10."化け物"は許せなかった
〈絵についての説明〉
aiに頑張って作ってもらいました。今回はミリュです。やっぱりaiに全部の要望聞いてもらえないもんですね……今回描いてもらったミリュは本来なら目が死んでいます。目にほとんど光がありません。ですが容姿をかなり似せることができたので投稿しました。アリスと同じく脳内でミリュ完全版にしておいてください。
朝日が差し込み、ベッドで眠るミリュの顔にも陽光が降り注ぐ。その眩さで彼女は目を少しずつ開け、起床した。彼女は上半身だけを起こし、まだ半身を掛け布団の中に入れたまま部屋を見回し、すぐさま状況を把握した。
「はぁ……私、あの後寝ちゃったのね」
ミリュはそう呟き、ベッドから降りようとしたがここで問題発生。
「そういえば私……裸足ね、それに靴下もないわ」
ベッドの下にあると思っていたのか、彼女はベッドの周りを少し見た後、ミリュはまたため息をついて「なら、だれか来るまで待たせてもらうわ」と呟いた。
どうやら靴はあったようだが、靴下がなかったようだ。彼女は掛け布団の中に頭以外を全て入れ、目を開けたまま、ぼーっとしていた。
二十分ほどそうしていただろうか、正確な時間はわからないが、それぐらい時間がたつと、不意に部屋の外から足跡が近づいてきた。
音を聞くに二人、足音の間隔からして、一人は子供くらいの身長、おそらくちーにゃだ。もう一人はちーにゃより身長が高いことと、性別が女なことだけはわかる。
なぜ彼女はこのように音だけで情報を把握することができるのか、それは、ミリュが師匠であるスーミス・ソムヌスがミリュにこの技を教えたからである。「やっぱり、何事も覚えておくべきね……」とミリュはつぶやきながら頭の中で記憶の中のスーミスに感謝をした。
彼女が二人が来るまでの間、
(そういえばスーミスさんがこの技を教えてくれた時に言っていた”そういう輩”というのは結局何だったのかしら?)
と考えていると、部屋のドアが開き、そこからちーにゃとリアナが現れた。
「あ!ミリュちゃんが起きてたのです!!」
「ほんとだ!!無事でよかった〜!」
ミリュは、(朝から騒がしいわね……)、と思いながらも二人に「おはよう」と告げ、続けて靴下がどこにあるかを聞いた。
すると、ちーにゃが「靴下は洗濯中なのです。乾くまで少し時間がいるのですが…………今はいいのです。あ!起きたのなら、これどうぞなのです!」と言い、ちーにゃが靴下が洗濯中であることを教えてくれる。
そして、手に持っていたフルーツバスケットの中から果物を取り出して、ミリュに渡してきた。
ミリュはそれを「ありがとう」と言って受け取り、皮をはいで食べ始めた。これはオレンティだ。橙色の実から出る甘酸っぱい柑橘類の果汁が喉を潤す。
余程喉が渇いていたのか、瑞々しい果実はとても美味しく感じられた。
それを食べ終わると、いつの間にかリアナが部屋から消えていた。ミリュはちーにゃがベッドの横にある棚の上においたフルーツバスケット内にあるブドリを取り出し、その紫に光る小さな果実を二個、三個と一気に口の中に入れる。おいしい。
それらを頬張っていると、また扉が開き、今度は『英霊の影』のメンバー全員が部屋の中に入ってきた。
後から聞いた話だが、アリスは朝早くに昨日の夕食代を置いて出ていったそうだ。ミリュは今頬張っているフルーツを飲み込んだ後、部屋に入ってきた皆に「おはよう」と、声をかけた。
すると、クレスが心配そうな顔で「大丈夫でしたか?昨日何が起きたか覚えていますか?」とミリュに聞く。
「ええ、昨日は確かシトウ・ユーマの精神の内側に入って……危うく死にかけたわ、でも、どうして生き残ったのかがわからない……何か知ってる?」
ミリュがそう聞くと、クレスが光化させていた杖を取り出し、「私……魔法使いなんです」と言い、続けて、「解除魔法のリベラーレをかけてたんですけど……全然効果がなくて……それで右往左往してたら急にユーマさんの体が発光しまして……その光がミリュさんの体に入っていったあと、すぐにミリュさんが呻いていたので生きていることが確認できました。なぜあの時だけリベラーレが効いたのかはわかりませんが……」と言った。
ミリュは顎に手を当てて考えるような仕草を三秒ほどした後、ハッと何か気づいたように目を見開き、「もしかして、冥界に旅経つ直前だったからリベラーレが効いた…………?」と言う。
部屋の中にいるメンバーの大半は『何を言っているかわからない』といった感じだったが、クレスとちーにゃだけはミリュが何を言いたかったか理解したらしい。
「確かに……冥界に帰す前なら…………でもそれはタイミングが直前でぴったり合わないとできないと思われるのですが……」
「そうですね……あの時私は無我夢中でリベラーレを放っていましたからそれでどこかのタイミングでぴったり当てはまったのではないでしょうか……」
要約すると、ミリュがユーマの精神に殺される前に、魂が死後の世界に帰るため、ミリュの魂がユーマの体から抜け出し、その瞬間、タイミングよくミリュの体に魂が戻ったという話だ。
ちーにゃとミリュが見解を話しているのを見ながら、ミリュは他のメンバーに「それで、シトウ・ユーマは、今どうしてるの?」と聞く。リアナがそれに、「えっとね、昨日の夜に一度様子を見に行ったんだけど、怖いくらいに静かだったよ」と答える。
ミリュは安堵しながら、「良かったわ、あなたたちが言ったことが本当なら、コラプスス・メンティスはちゃんと効いたのね」と皆に返した。
「じゃあ、このフルーツを食べた後、一度"あれ"の様子を見に行くわ」と、ミリュは部屋にいる皆に言い、食事をするため、皆に部屋を出て行ってもらった。
フルーツを食べ終わった後、丁度良いタイミングでちーにゃが靴下を持ってきてくれた。
そのままミリュは、靴下と靴を穿いて、魔法使いであるクレスとちーにゃとともにユーマが捕らえられている牢へ歩いて行った。
牢のある地下にたどり着くと、昨日は夜に雨が降っていたのかポタポタと雫が落ちる音が一定の間隔で鳴り響いている。
三人は牢のカギを開け、牢の中に入った。
牢の中には相も変わらずシトウ・ユーマが拘束されていた。ミリュは思わず「化け物……」とつぶやいてしまったが、どうやら他の二人には聞こえなかったようだ。
ミリュはユーマの顔を覗き込んだ。
「これは……起きているわね」
ミリュがユーマの顔を覗き込むと、ミリュはユーマが起きている確証を得た。
だが、起きているというのに昨日のように暴れだしたりしない、これは昨日のコラプスス・メンティスがちゃんとその効果を発揮している証拠だ。
その証拠に、ユーマの目からハイライトが失われ、虚ろな目をしているが目を開けている。
目を開けたまま寝る人もいるようだが、これの場合は違う、なぜなら、ミリュの言葉に反応して、目くばせをしたからだ。これが眠っていないという動かぬ証拠だ。
「ちゃんとコラプスス・メンティスが発動しているわね、それじゃあ、上に戻りましょうか」
と、ミリュが二人に言うと、クレスが冷静な声で「やっぱり…………ユーマさんを元に戻さないんですね」とミリュに言う。
まるでわかっていたかのようなクレスの喋り方にミリュは眉をひそめた。
続けてクレスは「昨日、ミリュさんが自分がまだ精神の内側にいたのに、精神崩壊の魔法を使うなんて、余程の非常事態じゃなきゃありえないと思ったんです。そして、昨日ユーマさんの精神の内側で、その非常事態が起きてしまったことがわかりました」クレスはミリュの目を真っ直ぐに見つめて、「教えてください、昨日、ユーマさんの精神の内側で、何を見たんですか?」そう、言い切った。
少しの間、三人の間に時が止まったかのような静寂が訪れた。それは長かったようにも短かったようにも感じられたが、水が滴る音とともに時が動き出す。
ミリュは「昨日、シトウ・ユーマの精神の内側で何を見たのか、だったわよね」と、前置きをしてクレスを見つめて返して言う。
「私が見たのは」
”正真正銘の化け物よ”と。
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「…………化け物?」
クレスがそう聞き返すと、ミリュはコクリとうなづき、「シトウ・ユーマは、私の精神魔法じゃ治せない」と続け、それに対してちーにゃが「治せない?なぜなのですか?」と聞く。
ちーにゃのその質問に、ミリュは「あれは、もう壊れ切っている。精神魔法では治せないくらいにね……」と答えた。
今のユーマの精神状態は今、異常だ。たかだか一度裏切られた程度ではこうはならない。だが、『英霊の影』のメンバーからの話を聞く限り、集団にそれも、仲間だと思っていた人たちに罠にはめられ『殺されかけた』と彼が感じているのが彼がこのような異常状態になった一番の理由だろう。
そして、その不安定な精神状態のまま、モンスターと命の取り合いをしたことにより、なにかに拍車がかかり、トドメを刺された。と考えるのが妥当だろう。昨日の精神の内側で見た光景から察するに、『血』がトドメを指したのだろうが……
ミリュは、その考えを元にあることを考えていた。それは……
「でも、一つだけ、直す方法がある」とミリュは言い、ミリュが最後まで言い切る前にクレスが「自分で気づくこと……ですね」と言った。
ミリュはクレスの考えに「ええ」と肯定してからユーマの方を向いた。
「だから、本当ならここでテラピア・メンティスをかけて精神崩壊を治すのがいいのだけれど…………私には、得策だとは思えないの」
クレスはそんなミリュを見て、「なぜですか?」と聞く。ミリュは「私は、シトウ・ユーマが一生をかけても……この状態から抜け出せると思えない」と答えた。
ちーにゃはミリュのその答えを聞いて「ではどうするのですか?」と言う。
その瞬間、ミリュの目に影が宿り、「私はこのまま安楽死させたほうがいいと思う。ここでずっと監禁するわけにもいかないしね」と残忍な顔で告げた。
ちーにゃはその答えを聞き、顔を蒼白させ、ミリュに怒鳴ろうとした。だが、その前にクレスが「ミリュさんは……ユーマさんの精神の内側を見てきたからそう思うのだと思いますが…………私はそれを得策ではないと思います!」と遮った。
続けて、クレスは「だって……死んだらそこまでじゃないですか」となにやら含みのある言い方でミリュに言う。ちーにゃもそれに賛同するように「そうなのです」と言う。
ミリュはそんな二人を見てため息をつき、「なら、これをあなたたちはどうしたいの?」と問うた。
だが、二人とも対策は何も考えていなかったのだろう、顔を見つめあったまま黙りこくっている。
ミリュは「ほらね」と言い、続けて、「何も策がないなら、私が殺るわ、今すぐに」と言い、小さく何かをつぶやいてから光化させていた杖をその手に収め、そのままビッ!とキレのある動きでユーマの額に杖を突き付けた。
「もう…………手遅れなのよ……見たくなければ、顔をそむけてればいいわ」
ミリュは冷徹な顔を変えることなく魔法の詠唱を始めた。
「『雷鳴よ、我が周囲に集い、鋭き矢となりて、天の雷の力を纏い、閃光となり、闇を裂け、その矛』…………」
「まつでやんす!!」
ミリュが雷魔法、イラクリウム・アーチェの詠唱をしている最中、上からどたどたと声も動きもあわただしく走ってきたのは、ミグルであった。
ミリュはその声に反応し、思わず詠唱を途中で中断してしまった。それから、少し怒ったような口調で、背中越しに「何しに来たの?」と、ミグルに言う。
ミグルはその様子を見て一歩後ずさったが、すぐに「一度、精神治療をしてみないでやんすか?」と提案した。
ミリュはそんなミグルの言葉を聞いて、内心、『甘い男だわね』と思っていた。
だって、ユーマを起こしたら何が起こるかわからない。もしかすれば、ミグルにも危害が及ぶかもしれないし、最悪の場合第二の殺人鬼になる可能性もある。それを彼は考えられないのだろうか?
ミリュは小馬鹿にしたような顔でミグルを見つめる。
ミグルは震えながらも、右手を前につきだし、指を三本立てながら「三日、三日後でやんす、三日後に治らなければユーマをミリュのしたいようにすればいいでやんす。でも、その代わり三日、待ってほしいでやんす」と言った。
それを聞き、ミリュは、「愚問ね、三日で何ができるというのかしら?」とつぶやき、魔法の詠唱を再度始めようとした。だがミグルは話続ける。「早く判断することは確かに大事でやんすが……」
「なに?」
「でも、それはあったかもしれない未来を自ら手放すことになると思うでやんす!だから!」
”どうか、殺さないでくださいでやんす”
ミリュは始めてミグルの方を向いた。彼女は、泣きながら頭を下げるミグルを見て、ため息をつきながら何か考えるように黙った後、「はぁ…………三日……だけよ、なにかあったら承知しないから」と言い、ユーマにテラピア・メンティスを放ち、杖を光化させて戻っていった。
少しすると、ドアが開閉する音が鳴り、涙で前が見えなくなっているミグルは、ミリュが出ていったことを理解した。
それを確認した後、ミグルはほっと息をついて、「はぁ……でも三日って言ったでやんすが、どうすればいいんでやんすかね……」とつぶやいた。
それを見たクレスが「やっぱりですか……」と呟き、続けてミグルに「どうしましょうか……」と力なく言った。
ミグルはそんなクレスに、「でも、きっとどうにかなるでやんすよ」とユーマを見ながら言う。
それからミグルはクレスとちーにゃに牢から出て行ってもらい、ユーマと牢の中で二人きりにしてもらった。
二人が出ていった瞬間、彼はユーマの前で頭を下げ、謝罪を始めた。
「ごめんで……やんす……
でも仕方なかったでやんすよ。いや、仕方なくはないのでやんすが……まずは謝るでやんす。昨日俺たちがユーマと一緒に森に行ったとき、俺の仲間たちには『ユーマが単独でモンスターを倒す手伝いをしてくれ』って頼んだんでやんすよ……多分ユーマは俺たちと一緒にモンスター討伐をすると思ってたでやんすよね、でも違うかったんでやんす。俺が……きちんと全員に話が共有できていればこんなことにならずに…………ええい!しけたつらしてても何も変わらねぇ!ふぅ……少し熱が入りすぎたでやんすね。うるさかったでやんすか?ユーマ聞く出やんす……今、俺のせいで……ユーマが殺されそうになっているでやんす。ごめんなさいでやんす。だから……早く戻ってくるでやんす……ほら、聞こえてるんでやんすよね?さっきミリュがテラピア・メンティスを使ったから精神崩壊は治ってるはずでやんす………………だからもう…………起きて…………………っっ!…………はは、は、俺、何してるんでやんすかね、うだうだと言い訳だけ述べて……それでユーマを死なせるかもしれないのに……もう……誰も死なせないって誓ったのに……もう、誰も俺のせいで死なせないって…………もう、ミリュに言われた通り、手遅れなんでやんすかね?……………なにか…………何か答えてくれでやんすよ…………ユーマ!!………………答えて…………答えてくれよ!!」
ミグルは叫ぶが、聞こえるのは自分の声の反響のみだ。
「なにか…………答えてくれでやんす…………もう…………目の前の誰かを…………失いたく…………ないんでやんすよ…………」
ミグルは弱弱しい声でそう呟くが、返答は帰ってこない。ミグルは涙を腕で拭き「じゃあ、また来るでやんす……」と言い残して牢から去っていった。
◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆
”血が見たい”
「………………んぁ!!」
”血が見たい、血が見たい、血が見たい”
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
”血を見たい、舐めたい、飲んでみたい”
「うぐっ……はぁ……はぁ……」
”俺は強い、俺は弱く無い、負けない、負けない、負けない”
「うううう…………ううああっ!」
”誰もいない、誰もいない、一人、独り、孤独”
「んぐ…………ぐくぅ…………」
目を血走らせ、ギョロギョロと目を動かすその様子は、まさに狂人そのものだった。薄暗い牢の中、全身を縛られ、身体の自由がない彼はシトウ・ユーマだ。
辺りは静寂に包まれ、僅かに牢に刺す月明かりが今が夜であると告げている。
「ふぅぅぅぅぅ………………ふぅぅぅぅぅぅ」
どうにか枷を外そうとあがくが、それは無駄に終わる。ガタガタバタバタと音が響くが、それ以外の音は聞こえない。
「あぐ…………ぐぐぐ…………」
”腹が減った”
呻き声と同じタイミングで腹から音が鳴り、唐突に空腹感が押し寄せてくる。当然だろう。朝から……否、昨日から何も食べていないのだ。
肉が食いたい。
今は綺麗な焼き色がついた肉が食いたい。それにかぶりついて滴る肉汁、想像するだけで少し腹が膨れる…………はずもなかった。
ただそれは、空腹を煽るだけで、腹の虫がおさまるわけでもなかった。彼は、ただただ、静寂の中で呻いていた。
眠ろう。
そう考えたが、少しも眠くない。否、眠りすぎたせいで体が眠らせてくれないのだ。体力が有り余っているせいで少しも眠れない。
「ぐぐ………………ぎぎぎ…………」
彼は口に噛まされている猿轡をかみちぎろうとしたが、千切れる前に歯が音を上げた。当然だろう。猿轡とは口を塞ぐものなのだから簡単に噛みちぎれはしない。
フクロウの声が聞こえる。ホーホー、と。一定の間隔で。
”フクロウの肉を血を………………食いたい”
血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血、肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉、血肉――――――
あの赤い肉から滴る紅き血。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
見たい、肉を、しゃぶりたい、肉を、かっさきたい、肉を。そして、見たい、血を。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
鼓動が早くなり、興奮している。
否、震えている。
「あんあ?」
手が震え、足が震え、頭が震え、臓物が震え……体中が震えていた。喝采……そうか喜んでいるのか…………だがその満たされない喜びはフクロウが飛び立つ音とともに消えていく。
「うぐぐ…………」
小さな呻き声を漏らし、体が震え続ける。
”なぜだ?なぜだなぜだなぜだ?”
『本当に、狂気に満ちた目をしているわ……』
ミリュに憐れまれながらいわれた言葉が頭の中で反響する。
狂気?俺は正常だ。狂っている?何を言っている俺は正常だ。
あれ?あれ?なんだ…………これ……
牢の中に水たまりがあった。天井からポタポタと一滴ずつ落ちていた。いや、今はそんなことどうでもいい。
”これは……俺……なのか?”
その、水たまりに映る俺は、
”なんで……俺はこんな目で……こんな顔で笑っている?”
ケタケタと、目はキマっていて、口角を吊り上がらせ、猟奇的な目ではぁはぁと息を吐き、恍惚な表情で笑っている。いつも見ている自分ではないのに、自分だとわかる。
”これは……俺だ……”
「あ……あうぅぅ…………ひぃ……はぁ……はぁ……はぁ……」
なんだ…………これ、なんだこれ……なんだこれなんだこれなんだこれ!?
水?天井……じゃない、これは……涙?
なんで泣いている?なぜ涙が?なぜ…………
そうだ、血を……血を思い浮かべれば…………うぐっ…………
ゲボボ(自主規制)
猿轡と口の隙間から酸っぱいものが押し寄せてくる。股のあたりが生暖かい、失禁していた。涙が出る。汗が出ている。鼻水が出ている。体中の穴という穴から体液が出てくる。
”気持ち悪い、気持ち悪い…………きぼぢわるい……”
なんだ、なんでだ?なんでなんだ?
”血……うぐ……”
吐き気が押し寄せてくる。なんでだ?さっきまでは大丈夫だったのに。なんでだ?急にどうした。俺が俺じゃないみたいに……
俺が……俺じゃない?
そうだ。なんだ。そうなのか、いや、最初から気づいていたのかもしれない。
水たまりに浮かぶ俺の顔は、あの表情は、
”話に聞いた殺人鬼のような顔だった”
嗜虐性に取り憑かれ、泥酔に酔うような表情で、楽しそうで、それでいて気持ちの悪い顔。それは、俺が思い浮かべた殺人鬼と一致していた。
「いぎぃ……かはっ……ううぅ」
否定したくて、肯定したくなくて、逃げ出したくて、泣きたくて、認めたくなくて、彼はただただ呻いていた。
「はぁ……はぁ……ゔぐっ……はぁ…………」
先ほどまでの興奮した息遣いとは真逆で、絶望的な表情を浮かべた彼の口からはせわしなく、コヒューコヒューと息が吐かれ続ける。
過呼吸。
「ああ……あああ……あああああああああ!!!!!!!!」
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い
「ぐがあああ!!ああ……ああ……ああ……ああ……あああ!!!」
叫び、苦しみ、悶え、目も当てられない姿になり、それでもなお、苦しみ続ける。
なぜ?気持ち悪い、どうして?気持ち悪い。
なぜ、血を見て心地よく感じていた?なぜ、人を血袋だと感じていた?
分からない、判らない、解らない、理解らない。
「ああ…………ふくっ…………がはぁ」
また、吐いた。
酸っぱい、気持ち悪い、生暖かい。
不意に、明かりがつき、どたどたと誰かが走ってくる。
誰だ?来ないでくれ。今誰かに来られたら……
「――!!みなさん!!ユーマさんが!!」
階段をドタドタとうるさく下り、ユーマを一瞥してから大声で誰かを呼んだのは、クレスであった。
『英霊の影』のメンバーであり、同時に、俺を置いていった人、こいつは魔法使いだ。おそらくこいつが森の中に柵を出現させた張本人なのだろう。許せない……許せない!!
「あ!本当に起きてるのです!!ひぃ!」
俺がそちらを見ると、恐れおののくように悲鳴を上げたのはちーにゃだ。なぜここに?
「はっ……はっ……はっ!本当でやんす!!起きてるでやんす!!」
そう言って息を切らしながら走ってきたのは、ミグル、『英霊の影』のリーダー、許せない。裏切ったくせにこんなところに閉じ込めやがって。
「ユーマ!聞こえる!?リアナだよ!」
「ユーマさん!!自分のことがわかりますか?」
「ユーマ!正気に戻るんだ!」
リアナ、カリカルパ、ダイドの順番で俺に声をかけてきた。
でも……俺は……し……いや、正気じゃないな。狂ってる。だが、だからといってこいつらのやったことが許されるわけではない。
俺がおかしかったのは認めよう。だが、それとこれとは全く別の問題だ。
そんなことを考えている間に、彼らは牢の中に入ってきた。ちーにゃがどこからともなく水を出して、俺の全身を濡らした。俺の体は体液でドロドロで、かなりひどい状態だったからだ。
そして、俺の近くにクレスが近づいてきて、ゆっくりと猿轡を外した。
俺は猿轡が外れた瞬間、堰を切ったように"クズ共"に向けて罵倒の言葉を吐いた。
「は!お前ら、俺を裏切ったくせに今更何様だよ!!あぁ!?冒険者初心者の俺を嵌めて……楽しかったか!?楽しかっただろうな!!なあ答えろよ!!人間の……いや人間以下だぜ!!このクズ共が!!」
クズ共は俺の声を黙って聞いていた。
「おいおいだんまりか?黙秘権を行使すれば何からでも逃げられるわけじゃねえんだよ!何か喋れよ!!なあ!ミグル!!冒険者ギルドで俺を見つけたとき、カモを見つけたと思ったんだろ!?あぁ!?なあ!!カリカルパ!!鉄球たちになぶられてる俺を見るのは楽しかったか?楽しかったよな!それに黙って協力したお前らも同罪だ!!」
(クソ共め、いやゴミクズ以下共め!!)
沸々と怒りがこみあげてくる。
(というか、もとよりこいつらが俺がおかしくなる状況を作ったんじゃないか?ならこれもあいつらの思惑通り……まさか……俺はこいつらの掌の上でくるくる踊らされているだけなんじゃ…………)
いやな想像ばかりが頭の中にちらつく、だが、こいつらのやったことを許せないという主張だけは首尾一貫していた。
その時だった。
「ふはっ!」
場にそぐわない、おかしなものを見たとでも言いそうなほどの笑い声だった。そして、俺がこの笑い声が他でもないちーにゃの笑い声だと気づいたとき、この中に俺の味方がいないのだということを確信した。
いや、最初から俺に味方なんていない。この世界に来てから……違う。俺はずっと孤独だ。誰も俺なんかを見てはいない。
「はは……」
チート能力がないとわかってから、いや、もっと前から気づいていた。人間がそんな簡単に変わることはないんだって。
異世界転生者の定番であるニート、それに学生、時たまにおじさんが扱われることもあるが、その大抵は子供だ。それも、それらは常人よりも精神が育っていない。
精神の未熟な、子供だ。
高校生はもう子供じゃないという人もいるかもしれない。でも子供だ。
異世界に来てから変わるのは自分に与えられた力と時の運だけ、まあ、俺にはそれすらも与えられなかったが……
だから、あんな簡単にご高潔な理想論や、勇気、知恵なんてものは手に入らない。だってこれらは努力しないと手に入らないものなんだから。でも、そんなこと皆理解している。
だけど、どうしてもその一歩踏み出せない。
どうしても、努力ができない。これは、世間一般的に言い訳をしている風にしか見えないだろう。言い訳だからだ。だから、その一歩を踏み出せた人が天才と呼ばれ、その一歩が踏み出せない人は凡才と呼ばれる。
そんな天才たちに凡才たちは憧れる。
だから異世界転生や異世界転移というジャンルの創作物が流行ったのだろう。だが、俺はそれだけではないと思う。異世界に来れば、努力しなくても万物をも変えるスーパーパワーが手に入る。
俺も、そんな力が貰えていると、舞い上がっていた側の人間だ。異世界に来れば、簡単に俺も物語の主人公みたいに強靭な体と精神を持っているものと思っていた。天才になれると思っていた。
異世界にこれば、凡才が天才に、努力することなくなることができる。そんな都合のいいことがあるか?ふざけるな、ふざけるんじゃない。
そんなものに憧れて、自分ならこうする。などと想像する。それは小説やアニメの楽しみ方としては問題ないだろう。だが、その一方でWEB小説には駄作ばかりが上がり、その駄作を面白いと誤解した連中があれよあれよと持ち上げ、その結果、異世界転生はゴミだという認識が広がる。
それはそれでいいと思う。
誤解する人が減るなら、それでいいと思う。
だって、異世界転生なら異世界転移なら、夢の世界なら、なんにでもなれるという誤解を亡き者にできる。はあ、俺、急に何頭の中で語ってんだろ。だっせぇ、イキってるみたいでやだな……
長々と語っていたが、つまり、俺の言いたいことは。
「異世界に来ても、何をしたとしても……俺が変わらなきゃ、何も変わらないってことだ」
俺は小さくそう呟いたが、誰にも聞こえていないようだった。流石に俺も、狂人にまでなり下がるなんてやだけどな、いや、なりかけてたんだっけ、でも、もうあんな顔したくない。
だから……
「お前らには、この世界の理不尽さを教えてもらったよ、だけど、礼は言わねえ、じゃあな、あばよ」
これでいい。
「―――ウィース・マキシマム」
俺はそう呟いて、腕についている枷を無理やり引きちぎった。これが特殊な枷であればほどけることはなかっただろう。だが俺の腕に付けられていた枷はそんな特別製のものだったのではなく、普通の枷であった。
(舐められたもんだな)
周りに立っている皆は俺の行動に驚き、反応に遅れている。俺は空いている牢の扉に駆け出した。牢は小さく作られているせいで、俺が立って数歩分のところに扉がある。
俺が牢から出ようとしているのを止めようとしてか、ダイドが俺に手を伸ばす。
「は!同じ手を二度も食らうかよ!」
俺の予想通り、ダイドは首の付け根辺りを狙ってきた。俺はそれを姿勢を低くして躱し、そのままの態勢で駆け出した。
「待つのです!ユーマ君!!」
ちーにゃが何かをしゃべろうとしているが、どうでもいい。あいつは魔法使いだ。見てれば分かる。故に生き物を傷つけずに捕獲する魔法なんかもあるのだろう。だが、ちーにゃは使ってこなかった。
俺はそれを好機とみて、そのまま駆け出す。
クレスは魔法使いのため、接近されれば一般人とほぼ変わらない、故に少しぐらつかせるだけで突破することが出来た。ミグルとカリカルパは突然のことに驚いて、少し遅れてしまったため、俺の動向を見ることしかできない。
リアナは俺の方に走ってくるが、俺はこれでも50m走、6秒台だ。しかもこの世界は俺の予想通りならば重力が軽い。故に俺の走るスピードにリアナは追いつけない。
そのまま階段を駆け上がり、見覚えのある机と椅子が見える。
「なるほどな……ここは『陽炎の住処』の地下だったのか……」
俺は走りながら状況を把握し、ドアを開けようと手を伸ばした、瞬間。
反対側からドアが開き、そこから女が現れた。それは、白髪の髪を靡かせる美しい『夢幻の魔女』であった。
「なん……で……いま……ここ……に……」
ミリュは走って自分に突撃してきている俺を見ながら、驚いて何かをつぶやいているようだったが、何と言っているか聞こえない……はずだった。
だけど、なぜかその時だけは、ミリュの口の動きで、何と言っているのか理解できた。
「――くそ!!」
ミリュはそのまま右手に光化させていた杖を取り出し、そのまま勢いよく「――ソーム」と言って、俺に杖を向けてきた。
「なんで……なんだよ……」
そのまま俺の体から力が抜けていき、地面に倒れた。後ろから他の奴らの声が聞こえる。ゲームオーバー……か。
だが、俺の頭の中には、あいつらの声よりも、ミリュがつぶやいていた反響していた。
ミリュは俺を見てこういったのだ。
”化け物”と。
(俺が……何したっていうんだよ…………!)
そのまま視界は暗転していき、次に起きたころには既に陽光が差し込んでいた。
〈次回予告〉
いろんな意味で目を覚ましたユーマ、そして『英霊の影』のメンバーとミリュ、町の裏で暗躍する者たち…一章前半が終わりに向かっていく…
次回!『赦しを乞い、動き出す』