜜の瓶を取り出し、そっと撫でる。


(そういえば領主さまの親族が近くに療養に来てるって噂があったな。

どうか……少しでも良くなりますように)


「こちらになります」


「まあ……これが。ありがたいことです」


「今度、梅のジャムも作りますので……よろしければお持ちしますね」


貴婦人から代金を受け取り、ベルは微笑んだ。

貴婦人は深くお辞儀をして去っていった。

——この出会いが、ベルとレオンをつなぐ最初の糸になることを、 ベルはまだ知らなかった。



----------------------------------------------------------------------------------------



「レオン坊ちゃま、今日はちょっと面白いものをお持ちしましたよ」


プルネラは微笑みながら、明るい黄色の液体が入ったグラスをそっと差し出した。


「また何か持ってきたのか? 僕は本当に食欲が——」


「香りだけでも楽しめます。どうか、お手に取ってみてくださいませ」


その言葉に、レオンはふと気づいた。

部屋の空気が、いつの間にか爽やかな甘い香りで満たされている。


嗅いだことのない香り。

でも、どこか懐かしくて、胸の奥がすっと軽くなるような——そんな香り。


レオンは好奇心に負けて、グラスへ手を伸ばした。


中身は透き通るような明るい黄色。

見ているだけで、心が晴れていくような気がした。


「見たことないな……」


「梅の蜂蜜漬けのジュースです。近くの村で流行っていると聞いて、

つい年甲斐もなく買い求めてしまいました」


レオンは誘われるように、そっと口をつけた。


その瞬間、プルネラが息をのむ。


レオンは一口飲むごとに、

喉の痛みが和らぎ、

胸の奥が温かくなり、

体の重さが少しずつほどけていくのを感じた。


ゆっくりと、味わうように、一口、また一口。


「……これは、本当に美味しい」


「よ、良かったです……!」


プルネラの声が震えた。

レオンが“美味しい”と言ったのは、いつ以来だろう。


「村ではこんなものが流行っているのか?」


「はい。レオン様より少しお若い方が作っているとか」


「へえ……興味深いな。梅というのも初めて聞いた。見てみたい」


その言葉に、プルネラは目を見開いた。

レオンが“見てみたい”と言ったのだ。

それだけで胸が熱くなる。


「……なんだか、温かいものを胃に入れたくなったな」


「! すぐにお持ちします! どうかお待ちを!」


プルネラは静かに、しかし足取りは軽く部屋を出た。

この喜びを、早くコックに伝えたくてたまらなかった。



----------------------------------------------------------------------------------------



それから毎日、レオンは梅ジュースを飲むようになった。

飲んだ後は食欲が戻り、頭もすっきりし、

外の空気を吸いたいという気持ちまで湧いてくる。


そんな折、ベルができたばかりの梅ジャムを領主の別邸へ届けに来た。


プルネラは玄関先まで出て、嬉しそうに迎えた。


「ベルさん、ジャムを届けてくださってありがとう。

この前の蜂蜜も、私がお世話しているレオン坊ちゃまが毎日召し上がってますの。

体調もよくなってきたようで」


「本当ですか? 

ジャムもクラッカーやパンに合うので、召し上がっていただけたら嬉しいです」


プルネラが瓶を見ると、蓋には可愛いカードが巻き付けてあり、

“早く回復しますように”と丁寧な文字が添えられていた。


「まあ……チーズにも合うんですの?」


「はい。私も好きで」


そんな会話をしていると、庭の方から足音がした。


体調の良くなったレオンが、散歩から戻ってくるところだった。


ベルはその姿を見て、思わずぽかんと口を開けてしまった。


太陽の光を受けて、

透き通るような金の髪がきらきらと輝いている。

新緑の瞳は、優しい色を放っている。


「お……お邪魔しております」


ベルは慌てて頭を下げた。


プルネラがすかさず紹介する。


「レオン坊ちゃま、良いところに。梅の蜂蜜漬けを作っているベルさんです。

本日はジャムを持ってきてくださったのですよ」


「……ああ、君が。あれを飲み始めてから、体調が良くなったんだ。礼を言うよ」


「そ、そんな……滅相もございません……」


ベルは頬が熱くなるのを自覚した。


その時だった。


レオンが本と一緒に持っていたペンが、

カラン、と乾いた音を立てて落ちた。


ベルは反射的に屈み、ペンを拾い上げる。


「ど、どうぞ」


「ありが——」


レオンがペンを受け取る瞬間、

ベルの指先にレオンの手がかすかに触れた。


ほんの一瞬。

それだけのことなのに——


レオンの胸の奥で、

ドクリ、と何かが泡立つように脈打った。


ベルも驚いたように手を引っ込める。


「あ……ごめんなさい」


「いや……すまない。ありがとう」


レオンはベルの顔を初めて正面から見た。


赤く染まった頬。

羞恥で潤んだ碧色の瞳。

その表情が、胸の奥にふわりと落ちてくる。


レオン自身も、

自分の鼓動が耳の近くで響くほど高鳴っているのを感じた。


プルネラは、若い二人のぎこちなさに気づき、

ほほえましく目を細めた。


「ベルさん、今日は本当にありがとうございました。またお伺いしますね」


「は、はい……お待ちしております」


ベルは深く頭を下げると、

胸の高鳴りを抑えきれないまま、

村の方へと駆けていった。



----------------------------------------------------------------------------------------



レオンの体調は日に日に良くなっていった。

そうすると自然に、今まで気づかなかったものが目に入るようになった。


シェフやプルネラたち使用人の優しさ。

丁寧に作られた料理の味。

屋敷の周りに広がる豊かな自然と澄んだ空気。

朝日が差し込むと自然に目が覚め、

体の奥からエネルギーが湧いてくる感覚——。


レオンは、その全てが

あの梅の蜂蜜漬けから始まった

と感じていた。


(ベルのことを考えると……胸が落ち着かない)


レオンは“梅の木を見に行く”という建前を作り、村へ行く決意をした。


「えっ、村へ行かれるのですか!?」


プルネラは驚きのあまり、はしたなくも声を上げてしまった。


「梅の木が気になってね。村でも広まっているみたいだし……

量産できれば、流通もできるんじゃないかと思って」


レオンはあらかじめ考えておいた理由を口にする。


「私もご一緒します。少々お待ちくださいませ!」


「心配性だな……」


そう言いながらも、レオンはどこか嬉しそうだった。

プルネラを連れ、村へ向かう。


ベルは庭の木箱に腰かけ、梅のヘタ取りをしていた。

最初は「おもしろそう!」と手伝っていたミエルも、

友達に誘われてすぐにどこかへ行ってしまった。


「やれやれ……」


口ではそう言いながらも、ベルの手は迷いなく動き、

次々と梅を見定めてはヘタを取っていく。


その時、近づいてくる足音に気づき、ベルは顔を上げた。


「こんにちは。お邪魔していいかな?」


「あ、レオンさま……!」


驚いた拍子に、ベルの手から梅がコロコロと転がっていった。


「すまない、驚かせるつもりはなかったんだけど」


レオンは転がった実を拾い上げた。


「……甘い香りがする」


「そうなんです。漬ける前も良い香りがしますよ」


レオンが興味を示したのが嬉しくて、ベルの声は自然と弾んだ。


「一人で作業しているの?」


「みんな畑の世話もありますから。弟のミエルも時々は手伝ってくれます」


「蜂蜜と梅は、どれくらい取れるんだい?」


「蜂蜜は父と祖父が世話をしていて、行商の方に大きな瓶でいくつか売れています。

梅は毎年違いますけど……今まで使う人もいなくて、どれだけ取れるか……」


ベルは丁寧に、正直に答えた。

村人や行商人以外と話すのは初めてで、内心は緊張でいっぱい。

それでも、なんとか冷静に振る舞おうとしていた。


レオンはそんなベルの姿に、自然と好感を抱いた。


「もっと売れたら、暮らしが楽になると思う?」


「私だけではそんなに作れませんし……

家族が暮らしていけるのに足しになれば、とは思っています」


ベルが作業した梅が入った籠の中で、

実がほんのりと光っているのをレオンは見逃さなかった。


(やはり……何かあるのか?

家も周辺も普通なのに……)


「あ、拾っていただきありがとうございます」


ベルが手を差し出す。

レオンは梅を渡した。


その瞬間——

ベルの指先がレオンの指に触れた。


ふわりとした温かさが、レオンの体を駆け抜ける。

胸の奥が軽くなり、呼吸が深くなる。


ベルは何も気づいていない。

感じているのはレオンだけ。


「……ベルの家族は、この村に長く住んでいるの?」


「どうなんでしょう。祖父の祖父が開墾のために移住した、と聞いたことがあります」


「そうなんだね」


(……もしかして、都から落ち延びた血筋……?

いや、考えすぎか)


「レオン様は、体調はもう大丈夫なんですか?」


「おかげさまで。最近は歩き回れるようになったから、

今まで見られなかったものを見ているよ。

村の野菜もよく育っているし、これからが楽しみだね」


「気にかけてくださって……ありがとうございます」


ベルは、レオンが村のことを直接見ていると知り、

驚きと同時に、その人柄に強く惹かれた。


「よかったら、また日を改めて……養蜂のほうも見せてもらいたいな」


「祖父と父に伝えておきます」


レオンとベルは、互いに好意を抱きながら、

その日は静かに別れた。



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それからレオンは村をよく訪れるようになった。

いつの間にかミエルとも仲良くなり、

「レオンさま、優しくてかっこいいなー」

なんて言われるほどだった。


ベルの家にも時々立ち寄っては、

蜂の巣箱の様子や、梅を漬けた瓶を覗き込んでいく。


そんなある日——

ベルとレオンが梅の木を探して森の外れを歩いていると、

右前足に血をつけた小鹿がうずくまっているのを見つけた。


「あれは……鹿?」

「そうなんです。落ちた梅の実を食べに来るんです。でも……怪我してる」


小鹿は立ち上がろうと後ろ足を震わせたが、

すぐにガクリと座り込んでしまった。


「親鹿はいないんでしょうか……」

「足音はしないね」


ベルは心配で今にも駆け寄りそうだったが、

親鹿が近くにいる可能性を考えて踏みとどまる。


しかし、どうしても気になって落ち着かない。

そんなベルを見て、レオンは静かに決心した。


「……僕が行くよ」


「レオンさま、危ないです!」

「でも、ベルは放っておけないんだろう?」


レオンがゆっくり近づくと、小鹿は耳をピンと立てて見つめ返した。

近くで見ると、前足の傷は深く、骨が見えるほどだった。


(これは……痛いだろうな)


そう思った瞬間——

小鹿は驚くほどの速さで後ろ足を伸ばし、

レオンの膝にドンッと衝撃を与えた。


「……っ!!」

「レオンさま!!」


ベルは跳ねるように駆け寄り、膝を見て青ざめた。

蹴られた場所は青黒く腫れ、血が滲んでいる。


「油断したな……」

「こんな……私のせいです……!」


ベルは震える手で水筒の水を膝にかけ、

持っていた布で丁寧に拭き、ぎゅっと縛った。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


ベルは布から手を離せず、祈るように繰り返す。

レオンは痛みで意識が遠のきそうだったが——


その時だった。


膝のあたりが、じんわりと温かくなった。


(……痛みが……引いていく?)


ベルは必死で気づいていない。

だが、レオンの膝は——

あの蜂蜜漬けの瓶のように、ほのかに光っていた。


(……ベル……?)


「レオンさま、大丈夫ですか?すぐ人を呼びます!」

「いや……待って。立てる気がする」


「え……?」


レオンが恐る恐る布を外すと、

さっきまであった深い傷は跡形もなく、

打撲だけが残っていた。


「え……え……どうして……?」

「僕にもわからない。でも……とにかく移動しよう」


二人が立ち上がると、

なんと小鹿もよろよろと立ち上がった。


「あ……小鹿の足も……塞がってる……」

「本当だ……」


レオンはベルと小鹿の間にそっと立ち、様子を見守る。

小鹿は先ほどのことなど忘れたように、

前足をかばいながらも森の奥へ消えていった。


ベルは胸に手を当て、震える声で言った。


「……よかった……本当に……」


レオンはベルの横顔を見つめながら、

胸の奥が熱くなるのを感じていた。


(やっぱり……ベルには何かある)



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ベルは最近、ぼんやりすることが増えた。

梅のヘタを取っていても、蜂蜜を瓶に詰めていても、

ふと気づけば同じ人のことを考えてしまっている。


そんなベルを見て、祖父がニヤニヤしてくるものだから、

普段は温厚なベルも、珍しくカチンときてしまうほどだった。


(レオン様……本当にお優しくて、素敵な方)


小鹿の一件。

あの時、レオンは迷わずベルと鹿の間に立ってくれた。

体格はそこまで違わないのに、

その背中はとても大きく、頼もしく見えた。


思い出すだけで、頬が熱くなる。


(いつまで……ここにいらっしゃるんだろう)


体調回復のために滞在していると聞いていた。

見たところ、もうすっかり元気そうだ。


(そろそろ……首都に帰ってしまうのかな。

……そうなったら、寂しい)


ベルは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。



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一方そのころ、レオンもまたベルのことを考えていた。


(ベルは……魔法が使えるのでは?)


ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問。

一般的に魔法は貴族に多く、

民間では“まじない程度”のものしか使えないとされている。


もし強い魔力を持つ者が首都の管理下にいない場合、

本来は抑制器具がつけられるはずだ。


(……でも、ベルはそんなものつけていない)


レオンは首を振り、膝をさすった。

あの時の傷は、もう跡形もない。


プルネラには「転んだ」と説明したが、

「気をつけてくださいませ!」と叱られただけで済んだ。

もしあの深い傷が治らず帰宅していたら、

大騒ぎになっていたに違いない。


(ベルの手は……)


村人の手は農作業で荒れていることが多い。

ミエルも「梅を触ると手がかゆくなる」と言っていた。


なのに——

ベルの手は、柔らかくて温かい。

触れた瞬間、蜂蜜の香りがふわっとして、

じんわりと体の奥まで温かさが広がる。


ベルが笑顔で接してくれると、

年齢に似合わず胸が跳ねるほど嬉しくなる。


(……困ったな)


レオンは手紙を見つめた。

首都から届いた両親の手紙。


体調が良くなったのなら、

来年の貴族学園入学の準備のため、

早急に帰ってきなさい——


レオンは深く息を吐いた。


(帰らなければならない。

でも……ベルと会えなくなるなんて)


胸の奥が、痛いほどに締めつけられた。



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その日もベルは、梅の実をきれいに水で洗っていた。

そこに現れたレオンに、もう驚くことはなかった。

何度も訪れるうちに、レオンが来ることはベルの日常の一部になっていた。


「実は……話があって来たんだ」


レオンは珍しく目を合わせず、

どこか緊張した面持ちで言った。


「貴族学園の入学準備のために……首都に帰らなければならない」


「……そうなんですね」


ベルは沈む声を隠せなかった。

胸の奥がきゅっと痛む。


レオンは続けた。


「でも、どうしてもベルに伝えたいことがあって」


ベルは顔を上げる。


「君の優しさは、いろんなものに影響していると思う。

蜂蜜漬けも、梅のジュースも……

あの時、僕の膝を治してくれたことも。

本当に助けられたんだ」


ベルは首を振った。


「そんな……わたしは何も……」


「いや、あるよ」


レオンはそっとベルの両手に触れた。

その瞬間、いつものように温かな光がじんわりと伝わってくる。


「ベルと離れるのは、本当に辛い。

でも……休みの日には必ずここに来る。

だから……ベル。

僕が戻ってくるのを、待っていてくれる?」


レオンは強く握りすぎないように気をつけながら、

それでも必死に想いを伝えようとしていた。


ベルは涙を浮かべながら、レオンの手を握り返した。


「……お待ちしています。

その時までに、もっと美味しいものを作ります。

レオン様が健康でいられるように……考えながら」


レオンの瞳がぱっと明るくなった。


「本当に?……嬉しい……!ベル、ありがとう」


その勢いのまま、レオンはベルの手にそっと唇を寄せた。


「っ……!」


ベルは真っ赤になりながらも、

その温かさを受け入れた。


レオンは名残惜しそうに手を離した。



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数日後。

レオンは馬車に乗り、村を去らなければならない日。

ベルは丁寧に作った梅の蜂蜜漬けをレオンに手渡した。


(どうか元気に過ごせますように)

(病気になりませんように)


ベルの願いがこもった蜂蜜漬けを、

レオンは両手でしっかりと受け取った。


「レオンさま、どうかお元気で」

「ありがとうベル、大切に頂くよ。ベルも無理しないように」


名残惜しそうに何度も振り返るレオンの顔を見て、

ベルは泣き顔を見せたくなくて、

なんとか笑顔を作って手を振った。


馬車が見えなくなるまで、ずっと。


風が吹き、梅の香りがベルの髪を揺らす。


ベルは胸に手を当て、そっと目を閉じた。


(また……会える)


レオンとの思い出を胸に、

ベルは新しい蜂蜜漬けを作る決心をした。


次にレオンが来る時、

もっと美味しいものを届けられるように。


梅の香りは、

ベルの心をそっと慰めながら、

未来への小さな灯をともしていた。



〈完〉





レオンはヤンデレの道を突き進みそうな気がします。

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― 新着の感想 ―
梅って完熟しないと落ちないから熟してない青い実は収穫しないといけないのでは?
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