森の中の出会い
村を出てから半日が過ぎた。森の中の道は思ったより険しく、時々道が分かりにくくなることもあった。でも、マルコさんの羅針盤のおかげで、方向を見失うことはなかった。
昼頃、小さな小川のそばで休憩することにした。荷物から水筒を取り出し、喉の渇きを癒す。おばあさんが作ってくれたパンも一切れ食べた。
「ここまで順調だな」
独り言を言いながら、周りを見回した。森は静かで、時々鳥のさえずりが聞こえるだけだ。
休憩を終え、再び歩き始めた。午後になると、森が少し暗くなってきた。木々が密集し、日光が遮られるようになった。
「ちょっと不気味だな...…」
そう思った瞬間、木の陰から何かが動くのが見えた。僕は反射的に剣の柄に手をやった。
「誰かいるのか?」
返事はなかったが、また何かが動いた。今度ははっきりと見えた。小さな影が木から木へと移動している。
「出てこい!」
僕は剣を抜いた。手が少し震えていた。
すると、木の陰から小さな生き物が現れた。それは……リスだった。
「あ...…ははは」
緊張が解けて、思わず笑ってしまった。リスは僕を一瞬見つめると、すぐに逃げていった。
「びっくりしたなぁ」
剣を鞘に戻し、歩き続けた。しかし、数歩進んだところで、また物音がした。今度は後ろから。
振り返ると、道の上に大きな影が立っていた。今度はーー人間ではなかった!
「うわっ!」
目の前にいたのは、大きな灰色の狼だった。いや、普通の狼ではない。その目は赤く光り、体は普通の狼の二倍はあった。
「魔物...…?」
僕は再び剣を抜いた。狼は低く唸り、僕を威嚇している。逃げれば追いかけてくるだろう。戦うしかない。
「来い!」
僕は剣を構えた。マルコさんとの訓練を思い出す。「恐れるな。剣は体の一部だ」
狼が飛びかかってきた。僕は咄嗟に身をかわし、剣を振るった。しかし、狼は素早く、僕の攻撃をかわした。
「くそっ!」
狼は再び襲いかかってきた。今度は正面から。僕は剣を構え、狼の動きを見極めようとした。
狼が跳躍した瞬間、僕は剣を突き出した。剣先が狼の肩をかすめ、血が飛び散った。
「やった!」
しかし、狼は怯まなかった。むしろ、怒りを増したようだ。再び襲いかかってくる。
僕は必死で応戦した。しかし、狼の攻撃は激しく、徐々に押されていった。足が木の根に引っかかり、僕はバランスを崩した。
「あっ!」
倒れた僕に向かって、狼が牙をむき出しにして飛びかかってきた。
その時だったーー。
「ッ!」
鋭い風切り音と共に、何かが狼の横腹に命中した。狼は悲鳴を上げ、地面に倒れた。
「大丈夫?」
声がした。振り向くと、一人の少女が立っていた。彼女は弓を持ち、もう一本の矢を番えていた。
「え...…ええ」
僕は立ち上がった。狼は地面に倒れたまま、動かなくなっていた。
「危ないところだったね。この森は最近、魔物が増えているんだ」
少女は弓を下げ、僕に近づいてきた。彼女は僕と同じくらいの年齢で、茶色の髪を後ろで結んでいた。その髪は朝日を受けて、ところどころ琥珀色に輝いていた。すらりとした姿に合わせて、動きには森の生き物のような軽やかさがあった。
彼女の目は深い緑色で、森の奥深くにある静かな湖を思わせた。その瞳には知性と優しさが宿り、まっすぐに僕を見つめていた。頬には健康的な薄紅色が差し、長い睫毛が印象的だった。
「ありがとう。助けてくれて」
「どういたしまして。私はリナ。グリーンリーフから来たの」
「僕はアルト。実は、グリーンリーフに向かっているところなんだ」
「そうなんだ!じゃあ、一緒に行こう。私も帰るところだったから」
リナは明るく笑った。その笑顔に、僕は少し緊張が解けた。
「でも、その前に...…」
リナは倒れた狼に近づき、矢を抜いた。
「この魔物の牙は薬の材料になるんだ。ちょっと待っててね」
リナは手際よく狼の牙を抜き取った。僕は少し驚いたが、冒険者ならそういうことも必要なのだろう。
「じゃあ、行こうか」
リナは立ち上がり、道を指さした。
「グリーンリーフまではまだ二日ほどかかるけど、途中に小さな宿場があるの。今日はそこまで行けるといいね」
僕はうなずき、リナについて歩き始めた。彼女は僕より少し小柄だったが、足取りは軽く、森の中を歩き慣れている様子だった。
「アルト、どうしてグリーンリーフに行くの?」
「冒険者になるつもりなんだ」
「へえ!私も冒険者だよ。まだFランクだけどね」
「Fランク?」
「ああ、冒険者にはランクがあるんだ。一番下がFで、それからE、D、C、B、A、Sと上がっていくの。私はまだ始めたばかりだから、Fランクなんだ」
僕は感心した。リナは僕と同じくらいの年齢なのに、すでに冒険者として活動している。
「どうやってなるの?その、冒険者に」
「まずはギルドに登録して、簡単な試験を受けるんだ。基本的な知識と、少しだけ実技テストがあるよ」
「実技?」
「うん、剣の扱いとか、魔物の知識とか。でも、難しくないから大丈夫だよ」
リナは僕の剣を見て、微笑んだ。
「その剣の扱い方を見る限り、あなたはきっと大丈夫。あの魔物に対して、よく戦っていたよ」
「ありがとう。でも、君が助けてくれなかったら...…」
「それが冒険者の世界だよ。一人では限界があるから、仲間が大事なんだ」
リナの言葉は明るかったが、どこか深い意味を感じた。
「リナは一人で旅してるの?」
「今回は短い依頼だったから。普段はパーティを組んでいるよ。でも、みんな別の依頼で忙しくて」
二人で歩きながら、リナは冒険者の生活について話してくれた。依頼の種類や、報酬のこと、危険な目に遭った話など。僕は興味深く聞いていた。
「あ、そうだ。アルトはどこから来たの?」
「小さな村からだよ。ウィローベイルっていう」
「聞いたことないな。珍しい地域から来たんだね」
僕は少し考えた。村のことを話すべきか迷った。でも、リナは僕を助けてくれた人だ。
「実は…...村では少し居づらかったんだ」
「どうして?」
「僕は...…見た目が少し違うから」
リナは立ち止まり、僕をじっと見た。
「見た目?」
僕は少し躊躇した後、帽子を少し持ち上げ、紫がかった髪を見せた。
「髪の色が普通じゃないんだ。それに...」
目薬の効果が切れかけていたのか、僕の目が少し赤く光った。リナは驚いたように目を見開いた。
「わあ、すごい!」
予想外の反応に、僕は戸惑った。
「すごい...…?」
「うん!その髪と目、とっても綺麗!なんで隠してるの?」
「村では...…『魔物の子』って呼ばれてたんだ」
リナの表情が曇った。
「そうか...…辛かったね」
「うん、だから普段はできるだけ隠しているんだ」
「でも、グリーンリーフなら大丈夫だよ。あそこには色々な人がいるから。エルフや獣人だっているんだよ!」
リナの言葉に、僕は少し希望を感じた。
「本当に?」
「うん、本当だよ。それに...…」
リナは少し照れたように笑った。
「私は、あなたの髪と目、素敵だと思う」
僕は顔が熱くなるのを感じた。こんな風に褒められたのは初めてだった。
「あ、ありがとう」
二人はまた歩き始めた。夕方になり、空が徐々に赤く染まっていくーー。
「あそこだよ」
リナが指さす方向に、小さな宿場が見えてきた。数軒の家と、一つの宿屋がある程度の場所だ。
「今日はここで休もう。明日はもっと長い道のりになるから」
宿屋に入ると、中は意外と賑やかだった。旅人や商人たちが食事をしたり、酒を飲んだりしている。
「二人分の部屋をお願いします」
リナはカウンターの主人に声をかけた。
「悪いね、一人分の料金は僕が...…」
「大丈夫だよ。これも冒険者の仕事の一部。それに、私はちょうど大き目な依頼を終えたところだから、お金はあるんだ」
リナは微笑み、主人から鍵を受け取った。
「さあ、まずは夕食にしよう。旅の疲れを癒すには、温かい食事が一番だよ」
その夜、僕とリナは宿の食堂で夕食を取った。シチューとパン、それに地元の果実酒。シンプルだが、温かくて美味しい食事だった。
「明日は朝早く出発しよう。グリーンリーフまでは長い道のりだけど、頑張れば夕方には着くはずだよ」
リナは言いながら、大きなあくびをした。
「疲れたみたいだね」
「うん、今日は朝から森の中を歩き回ってたから。でも、アルトに会えて良かった」
「僕こそ。君に助けられなかったら、あの魔物に...…」
「そんなことないよ。あなたは強いもの。ただ、まだ経験が足りないだけ」
リナの言葉は優しく、僕の心に染みた。
「さあ、休もう。明日は長い一日になるよ」
部屋に戻り、僕たちはそれぞれのベッドに横になった。窓の外では、満月が明るく輝いていた。
「おやすみ、アルト」
「おやすみ、リナ」
僕は目を閉じた。今日一日の出来事が頭の中を駆け巡る。村を出て、魔物と戦い、リナと出会った。これが冒険の始まりなんだ。
そう思いながら、僕は静かに眠りについた。