仲間の命
森の中を疾走するセリアの足音は、落ち葉を踏む音さえほとんど立てなかった。エルフ特有の軽やかな動きで、彼女は木々の間を縫うように進んでいく。長い金髪が風に揺れ、尖った耳は周囲の微かな物音も逃さない。
「3人とも無事でいて……」
心の中で祈りながら、セリアは全力で駆け続けた。その表情は普段の穏やかさを失っていた。
魔王軍の存在。それは単なる魔物の出現とは比べものにならない脅威だ。グリーンリーフは今、大きな危機に直面している。一刻も早く知らせなければ。
森を抜け、開けた平原に出ると、遠くにグリーンリーフの城壁が見えてきた。セリアは息を切らしながらも、速度を緩めなかった。
「開けて!緊急事態です!」
東門に到着したセリアは、門番に向かって叫んだ。彼女の切迫した様子に、門番たちは素早く反応し、門を開けた。
「どうした?何があった?」
「魔王軍が東の森に陣を敷いています!すぐにギルドと駐在兵に報告しなければ!」
門番の顔から血の気が引く。彼は仲間にすぐに報告を上げるよう指示した。
セリアは休む間もなく、ギルドへと急いだ。街の人々は彼女の慌ただしい様子に驚いた顔を向けるが、彼女にはそんな余裕はなかった。
ギルドに飛び込むと、ホールにいた冒険者たちが一斉にセリアを見た。彼女の姿は汗と土で汚れ、その表情には普段では決して見せない異常性があった。
「エレナさん!大変です!」
カウンターにいたエレナが顔を上げた。
「セリア?どうしたの?アルトたちは?」
「魔王軍です!東の森に大勢の魔族が陣を敷いています!アルトたちは……まだ森の中です」
セリアの言葉に、ホール全体が静まり返った。エレナの表情が一瞬で変わる。
「魔王軍……確かなの?」
「間違いありません。私の目で見ました。黒い鎧を着た上官らしき魔族もいました」
エレナは即座に立ち上がり、ギルドの奥へと走った。すぐに彼女は戻ってきて、何人かの上級冒険者たちを呼び集めた。
「緊急事態よ。セリアの報告によれば、魔王軍が東の森に侵入しているわ。すぐに対策を講じなければならないわね」
招集された者達は不平不満を言わず真剣な眼差しで耳を傾けていた。エレナへの絶対の信頼を感じさせるものだった。
「敵軍の偵察と、可能であれば3人の救出を目標としてすぐに動きましょう。遅くなると王国軍から圧力がかかる可能性もあるから、少数精鋭で。セリアが来る前に森の異変調査という名目で依頼を受けたことにするわね」
「私も行きます!」
セリアは声を張って主張した。
「セリア、あなたは疲れているわ。まずは休んで」
「いいえ、仲間を置いてきたのは私です。必ず救出しないといけません」
エレナは少し考えるようなしぐさをすると、大きなため息をついた。
恐らくセリアは単独でも戻ろうとするだろう。
「わかったわ。でも、まずは休息を。救援隊は半時後に出発するから」
セリアはありがとう、と言いながら力が抜けたのか床にしゃがみこんだ。
体は疲れていても心は仲間のことで一杯だった。
「アルト、リナ、グラム……無事でいて」
一時間後、急ごしらえの偵察チームが東門に集結した。Aランクの冒険者を中心に、十数名の精鋭たちが武装して待機していた。事前に3~5人1組になって簡単な班分けがされ、役割を振り分けられていた。セリアもその中に混じっており、彼女は案内を任されていた。
「出発するぞ!」
隊長の号令と共に、救援隊は東の森へと向かった。
森に入ると、救援隊は慎重に進んだ。セリアの案内で、彼女が仲間と別れた場所へと向かう。しかし、そこには誰もいなかった。
「ここが私が最後に仲間と別れた場所です」
セリアは周囲を見回した。地面には足跡や戦いの痕跡が残っている。黒く焦げた地面、折れた木々、そして……血痕。
「戦いがあったな」
A級冒険者の隊長が地面を調べた。
「これは……仲間の血かもしれません」
セリアは震える手で地面の血痕に触れた。その量は多くはないが、確かに戦いがあったことを示していた。
「痕跡を追おう」
いくつかの足跡が残っており、踏み荒らされるように草が倒れ、ぬかるんだ地面がえぐれていた。また折れた弓矢が落ちており、リナが放ったものだろうと考えられた。
「これは……」
隊長はその戦いの激しさを読み取り、渋い顔をする。戦闘が起きてしまった場合に少数の、それもD、Fランクの冒険者が多数の魔族に敵うとは考えにくいからだ。
「グラム!」
セリアが叫んだ。茂みの向こうに、大きな体が横たわっているのが見える。救援隊は急いでそちらに向かった。
グラムは大きな木の根元に倒れていた。その体は腹部を中心に黒く焦げ、皮膚は赤く爛れていた。急いで近寄ると呼吸は弱々しいものの、生きていることを確認できた。
「グラム!しっかりして!」
セリアは彼の側に膝をつき、治療の魔法を唱え始めた。彼女の手から緑色の光が広がり、グラムの傷を包み込んだ。表面的なやけど自体はその神秘の力で治まるものの、内傷や失われた血、体力はすぐには治らない。
「生きている……だが、重傷だ」
隊長はそう言うと、他の班から合流した体格の良い冒険者に指示を出す。
「すぐに町に戻らなければ」
二人の冒険者がグラムを服と木で作った簡易的な担架に乗せた。彼の体は大きく重いため、相応に大きな作りと屈強な者が運ぶこととなった。
「アルトとリナは?」
セリアは周囲を見回すが見当たらない。
隊長は場数からなのか、すっと立ち上がると森の奥を指し示した。
「足跡はこちらに続いている。おそらく捕らえられたのだろう」
隊長の言葉に、セリアは沈痛な表情をする。魔族、それは人間を始めとしてエルフ、獣人、その他人族と長年争ってきた悍ましい化け物だ。そんな連中に捕らえられてしまったら、一体どうなってしまうのか。
「追いかけましょう!」
思わずそう提案するが、隊長が落ち着いた様子で首を横に振った。
「いや、まずはグラムを安全な場所に。魔王軍の本隊に少人数で挑むのは自殺行為だ。その後に更に数人で偵察を行ってくる。お前たちは町に戻り状況を伝えてくれ」
セリアは悔しそうに唇を噛んだが、隊長の判断が正しいことを理解していた。
「わかりました……でも、必ず助けたいんです」
「ああ、そうだな……」
救援隊はグラムを担いで町へと戻り始めた。セリアは最後に森の奥を見つめ、小さく呟いた。
「待っていて、必ず助けに行くから……」
グリーンリーフに戻ると、町は既に非常事態に入っていた。城壁の警備が強化され、市民たちは不安そうに街の様子を見守っていた。
グラムはすぐに協会にある治療院に運ばれ、治療師たちが彼の治療に当たった。セリアは部屋の外であたりが暗くなっても待ち続けていた。
ガチャリという音とともに扉が開き、治療師が出てくる。
「どうですか?」
セリアが治療師に尋ねた。
「危険な状態からはひとまず脱しました。命に別状はありません。彼は獣人族ですから、人間よりも生命力があるはずです」
その言葉に、セリアはほっと息をついた。彼女の使える回復魔法は強力なものだが、骨や血管、筋肉の結合などは専門的な知識と卓越した魔法の技術が必要なため、こうした時には祈ることしか出来ないのだ。
「リナ、アルト……」
見つけられなかった二人の仲間を考えながら、自分の不甲斐なさに頭を垂れるしかなかった。
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