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向日葵、土下座する

「本当にごめんなさい本当にごめんなさい本当にごめんなさい本当に…」


「いやもういいから、済んだことなんだし」


「だめよ、葵ちゃん!優しすぎる!」


 二宮向日葵は酒で大失敗したことを、早朝から被害者に土下座で謝罪していた。


 葵に酒を飲ませたところまでは思い出せたが、その先は一切、記憶にない。




◇◇◇◇◇




 樹は朝5時頃に葵の住む古民家にやってきた。そのことは昨夜の電話で聞いていたので、葵もその頃に起き、樹を迎え入れる。その玄関の開くガラガラ音で、加害者たる向日葵は目が覚めた。


 ちょうど横向きで寝ていた彼女は、目覚めると真っ先に隣の布団が目に入った。


 寝相が悪く、布団からはみ出てしまったのだろうか。ぼんやりとその考えが浮かんだが、しかし起き上がると、しっかり布団に寝ていたことがわかる。


「ええ?わたし二組敷いて寝たのぉ??」


 のどの渇きを覚えた。そこに意識が移ると、口内に異様な気持ち悪さを感じた。


「うわ、なにこれ」


 それに気づくと、頭の靄が晴れ始めた。春のひんやりした朝の空気が向日葵の脳を刺激する。彼女の住む離れも和室、今いる部屋も和室ではあるが、見える景色が異なっている。


 部屋の中をゆっくり見回すと、物が少ない簡素な室内に日本刀が置かれていた。


「ああああ、あれあああああおい」


 ここが自分の部屋ではないことを理解してきた。


 自身の体にも違和感を持った。普段の着慣れた感覚がない。目線を下げると、見慣れた自分の服ではなかった。大き目の黒いジャージだ。袖が長く、手のひらにかかっている。


「え?え?このジャージ…」


 徐々に昨夜の記憶がよみがえる。葵に酒を飲ませるところまで思い出し無意識に「ぎゃーやーっ!!!!!!」と古民家中に聞こえる大声をあげていた。


「起きたな、ヒ・マ・ワ・リ」


 そんな声だからもちろん樹と葵にも届いていた。樹はこれまで葵が見たことないほど、背筋が凍るような顔をしていた。


 普段は笑顔なので忘れがちであるが、彼は岩のような体つき、岩のような顔をしている。怒ったら鬼のようになるということを、初めて知った葵だった。


 だだだ、と足音が聞こえた。


「ごめんなさーい!!」


 向日葵が謝りながら居間に飛び込み、土下座した。




「向日葵、酒禁止!この間は僕だったから何も言わなかったけど、人に迷惑をかけることは絶対に駄目!」


 いつもの柔らかな語調はなりをひそめ、激昂する樹。声が家中に反響し、天井や壁が震えている。そもそも、彼は妹をきつく叱ったことがない。悪さをしたとしても、優しく諭すだけであった。


 あまりの迫力と初めての樹の様子に、そばで見ている葵は驚きを通り越して、珍しいショーを見ている気分になってきた。


「申し訳ありません、肝に銘じます。葵さん、ご迷惑おかけしました」


 向日葵は額をカーペットにこすりつける。


「だからそんな…」


「あっま!!アオイ、あっま!!一言でいいから、厳しく言いなさい!」


「き、厳しく……?」


「人様への迷惑もそうだけどね、あなた、ぶっ倒れちゃったのよ。急性アル中よ!」顔をあげられず、土下座したままの向日葵の肩に、樹はそっと手を置く。「体壊しちゃったらどうするの?僕、ひまちゃんのことが大切だから、心配なんだ……」


 心から妹を思う気持ちが凝縮された声。向日葵は顔を上げる。


「兄貴……」


「お酒を飲んだ理由は追及しないけど、悩むにしても、もっと自分を大事にしてね。いろいろ吐き出せるお友達、ひまちゃんならいるよね」


 向日葵の目頭がじんわり熱くなる。急いで手の平で目を抑えた。


「本当にごめんなさい、葵。無理矢理お酒飲ませたあげくに、泊めてもらって。私、他にどんな迷惑かけた?物壊したりしたなら弁償したいし」


「ぶっ倒れただけだけ。俺も樹ちゃんも酒入ってたから送ってやれなくて、うちで寝ててもらっただけだから。もう気にするな」


 正座して無言のまま視線を落とす妹に、兄は着替えとメイク道具が入ったトートバッグを渡した。


「よう子っちが用意してくれたから」


「ひええええ義姉さんにも謝らないと……」


「親には話してないし、聞かれても友達と遊んでたとか適当にごまかしておくから。安心して。葵ちゃんとはいえ、男の家にいたなんて言えないし、迷惑かけたなんて余計、ね」


 向日葵は再び土下座した。


「ありがとうございます。一族の面汚しを」


「やっだ、そこまでじゃないわよ、これくらい~」


 機嫌が戻って来た樹は、戯れのつもりで向日葵の背中を叩いた。背骨が割れそうだった妹だが、罪の意識から痛いなどと声は上げられなかった。


「さてと。早く着替えて、葵様に高級ホテルモーニングでも作ってやんなさい!」


「は、はい、いますぐ」向日葵は立ち上がった。


 樹も立ち上がり、「じゃあ、僕帰るね。ひまちゃん、今日はここから出勤よ。じゃあまた職場で会いましょ」そう言い、帰っていった。


 兄を嫌いだという向日葵だが、妹思いの良い兄だし、最終的には向日葵も頼る。本心では信頼しているのだ。


 葵が思うに、厳しい両親含め、周りの大人たちに心を隠して育ってしまったがゆえに、いくらでも受け止めてくれる年上の逞しい兄に「反抗期」なのだ。


「あの、じゃあその、お風呂場をお借りしていいでしょうか。それからご飯作ります…」


「ああ」


 向日葵は着ているジャージの胸部分をつまむ。


「あのう、私なんで葵のジャージ着てるの?」


「そっか、さっき俺も樹ちゃんも言わなかったな。吐いたんだよ、向日葵」


「げ……!!」


「服がゲロまみれになったから洗った。乾いたら返す」


「ひいいい。ま、また、葵には、吐いたんだああほんと、ほんと、ごめんなさい…あの私、ゲロって倒れて、あとは何かした…?」


 葵は「それだけ」と返した。


 実はもっとひどい「電話」がある。だが聞いてしまった橘平も、この話題を出すことはないはずだ。


「そうだ、買い置きの歯ブラシ使って。戸棚に入ってる。気持ち悪いだろ、口ん中」


「うう、ありがとう…」と向日葵は静かに風呂場の方へ消えていった。

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