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橘平、桜と向日葵にネイルアートを施す

 ヤカンに水を入れ、火をかける。


 沸騰までの長いようで短い時間。シンクに両手を置き、向日葵は台所の窓の外をぼんやり眺めていた。雨粒が窓ガラスをとろりと伝う。


 横に葵がやってきた。


「さっきの有休の話、ちょっと思ったんだが」


「何を?」


「同じ日に有休申請するのって、偶然って思ってもらえるのか。それとも」


 この不器用が一体、どんな面白いことを言ってくれるのか。向日葵は少し期待する。


「俺に嫌がらせか、って課長なら言うかもな。残業したくないから」


「は?」


 期待するような言葉はなく、向日葵は肩透かしをくらってしまった。


 最近の彼の様子からすると、色気のあることを言ってくれそうな感じがしてしまったのだ。


「まあ現状、同じ日に2人消えるわけにはいかないな」


 それだけ言うと、葵は茶箪笥から緑茶の入った茶筒を取り出し、向日葵が洗っておいた急須に茶葉を入れ始めた。


 肩透かしも何も、二人の関係を邪推する者は部内にはいないし、邪推されたら何が起こるかわからない。絶対されてもいけない。


 自分から葵と距離を取っているというのに、何かを期待する。向日葵はもやもやと切ないと悲しいと諦め、自分への戒め、そんな気持ちがいっしょくたになってきた。


 そのすべてを盛大なため息に乗せる。


「どうした?」葵は声をかけ、向日葵の顔を覗き込む。


 橘平に出会ってから、葵は少し感情的だ。菊が亡くなって以降に抑えていたものを、少しづつ吐き出すように。


 不断の熱を抱き続ける真っ黒な瞳に見つめられると、自分の決意が揺らいでしまう。


 覗き込まれると同時に、向日葵は葵の左耳を引っ張った。


「いって!!」




◇◇◇◇◇




「ねえねえ、鑑賞会本当に行きたいんだけど。ひま姉さんも興味あるみたいだし2人で行ってもいいかなあ」


「優真がなあ」


「お友達、挙動不審になんてならないよ。ひま姉さん話しやすいし、すぐ打ち解けるって。親しみやすい、会えるアイドルだよ」


「アイドルかあ…恩返しに向日葵さんを招待するのもアリ、か」


 真冬のイルミネーションのように一斉に。ぱあっと明るい笑顔が点灯する。


「ありがとう! 私、橘平さんのお友達ともお友達になれるかな」


 まあ変だけどいい奴らだよ、と返したが、自分以外にも友達が増えていくことに多少のさみしさもあった。先日「クラスメイトとお近づきになれた」という話を聞いた時も、胸がチクリとした。


 桜は自分だけのものでもないし、むしろどんどん、友達を作るべきだ。


 橘平だって友達はいる。桜だけが友達じゃない。よく分からない感情で気持ち悪いけれど、桜の一番の友達というポジションだけは守りたいと思うのだった。


「ああ!!」


 桜が突然、大声をあげる。


 台所から向日葵が飛んできた。


「どしたのさっちゃん!?ゴキ!?」


「違うよ、今日の大事なコト、もう一つあった。忘れちゃうところだった」


 桜はにっこりと笑いながら、スマホの画面を向日葵と橘平に見せた。


「ネイルアート」


「あーそうだ!ちょい待ってて、車から道具持ってくる~!!」


 本日は野宿相談、八神家での収穫物のほか、春休みに入ったということで橘平が桜にネイルアートを施すことになっていたのだ。ついでに向日葵にも。


 どんなネイルにするかは、事前に桜から画像が送られてきていた。ピンクをベースにサクラや猫の絵があしらわれたデザインだった。


「とにかく可愛くお願いしまーす」


「か、かわいく…了解っす」


 道具を借りた橘平は、早速ネイルアートに取り掛かった。


 しかも桜と向日葵、乾かす時間を利用して二人同時に描くという。


「まじで?きっぺーちゃんまじで?」


「はい。できると思うんで」


 「可愛く」という注文通りにできるかという自信はあまりなかったものの、あっという間に描かれていくサクラや猫の絵に、桜は感動していた。


 葵はその様子を、お茶を飲みつつ眺めていた。ネイルのことはよくわからないが、橘平の作業量がすさまじいことは分かる。絵の練習はしていたそうだが、ネイル自体は向日葵に施術して以降は何もしていないという。そんな人間の仕事とは思えなかった。


「はい、まず桜さん終了」


 絵柄も色合いも、桜が送った画像通りに仕上がっている。この出来上がりに桜は「可愛いよ! わー、可愛いよ! カワイイよ!」と大変満足した。


「ホント、もう、さっちゃんにぴったしの可愛らしさよ~きっちゃんアートのてんさい~」


 桜は葵に「見てみて」と両手を顔の前に挙げた。


「見事だな。お父さんのアクセサリーもキレイだったが……」


「きーくんさあ、いい特技だわこれ。お金になる。いや取ったほうがいい。お金払うね」


「ええええ、いいっすよそんな素人」


「そのくらいの価値あるよ、橘平さん。プロよ。今度お母さまにも塗ってあげたほうがいいよ」


 絵を描くのは嫌いじゃない。楽しい。まさか趣味を活かすことで人に喜んでもらえるとは思わず、ただただ驚く橘平だった。


 そして向日葵のネイルも終了した。前回頼まれた「好きなキャラ」ではない。春らしくチューリップを描いたデザインだ。


「さすがに、職場でキャラネイルはどうかなってさ…ブナンに…」


「えー、せっかく練習したんすよ」


 橘平はスケッチブックの練習跡を向日葵にみせた。

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