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葵、善行を積む

 毎日元気、三宮伊吹。それを煙たがる人間もいるが、そんなことは気にしない。


 もちろん月曜の朝からも元気な伊吹は、廊下で出会った部下の葵に「おはよう!」と白い歯を見せ挨拶した。


「おはようございます、伊吹さん」


 普段であれば、葵は美しい無表情で挨拶を返す。


 しかし、今日はわずかにだが口角があがり、目じりが緩んでいる。葵が微笑んでいる。多くの社会人や学生が憂鬱になる月曜日の朝だというのにだ。


 伊吹は葵に良い変化を感じた。


「今日はご機嫌だね。何かいいことでもあったのか?」


 その理由は、向日葵が一人で家に来てくれて、なおかつナポリタンを二人だけで作って、さらに二人きりで食べたからである。彼女との関係は「なゐ」を消滅させるまではきっと思うようにいかないけど、一歩でも半歩でも近づいてくれた。それだけでも、葵にとっては大きな出来事であった。


 そんなこと、一回り近く年上のお兄さんに正直に話す訳がない。葵は適当に答えた。


「朝、クモが枕元にいたからです」


「おっ、それは縁起がいいな!機嫌もよくなるはずだ」


「そうでしょう?伊吹さんは毎日、機嫌がいいですね」


「当たり前だ!生きているからな!」


 伊吹は特大スマイルと響くいい声で返した。


「なるほど、深いですね。生きている限り、伊吹さんはいい感じなんですか」


「そうだ!何があっても生きていればいいのだ。葵君も生きるといい。素晴らしいぞ」


「参考にします」


「よし、じゃあまず、朝起きたら水を一杯飲むと良い!」


「へーそれでいいんですか」


 伊吹と葵は別方向ながら同じ天然である。二人が会話すると、だいたい意味が分からないのにかみ合うという不思議が起こるのだ。


 同じ人種でありながら、葵は伊吹の事を子供のころから「面白いけどめんどくさいなあ」そう思っている。


 一方、伊吹は意外と葵のことをよく見ている。落ち着いて見えるけれど、実際は悩みがちで、それを人に言えず抱え込んでいる子。「何でも言える友達でもいるといいのに」と、葵が子供のころから心配している。


 例えば職場で先輩や上司からつつかれても我慢している。桔梗は葵をおもちゃにするし、蓮はなぜか目の敵にしている。課長は誰に対しても失礼なので省く。向日葵は仕事で辛いことがあると桔梗に相談しているようだが、彼は同年の向日葵、仲良しの樹にも話していないようだ。


 伊吹は葵が入職した日「なんでも話してくれ!!」大きく手を開き、そう言った。葵は冷静な顔で「はい」と返した。


 いまだに話してくれたことはないし、葵の性格からして実際には話してくれるとは伊吹も思っていない。それでも、いつかは心を開いてほしいという気持ちを持って葵に接していた。


 彼の微笑に、伊吹はさらに機嫌がよくなった。


「生きているといいことがあるもんだな!」言いながら、課の入口をくぐる。


「何ですかいきなり」


 伊吹は葵の肩を組み「君が元気だからさ!」そう言い、自身の席に着いた。


 意味がわからない葵だったが、伊吹の元気さには悪い気がしないのだった。


◇◇◇◇◇ 


 そしてご機嫌な葵は、朝から善行を積み始めた。


 廊下で大量の資料を抱えているご婦人の資料を一緒に運んであげたり、給湯室の高い棚に届かない女性職員の代わりにおぼんを取ってあげたり。


「いやあ!ゴキ!」


 虫が苦手な樹の代わりに男子トイレのゴキブリを始末したり。


 貧血を起こした若い女子職員を医務室に運んだり、バケツに躓いた八神課長を倒れる寸前に後ろから抱えたり。


「ひえ!ありんこ!」


「樹ちゃん、よく田舎で生きてこられたな」と、虫が苦手な樹の代わりに彼の机に現れた蟻を逃がしたり。


 もちろん、普段から困っている人がいれば無視はしない。素行がいいからこそ、女性たちから人気があるのだ。


 ただこの日の葵はいつにも増して優しく、きらきらしていたという。貧血を起こした女子は、「お姫様の気分を味わえた」と自慢したところ、しばらく周りの女子職員から無視を決め込まれたとか、されていないとか。


 その上機嫌が終了したのは午後2時だった。


 二宮課長は給湯室で淹れてきたコーヒーを手にし、「うわー、やばいよ葵君」そう言いながら課に戻って来た。


「どうしました」


「感知したよお」


 今、課内には課長と葵の二人しかいない。


 誰も駆除が終わっていない、他の仕事がある課員もいる、自然環境課にも声をかけたが業務が忙しく手を貸せない。そんな状況である。


「どうしよう…」


 課長はマグカップを両手で包み持ち、葵の机の側でつぶやく。


「弱くはない、かな…ほんとは二人一組じゃなきゃいけないんだけどさ…たぶん、まだしばらくは誰も…」


「…一人で行きます」


 そう言って葵は立ち上がった。


「え、大丈夫?」


「課長来てくれますか?」


「お腹痛くなってきた」


「だめなら電話します。早急に誰か寄越してください」


 葵はお守りが描かれた小袋を作業着のポケットに入れ、日本刀を入れた猟銃用ケースを背負って役場を後にした。

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