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シグナルは君へ、想いは宙へ

作者: Tom Eny

シグナルは君へ、想いは宙へ


導入:AI研究部と一目惚れ


息を呑んだ。


薄暗い放課後の光が差し込む、人気のほとんどない高校のAI研究部。部室のドアの隙間からそっと中を覗き込んだ俺は、そこで凍りついた。奥まった席でモニターに向かっていたのは、いつもの分厚い眼鏡を外したAI研究部の部長だった。 無造作に結い上げられた髪から覗くその横顔は、信じられないほどに研ぎ澄まされた美しさを放っていた。彼女は真剣な眼差しで、無数のコードが映るモニターと向き合っている。部室の静寂の中、ただモニターの微かな駆動音だけが響き、俺の心臓だけが不規則なリズムで跳ねていた。普段の彼女からは想像もできない、秘められた、いや、むしろ秘匿されてきた輝き。それが、俺にとっての一目惚れだった。


この一目惚れが、俺の脳を、そして恋心を、AIに丸裸にされる奇妙な日々へと誘うことになるとは、この時の俺は知る由もなかった。


俺がこの部活の存在を知ったのは、顧問の博士に半ば無理やり連れてこられたのが最初だった。特に熱中できる趣味もなく、毎日をダラダラと過ごすだけの帰宅部員にとって、放課後の時間はいつも持て余すほどに虚ろだった。博士は、いつだって白衣をひらめかせ、研究室では奇妙な発明品に囲まれている変わり者だ。『世界を面白くする』が口癖で、その突飛な発想には誰もついていけない。しかし、彼の研究室の片隅には、いつもガラスケースに収められた一輪の色褪せた押し花が飾られていた。その花は、博士の普段の言動からは想像できない、どこか個人的で、そして少しだけ切ない物語を秘めているようだった。そんな博士が、ある日「君も青春の輝きを研究してみないかね! 何かに夢中になることは、人生を何倍も面白くするものだよ、フッフッフッ」と、俺をこのAI研究部に放り込んだのだ。彼は、生徒たちにも自分の過去のように熱中できることを見つけてほしいと願う、教育者としての側面も持っているようだった。


それ以来、俺は部活にかこつけて、毎日放課後、この部室の前に足を運んでいた。まだAI研究部に入るかどうかは悩んでいた。部活なんてまともにやったことがないし、何よりこの奇妙な部活で、憧れの部長にどう接していいか分からなかったからだ。けれど、一日として彼女を見に来ない日はなかった。部室のドアの隙間から、彼女が一人で黙々と研究に打ち込む姿を、ただ見つめているだけで、俺の心は満たされた。


その日も、俺は部長が来るより少し早い時間、部室の前に立ち止まり、ドアの隙間から中を覗いていた。部室の中には誰もいないはずなのに、なぜか漂う部長の気配を感じ、彼女が座るであろう椅子をじっと見つめていた。すると、不意に中からガタッと音がした。部長がもう来ているのかと焦り、身を引こうとしたその時、足元にあったプリントの束に気づかず、俺は盛大に物音を立ててしまった。


「誰かいるの?」


部長の鋭い声が、部室の中から響いた。心臓が飛び跳ね、全身から冷や汗が噴き出す。ばれる。このまま逃げるべきか、それとも謝罪すべきか。混乱する頭で、俺はとっさに言葉を紡ぎ出した。


「あ、あの! すみません! その、部活の入部相談に来ました!」


部長が部室のドアを静かに開けた。そこに立っていた彼女は、眼鏡をかけていなかった。そして、俺の顔をじっと見つめようと、少し目を細めている。普段はクールな部長が、今は視界がぼやけているせいか、どこか頼りなげな印象だった。部室では基本的に眼鏡を外している彼女だが、書類を見たり、精密な実験を行う際は、必ず眼鏡を着用する。だから、今の彼女は、俺に話しかけることで頭がいっぱいで、視界のぼやけを気にする余裕すらないのだろう。


「AI研究部? ずいぶん珍しいわね。他に部員はいないけど、それでもいいの?」と尋ねる。


俺は、とっさに出たこの嘘が本当に部活動につながるとは思わず、どもりながらも「はい! 是非!」と答えた。秘密がばれるかもしれない焦りと、憧れの部長と同じ部活に入れるかもしれないという期待で、頭の中はぐちゃぐちゃだった。


部長は少し怪訝そうな顔をしつつも、一人で活動している部活に興味を持ってくれた俺に、少しだけ安堵の表情を見せた。


「そう。ちょうどよかったわ。今、被験者を探しているところなのよ」


顧問の博士から、「君の脳に、まだ誰も成功していない『感情を可視化するAIチップ』を埋め込みたい。これは、君の視覚情報だけでなく、心の中で感じる『感情』**をデータとして読み取り、それをテレビ画面に映像として映し出すという、まさに前人未踏の画期的な試みだ。これによって、人間が恋に落ちるメカニズムや、人の心がどのように世界を認識しているのかという、これまで科学が踏み込めなかった深淵を解明できるだろう。フッフッフッ、その選定プロセス自体も、人間心理の深淵を覗く、興味深いデータになるからねぇ」**という、部の活動にとって極めて重要な指示が下されていたのだ。被験者がいなければ研究が進まないという切迫した状況の中、被験者探しに困っていた部長にとって、俺は文字通り「渡りに船」だったらしい。しかし、あの博士が、本当に偶然「俺」を選んだだけだろうか? 俺が毎日部室を覗き見ていることに、もしかしたら彼は最初から気づいていたのかもしれない。そして、この「恋」こそが、彼の探している「人間心理の深淵」だったのではないか――? その時の俺には、そんなこと、知る由もなかったが。


部長は俺に、一歩近づき、**眼鏡を外しているためか、その距離がゼロになるかというほど顔をぐっと寄せてきた。澄んだ瞳は焦点を合わせるように真っ直ぐに俺を見つめているが、その視線はどこかぼんぼりとしていて、すぐ目の前にある俺の顔の輪郭をようやく捉えているかのようだった。きっと、被験者を見つけたいという一心で、眼鏡をかけることすら忘れているのだろう。**普段、感情をあまり表に出さない部長が、今だけは真剣な眼差しで、その瞳には俺の顔がはっきりと映っていた。


「お願い。この実験、君にしか頼めないの」


部長の整った顔が、これほど近くにあったのは初めてだった。彼女の唇から紡がれる、真剣で、どこか切実な響きを持った言葉。その吐息がかかりそうなほどの距離に、俺の心臓は激しく跳ね上がった。まるで時間が止まったかのようだった。その顔には、いつもの堅物な表情はなく、ただ純粋な探求心と、わずかな焦りが浮かんでいるようだった。そして、彼女の髪から、ほのかに甘く、清潔なシャンプーの香りがふわりと漂ってきた。その予期せぬ香りに、俺は思わず息をのんだ。


「好きだから」――そのたった一つの理由で、俺はその重い協力要請を引き受けた。自分の脳が、自分の思考が、そして何よりも部長への秘めた恋心が、映像として丸裸になるかもしれないという最大のリスクを承知で、俺はチップの埋め込みを決断した。


展開:可視化される恋心と博士の企み


感情の可視化:脳内が映し出される実験


初めての実験の日。俺の頭には小さなAIチップが埋め込まれ、部室のテレビ画面が俺の思考をリアルタイムで映像化するという。このAIチップは、俺の視覚情報だけじゃなくて、頭の中で感じるちっちゃな『あれこれ』とか『こうしたい!』みたいな気持ちまで全部読み取って、それをテレビの画面に映し出す、すげぇシステムなんだって。つまり、この部室にいる間は、ずっとテレビに俺の頭の中が見えてるってこと。俺が今何を見て、どう思ってるか、全部丸わかり。まさに、俺の感情フィルターを通して見える『世界』がそのまま映し出される感じだった。


部長と博士が、冷静にデータモニターとテレビ画面を交互に見つめている。


AIチップの解析は難航し、部長も俺も、気づけば集中力が途切れそうになるほど疲労困憊だった。お腹も空いてきたが、コンビニに行く元気もない。 その時、部長が「……もしよかったら、これ。お口に合うか分からないけど」と、ごく自然な仕草で、小さな包みを俺のデスクにそっと差し出した。 包みを開けると、中には形は少し不揃いだけど、見るからに美味しそうなおにぎりが二つ入っていた。ラップ越しに、ほんのりと温かさが伝わってくる。具材は、定番の梅と鮭。よく見ると、一つ一つ丁寧に握られているのが分かった。 「え、これ、部長が…?」 思わず尋ねると、部長は少しだけ視線を逸らし、耳の先をほんのり赤くしながら、ぼそりと呟いた。「ええ、少しだけ……余ったから、ついでに。」 普段の完璧な部長からは想像できない、素朴で、少しだけ不器用な手作りおにぎり。そして、その「ついでに」という言葉に隠された、俺への優しい気遣いに、俺の胸は一気に締め付けられた。冷徹な研究者に見えて、実はこんな温かい一面があるのかと、ますます部長に惹かれていく。 一口食べると、ほんのり塩味が効いていて、温かくて、心の底からホッとする味がした。疲れた体に染み渡る優しい味だった。


おにぎりと一緒に、部長はマグカップに入れた熱いお茶もくれた。俺がお礼を言って飲もうとすると、部長も自分のマグカップを口元に運んだ。湯気がふわりと立ち上り、彼女の眼鏡がみるみるうちに曇っていく。部長は「あら」と小さく声を漏らすと、困ったように眉を下げ、ゆっくりと眼鏡を外し、息を吹きかけてレンズを拭き始めた。眼鏡を外したことで、彼女の瞳が、少しだけ潤んだように見えた。普段の隙のない彼女からは想像もできない、その一瞬の無防備な仕草。その姿が、テレビ画面に眩い光のオーラと共に映し出される。俺の心臓は、熱いお茶とは比べ物にならないほど熱く、激しく高鳴っていた。


しかし、博士が画面を指差し、目を輝かせる。


「フッフッフッ。どうだい、これ! 人間の感情、特に『好き』ってやつはね、脳の特定の場所がビカビカ光ったり、心臓がドキドキしたり、顔の筋肉がちょっとピクッと動いたり、いろんなデータとして現れるんだ。うちのAIは、それを全部ひっくるめて解析して、目に見える形にできるんだよ! ほら、君の脳内では今、まさに『好き』のサインがキラキラ輝くオーラになってるじゃないか! こいつはまさに、感情が見えるようになった証拠だよ!」


「おやおや、君の顔が真っ赤だが、何か体調が悪いのかね? あるいは、特定の刺激に対する生理的反応と見るべきか? フッフッフッ、これは興味深いデータが取れそうだぞ」


博士の鋭い視線が、俺の顔とテレビ画面を往復する。彼の口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。彼は、俺の「好き」という感情がAIのデータに影響を与えていること、そしてその感情の源が目の前の部長であることまで完璧に見抜いていた。彼の好奇心は尽きない。まるで、目の前の俺たちの関係が、彼にとって最高のエンターテインメントであるかのように、その表情は愉快そのものだった。しかし、俺は、彼がそこまで見抜いていることには、この時まだ気づいていなかった。愉快そうに笑う博士の顔が、俺にはただの奇人に見えるだけだった。


部長は、そんな博士の言葉にも、俺の慌てぶりにも気づかず、画面の「光の粒子」や「オーラ」について熱心に分析しようとする。「これが感情の可視化に関係する可能性も……。しかし、なぜ私にだけこんなエフェクトがかかるのかしら?」彼女は、自分の魅力に全く無自覚な「恋とは遠い堅物」であり、まさか俺の好意から来ているとは夢にも思わない。彼女が「堅物」なのは、AI研究という広大で魅力的な分野に、その知性と情熱の全てを傾けているからだ。彼女にとって、AIは単なるプログラムやデータではなく、人間の知のフロンティアであり、未来を形作る無限の可能性を秘めた存在。その探求こそが、彼女の人生における最大の喜びであり、優先事項なのだ。そのため、恋愛や自身の感情といった、研究以外の事柄への意識が極めて低い状態にある。自身の心も「解析すべき複雑なデータ」と捉え、冷静であろうと努めている。 そして、そのオーラは、俺の感情の揺れに合わせて、まるで何かを理解しようとするかのように、微妙にその色合いを変えているようだった。


すると部長は、ふと「これでは見えにくいわね」と呟くと、手元に置いてあった眼鏡をかけ直した。眼鏡のレンズの奥で、彼女の瞳が再び知的に輝く。その瞬間、俺の全身から、張り詰めていた緊張がスッと抜けていくのを感じた。それに呼応するように、テレビ画面の光のオーラは落ち着き、俺の呼吸の乱れも、奇妙なほどに収まった。


特に、部長が眼鏡を外すたび、テレビ画面の光のオーラは一層輝きを増した。まるで、彼女の素顔が、俺の心を最も強く揺さぶるトリガーであるかのように。その時、俺の心臓は、普段眼鏡越しに話している時とは比べ物にならないほど激しく鳴り響くのだった。


結末:届かぬ想いと変わらない日々


意外な一面と深まる恋


数ヶ月が経った。AI研究部の活動は、俺の恋心と共に、静かに、しかし確実に続いていた。AIチップの精度はさらに向上し、俺の脳内の映像は、まるで高精細な映画のように鮮明になっていた。


ある日の放課後、俺は資料を取りに部室へ向かっていた。部室のドアに近づくと、中から微かな声が聞こえてくる。普段の部長の、あの冷静で淡々とした声とは違う、柔らかく、優しい響きのある声だった。


そっとドアの隙間から覗き込むと、部長が実験台の隅にある小さなケージを覗き込んでいた。ケージの中には、白い実験用マウスがちょこんと座っている。


「もう少しだからね。偉い子ね、ちゃんと頑張ってくれてるものね」


部長は、小さなマウスの頭を指先でそっと撫で、まるで幼い妹に語りかけるかのように、ふわりと微笑んだ。その表情は、普段の堅物な部長からは想像もつかない、優しい笑顔だった。眼鏡はかけておらず、その瞳は慈愛に満ちていた。そして、その時、部長の視線はマウスに注がれていて、部室のテレビ画面を見ていないことが明確だった。


俺の心臓は、またしても激しく跳ね上がった。普段の彼女からは全く想像できない、その優しい一面。俺は、またひとつ、彼女の魅力に気づいてしまった。テレビ画面には、眩いばかりの光を放つ部長の笑顔が映し出されていた。


最後の実験:感情の双方向性予測と冷徹な想いの拒絶


部長は相変わらず研究に没頭し、俺を「有能な被験者」として信頼してくれていた。時折、彼女が眼鏡を外し、疲れたように目を閉じたり、難しい論文を読みながら眉間にしわを寄せたりする瞬間を、俺はこっそり見つめていた。その度に、テレビ画面には、彼女の横顔が、優しい光に包まれて映し出される。俺の脳は、どんな瞬間も彼女を美しく捉えていた。


部長が、俺の前で無意識のうちに眼鏡を外す回数が増えていくのが分かった。まるで、俺を「研究の仲間」として、あるいは「心許せる存在」として、彼女が無自覚に受け入れているかのように。その小さな変化が、AIのデータには表れない、彼女の「素顔」を、俺だけにそっと見せているようだった。


博士は、そんな君と部長の姿を、相変わらず楽しそうに観察していた。ある日、彼はいつになく真剣な顔で、しかし目だけはキラキラと輝かせながら言った。


「フッフッフッ。いよいよ最後の実験だ。このAIの最終段階、**『感情の双方向性予測』**を試みる。つまり、君の感情が、部長にどのような影響を与えるかを、AIが理論的に予測するのだ」


俺の心臓が、ドクンと大きく鳴った。予測。つまり、もし俺が部長に告白したら、彼女がどう反応するかまで分かるということだろうか? 期待と、そして深い絶望が同時に胸をよぎる。


博士の指示で、俺は部長の向かいに座った。テレビ画面には、俺の視点から見た部長の姿が映し出されている。部長は、今、目の前で冷静な表情でデータ画面を見ている。


「よし、君。今、君の脳が最も強く『惹かれている』と感じることを、心の底から強くイメージしてみたまえ」


俺は目を閉じた。イメージしたのは、初めて部室で眼鏡を外した彼女を見た時のこと。手と手手をつないだ時の、あの柔らかな感触。そして、部活の帰り道、何気ない会話の中で、ふと見せた彼女の優しい笑顔。さらには、先日の、あの不意打ちで顔が近づいた時の、シャンプーの香りや、彼女の息遣い。そして、実験用マウスに優しく語りかける、あの誰も知らない優しい笑顔……。そして、あの温かい手作りのおにぎり。俺の「好き」という感情の全てを、彼女へと注ぎ込むように、強く、強く、念じた。


テレビ画面が、一瞬、真っ白な光に包まれた。そして、ゆっくりと映像が浮かび上がる。そこには、光り輝く部長の姿があった。彼女は優しく微笑み、俺に手を差し伸べている。それは、俺が夢にまで見た、最も理想的な彼女の姿だった。


しかし、その輝く映像の隣に、もう一つの小さな窓が現れた。そこには、AIが過去のデータから割り出した**『もし俺が告白した場合、未来の部長の感情がどう変化するか』という「予測結果」の生体反応データ**が、無機質に並んでいた。


表示されていたのは、専門家の部長ならすぐにピンとくるんだろうけど、俺にはさっぱりなデータだった。心拍数のグラフは全然波打たず平坦なままだし、嬉しいとか困るとかの感情の動きを示す脳波も、数字はゼロに近い。俺の脳が部長を見て出してた、あのキラキラした『好意の光のオーラ』に対応するデータなんて、どこにも見当たらなかったんだ。


「……博士、これって、結局どういうことなんですか?」


俺は、画面に釘付けになったまま、か細い声で尋ねた。心臓がドクドク鳴ってるのに、目の前の数字は感情ゼロって……もう頭の中がごちゃごちゃだった。


「フッフッフッ。おや、良い質問だ、君! 難しいことは抜きにして、シンプルに言おう」


博士は、いつものように愉快そうに笑いながら、でも目は真剣そのものだった。


「このAIの予測によるとだね、君のどんなに強い『好き』って感情も、部長の心には、残念ながら、これっぽっちも届かない、ということさ。 君がもし告白しても、彼女の心には何の波紋も起きない。簡単に言えば、感情的な反応がゼロ、ということだね」


博士の言葉は、回りくどい専門用語を一切使わず、俺の耳に直接飛び込んできた。その冷たい言葉は、複雑なグラフや数字よりも、はるかに深く、そして容赦なく、俺の心を突き刺した。まるで、俺の心臓を直接掴まれて、思い切り握り潰されるかのような、息苦しさを感じた。


画面に表示されたその冷徹な生体反応データは、今、目の前で冷静にモニターを見つめている部長の表情や佇まいとは全く異なる、「感情の灯りが完全に消えた未来の部長の状態」を、客観的に、そして揺るぎない事実として突きつけていた。


それは、AIが導き出した、あまりにも残酷な「俺の想いへの完全な無反応」という結論だった。


「なるほど、興味深い。人間は、やはり自分が願うように世界を見るものだな。そして、AIの予測は、時に現実を映し出す鏡となる。データは冷徹だ。感情の波紋は、必ずしも相手の心に届くわけではない。この結果は、**『恋という現象の複雑性』**を示す、貴重なデータとなるだろう」


俺は、繋いだままだった手を、思わず離しそうになった。部長は、今も変わらず冷静な表情で、二つの画面を見比べていた。


「この双方向性予測、まだ改善の余地がありそうですね。私の感情に関するデータが少なすぎたのかもしれません」


部長は、あくまでAIの「バグ」や「データ不足」としてこの結果を捉えていた。彼女の表情に、何の動揺も見られない。 俺の脳が映し出した、あの女神のような輝く彼女の映像が、ただの俺の「願望」に過ぎないことを、目の前の変わらない部長が、そして隣の無機質なデータが、突きつけていた。

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