魔族の陣営
暗い森の中を、魔族の一団が進んでいく。僕とリナは両手を縛られ、魔族たちに囲まれながら歩かされていた。グラムは意識を失ったまま、あの場所に置き去りにされた。
「グラムは大丈夫なのかな……」
リナが小声で心配そうに呟いた。彼女の目には不安と恐怖が宿っていた。
「きっと……大丈夫だよ」
僕は自信なさげに答えた。実際のところ、グラムの状態は深刻に見えた。黒い炎による火傷が体の一部を覆い、呼吸も弱々しい。あの場に倒れたまま、動かなかった。
「黙れ人間ども」
後ろから魔族の兵士が槍の柄で背中を突いてくる。鈍い痛みが走る。
僕は黙って前を向き、歩き続けた。頭の中は混乱していた。あの魔族が言った言葉が頭から離れない。
『お前の目……こちらの血族の者だろう?』
それは単なる侮辱ではなく、何か確信めいたものを感じた。なによりも最近になって使えるようになった紫の光の魔法。あの力は確かに人間のものとは思えない。僕は何者なんだろう?魔族なのだろうか。
「アルト……」
リナの声が聞こえた。彼女は心配そうな目でこちらを見ていた。
「大丈夫」
僕は微笑もうとしたが、それは引きつった表情になっただけだった。
やがて一行は森の奥にある開けた場所に到着した。そこには大きなテントが何十も並び、多くの魔族が行き来していた。中央には特に大きなテントがあり、その前には魔族の兵士たちが整列していた。
「貴様らには聞くことがある」
そういって先導する魔将軍の後ろ姿と、それに続くようへと槍の穂先で促される。
「くそっ……」
どうすることもできず小さく毒づく。状況を悪化させるわけにはいかない。
テントの中は意外に明るく、中央には大きな机が置かれていた。その向こうに、ひときわ大きな魔族、先ほどの将軍が立っていた。近くで見ると、その威圧感はさらに強烈だった。
「跪け、人間ども」
魔族の兵士が僕たち二人の肩を押し、強制的に膝をつかせた。
「……」
将軍はゆっくりと歩み出て、僕の前に立った。顔を上げずとも上からじっとりと観察しているのを感じる。
「……魔法を使ったのはお前か」
出来る限り時間を稼ぎたい。そう思い黙っていると再度問いかけられる。
「答えろ」
「……はい」
僕は小さく答えた。
「……」
将軍は僕の周りをゆっくりと歩き回った。その目は僕の髪と目に注がれていた。
「帽子を取れ」
恐らく下手に動いたら殺されるであろう殺気に当てられながら、そっと帽子を外した。紫がかった髪が露わになってしまう。
「ふん、おい」
兵士に目配せをすると、用意してあったのか水の入った桶を持ってこさせる。目の前にドンと置かれたその中に、頭を押し付けるようにねじ込まれた。息をしっかりと止めるが、鼻から少し入ってしまいむせかえる。
「やめて!」
リナの悲鳴にも似た声が心に刺さる。
咳き込むのが止まると再度顔を水に入れられる。拷問にしてはぬるいな、などと不思議と冷静に考えられた。これはそう、目を洗われたんだ。
数度繰り返すと将軍は満足そうに頷いた。
「上手く隠していたようだな……。なぜ森にいた」
それは質問というより、命令のような口調だった。
「森の調査です……。魔物の動きが活発になっていると聞いて」
「嘘をつくな」
静寂の中で行われる尋問は息遣いでさえ重く思えた。
「本当です!冒険者ギルドからの依頼で……」
「……斥候か?」
「違います!僕たちは単なる冒険者です」
将軍は僕の顔をじっと見つめた。その目には疑念と何か別のものが混ざっていた。
「……お前たちは何人いた?」
「あの場にいた3人だけです」
「……仲間はいないのか?」
ーーセリアがいたことをばれてはいけない。
「いません」
将軍の目が鋭く光った。にやりと口角が上がる。
「嘘だな」
「本当です!僕たちだけで……」
知りたいことは知れたとでも言うよう目線を外すと、将軍は僕の言葉を遮った。
「お前がなぜ今日まで人間などと一緒に生きてきたのか、理解に苦しむ。隠していたのだろう?」
「え?」
「……両親はすでに生き絶えているはずだ」
この魔族はいったい何を知っているのだろう。
「我が名はザルガス」
将軍は初めて自分の名を名乗った。不思議と先ほどまでの圧は薄くなり、どこか哀悼するような悲しげな眼をしている。
「……お前は我々の、魔族の同胞だ」
その言葉に、テント内が静まり返った。リナは驚いた表情で僕を見ていた。
「嘘だ……僕は人間だ!」
僕は必死に否定した。しかし、心の奥では、それが真実かもしれないという思いが膨らんでいた。あの力、あの感覚……人間のものではないと薄々感じていた。
「……」
ザルガスは黙って僕を見ていた。
「……お前は価値がある」
「何のために……?」
ザルガスは答えず、部下に向かって命令を下した。
「……この者を別のテントに移せ。女は捕虜として扱え」
「はい、将軍様」
「待ってくれ!リナをどうするつもりだ!」
僕は抵抗しようとしたが、すぐに魔族の兵士に押さえつけられた。
「……殺しはしない。お前が大人しくしていればだがな」
ザルガスの言葉には脅しが込められていた。
「アルト!」
リナが叫んだ。彼女の目には恐怖と心配が混ざっていた。
「大丈夫、きっと助けるからーー」
その言葉が届く前に、リナは別の魔族に引きずられるようにしてテントから連れ出された。
すぐに僕も別のテントへと連行された。そのテントは他のものより少し良い作りで、中には簡素なベッドと机、椅子が置かれていた。
「ここで大人しくしていろ。逃げようとしても無駄だ。入口で見張っているからな。まったく、将軍はこんなガキをなんで……」
魔族の兵士はぶつくさと文句を言いながら出て行った。テントの入り口には二人の兵士が立っている。逃げるのは確かに難しそうだ。
僕はベッドに座り、頭を抱えた。心の中は混乱と疑念でいっぱいだった。
「僕は……魔族なのか?」
その考えは今までも頭をよぎったことはあった。村での孤独、異質な外見、そして最近の魔力の暴走。すべてが繋がるように思える。
しかし、魔族の血を引いているとしても、自分は人間として育ってきた。マルタおばあさんやマルコさんに育てられ、人間の心を持っている。それは変わらない事実だが、それでもぐるぐると同じ思考が止まらない。
「結局この力は……」
僕は自分の手のひらを見つめた。そこから紫の光が淡く灯る。この力は確かに人間のものではない。エレナさんも言っていた。『魔族由来の魔力に似ている』と。
「リナ……グラム……」
仲間のことを思うと胸が痛んだ。二人を危険にさらしてしまった。特にグラムの怪我は深刻だ。彼が無事であることを祈るしかない。
「セリアは無事に町に戻れただろうか……」
もしセリアが無事なら、彼女がギルドに報告し、救援が来るかもしれない。しかし、この魔族の数を考えると助けに戻ってくることの方が危険だ。どうにかリナとグラムだけでも……。
僕は立ち上がり、テントの中を歩き回った。何か脱出の手がかりはないか探す。しかし、テントは頑丈に作られており、簡単に破ることはできそうにない。
「どうすれば……」
その時、テントの入り口が開き、一人の魔族が入ってきた。
「やあ、私はヴェルザー。魔王軍の参謀兼学者だよ」
ヴェルザーは穏やかな声で自己紹介した。その態度には敵意を感じられない。
彼は他の魔族とは違い、どこか知的な印象だった。服装は甲冑ではなくローブを来ており、先ほどの魔術師と思しき魔族よりも軽装だ。
「何の用だ?」
僕は警戒しながら尋ねた。
「話がしたくてね。魔族と人間の混血児は稀なんだ。その中でも君のような特徴を持つものは殆どいない。非常に珍しいのさ」
ヴェルザーはこちらの反応を観察しながら、間を空けてゆっくりと話を続けた。
「私の知る限り、紫髪に赤眼の特徴は200年前には存在している。そしてその血筋は途絶えたと思われていた。今、君の存在はその血筋が生き残っていたことを示している」
「200年前……?」
僕は思わず聞き返した。
「そう、200年前。まだ人間と魔族がお互いに手を取り合っていた時代の話さ」
魔族と人間が?突拍子のない話に理解が追い付かない。村にいてもそんな話をしている人はいなかった。
ヴェルザーはいつの間にか備え付けられていたベッドに腰かけている。
「それは……本当に?」
「人間達は都合の悪い歴史はすべて消しているだろうから、知らないのも無理はないよ。魔族でもそれを認めない者も多いわけでね。前置きはこの程度で。手っ取り早くいこうか、君の血を調べさせてほしい」
ヴェルザーは僕に近づいた。
「私を信じる必要はない。でも知りたいだろう?」
僕は黙っていた。確かに知りたい。自分が何者なのか、なぜこのような力を持っているのか。しかし、その真実が自分を変えてしまうのではないかという恐れもあった。
「僕の友人たちは……?」
「獣人は……死んだかもしれない。女の方は捕虜として扱われているけど、少なくともしばらくは危害を加えられないはずだね」
ヴェルザーの言葉に、僕は胸が締め付けられるような痛みを感じた。グラムはーーいや、きっとそんなはずはない。
「なぜ教えてくれる?」
「私は学者だからさ。戦争に興味なんて……おっと、これは言うべきじゃないね。知識を求め、真実を明らかにすることが私の全てだ。そして、君のような存在は非常に興味深い研究対象というわけだ」
ヴェルザーの目には純粋な好奇心が宿っていた。
「じゃあ、ザルガス将軍は……僕に何を望んでいるんだ?」
「それは、複雑と言えるね」
ヴェルザーは少し言葉を選ぶように間を置いた。
「将軍は魔王に忠実な方だ。そして魔王は……人間界への侵攻を計画している」
「侵攻?」
「そう。長年の対立に終止符を打つための大規模な作戦だ。しかし、君という存在がいればーー」
「僕は協力しない」
「それは分かっている。私が提案できるのは別の選択肢だよ。君が我々と共に来るならば捕虜の女程度なら命を助けることもできるだろう。」
ヴェルザーの言葉は残酷な事実を突きつけた。僕には選択肢がない。友人たちを守るためには、魔族の言うことを聞くしかないのかもしれない。
「時間はある。考えるといいさ」
そう言い残して、ヴェルザーはテントを出て行った。
再びベッドに座り、深く考え込む。自分の中の魔族の血。それは否定できない事実のように思えた。しかし、だからといって魔族の側につくわけにはいかない。
「僕は……僕だ」
血筋が何であれ、自分の心は変わらない。大切な人たちを守りたい。それだけだ。
そのままどれくらい時間が経ったのか、いつのまにか夜が更けていく。テントの外からは魔族たちの話し声や足音が聞こえてくる。明日は何が起こるのか。どうやって友人たちを救い出せばいいのか。
そして、自分の中に眠る真実とどう向き合えばいいのか——。




