大丈夫大丈夫。心配し過ぎ ~時司の愚痴日誌
「そのくらい、すぐ終わるよ」
そう言われる仕事ほど、誰のものでもない顔をしている。
私の職場には、ちょっとお高めで、少しばかり気を遣う荷物を相手先へ届ける仕事がある。
壊れれば困る。紛失すれば困る。けれど、その責任の所在は妙に曖昧だ。
「これ、今日中に届けてもらっていい?」
「・・・精密なものですよね。配送の方が安全じゃないですか」
「いや、そこまでじゃないって」
「もし何かあったら困りますし」
「大丈夫大丈夫。心配しすぎ」
軽く笑って会話は終わる。終わらせられる、という方が正しいかもしれない。
別の日も似たやり取りをした。
「やっぱり配送にした方がいいと思うんですけど」
「うーん、でも送料高いからなあ」
「記録も残りますし、トラブル防止にはなると思います」
「そこまで大げさにしなくていいよ」
「・・・」
「近いんだし、ぱっと行って帰ってくるだけでしょ?」
なるほど、と私は思う。つまりこの荷物は壊れてはいけないが、コストはかけられない程度の価値らしい。
結局、その役目はいつも私に回ってくる。社用車が用意されるわけでもなく、当然のように私の自家用車で行く。
ガソリン代については、話題にすらあがらない。
「近いから」「すぐ終わるから」
そのすぐが何度積み重なったかは、もう数えていない。ガソリンの価格は上がり続けているのに、こちらの負担は空気のように扱われる。
そして、今回の話だ。
その荷物を届ける日、私は有給を取っていた。当然、私は運ばない。運べない。
では、どうなったか。
・・・上司が、配送を手配していた。あれほど「高い」と言っていた配送代を、あっさりと払って。
しかも、その上司は当日、相手先の近くに行く用事があったらしい。つまり普通に自分で運ぶ事もできた。
それでも選んだのは、「配送」だった。
その瞬間、すべてがはっきりした。
コストの問題ではなかったのだ。
責任の問題でもなかった。
ただ単に、「自分はやりたくない」というだけの話だった。
そして、そのやりたくないは他人に押し付けることができる程度には、軽いものだった。
私が運んでいたあの時間も、あのガソリン代も、あの微妙な緊張も。
すべては、「誰かがやればいい仕事」だったのだろう。
誰か・・・つまり、私が。
「すぐ終わるよ」と言う人は、そのすぐを自分では使わない。そして、その時間もガソリン代も緊張も差し出す側の事を、想像もしない。
それだけの事だ。
でも、今回は少しだけ事情が違ったらしい。これまですぐ終わるとされていたそれは、いざ自分がやる番になると、お金を払ってでも避けたいものだったらしい。
しかも、その支払いは自分の財布ではない。会社の経費だ。
なるほど、と思う。
時間も労力も、誰のものかで重さが変わる。世の中は、そういう風に出来ているのはわかっている。
そしてその重さは、「節約」という綺麗な言葉で調整される。
だからきっと、また同じように言われるのだろう。
「近いから」「すぐ終わるから」
自分がお金を払ってでも避けた仕事を今度も軽く押しつける。そして、もし何かあれば、その責任も同じように軽くこちらに流れてくるのだろう。
その方が都合がいいからだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
読んでくださってありがとうございます(*_ _)
ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。




