橘平、友達の話をする
いつもお読みいただきありがとうございます!
祖父が渡してくれた古い本。これの解読のために、今夜はみなで葵の家に集まることになった。
昨日、向日葵が八神家まで迎えに来ると連絡があった。橘平はそれまで、友人から借りた漫画を自分の部屋で読むなどして過ごしていた。
玄関のチャイムが鳴った。
向日葵がやってきたのだろうと、橘平はスマホと財布を持って部屋を出る。階段を降りていると、「ぎゃー!!」という母の声。驚いた橘平は急いで玄関に向かった。
「どうしたの母さ…」
玄関に立っていたのは葵だった。
「迎えにきたぞ」
自分が言われた訳ではない。わかっているのに、実花はその一言で卒倒しそうになった。
◇◇◇◇◇
「なんで葵クンが迎えに来るって教えてくれなかったわけ?!メイク落としちゃったじゃない!髪もぼさぼさだし!もー!あんぽんたん!」
実花は「ちょっと息子の準備があるので」と葵には車に戻ってもらい、またしてもすっぴん、そしてくたびれた私服をみられた屈辱を橘平にぶつけた。
「俺だって知らなかったんだよ!」
「うわあああ、ジャケットかっこよすぎい!!私も迎えに来て欲しい!!きっぺーが羨ましい!!」
玄関マットの上に四つ這いになり、実花はどんどんと床を叩く。ちなみに、父は風呂、弟は自室にいるが、橘平は聞こえているのでないかと感じた。
母の気が済んだところで、橘平は庭に出て、葵の黒の乗用車に乗り込んだ。
「向日葵さんが迎えに来る、って聞いてたんですけど」 助手席に座り、橘平は早速尋ねた。
「桜さんと飯作ってるんだけど、ちょっと残業して時間がな。だから俺が代わりに」
「はー、そうですかあ…」
葵と二人きりは初めての橘平。無意識の緊張のためか、シートベルトを締めるのに手間取る。見かねて、葵がバックルに差し込んでくれた。
「…あ、ありがとうございます…」
仕事が終わってすぐ来たのだろう。葵は見慣れたカジュアルな私服ではなく、黒っぽいジャケットにYシャツ、薄いグレーのスラックス。髪もちゃんと梳かしている。今まで見てきた彼はよく言えば自然な、悪く言えば起き抜けの無造作感だった。服装のジャンルが違うだけで、見知らぬ人と会っている気分になる。
一方、橘平といえば。上は学校のジャージ、下は学ランのスラックス。普段着よりもダサいかもしれない。
余談だが、実花は「ネクタイも見たいわ…」と呟いており、息子は胸やけな気分だった。ただ、母のつぶやきも分からなくはなかった。真に見てくれの良い人は、同性からも異性からも何か想像させるのである。「メガネを取った素顔も…」とも言っていたが、「それは俺みたぞ」とちょっと自慢気な気持ちになった。橘平としてはサムライ姿が見たい。
車が八神家を出た。
「すまんな、本当は金髪の隣が良かっただろうけど、しばし我慢してくれ」
葵は運転しながら淡々と話す。おそらく冗談だ。
「び、美形の男性とのドライブデートもいい経験だと思います?!」
意味不明なことを口走って焦った橘平であったが、意外にも葵は笑った。無表情やむっとした顔ばかりみてきたので、新鮮だった。
「面白いな、橘平君」
「お、おほめにあずかりこうえいです…」
またも意外な葵の一言に、橘平は頭を掻く。
「帰りも送るから」
「い、いや、あの帰りこそ向日葵さんで!母さんが怒るから!!」
「俺、お母さんに嫌われてる?何か気に障るような」
葵が言い切る前に、橘平が言葉をかぶせる。
「ち、違うんです!全然違う、むしろ逆で!」
「逆?」
「その、葵さんがかっこよすぎてですね、会う準備が……」
「よくわからん……お母さん、気は確かか?」
自分の長所は自分が一番、分かっていないものだ。特に葵は自身の見た目に興味はないし、周りからどう見られているかもよく理解していないように見受けられる。冗談なのか本気なのか受け取りにくいときがあるし、会話のかみ合わせも間も、多少ずれていることがある。葵は良くも悪くも天然なのだった。
きっと、向日葵も無意識に振り回されているのではないだろうか。彼女に失礼だと思いながらも、橘平はそう想像した。
「お、大人に聞いてみたいことがあるんですけど、いいですか?」
せっかく二人きりになれたこの機会、橘平は彼から何か話を引き出せないかと考えた。
「いいけど」
「友達が…友達が、国宝級天然女子のこと好きになっちゃたんですよ!」友達は向日葵、天然は葵のことを指す。「仮にAちゃんとしますが、Aちゃんは友達の好意に気付いてないと思うんです。しかも、超もてるんです。友達は恥ずかしがり屋で思いを伝えられなくて」
橘平は、彼を抱きしめ「今日の私おかしいでしょ?」と言った彼女を思い浮かべる。
「でもAちゃんとは仲良くしたいから、えっと…頑張って話しかけたり!その、ええと、なんとかして隙を見つけて一緒に帰ったり?はするんですけど…」ちらと、運転する葵を見やる。「Aちゃんの言葉や行動に振り回されてるっていうか。あ、どっちもすっごく優しくていい人なんです、だから二人を応援したいんだけど、どう応援すれば効果的なのか…わかります?」
天然の人はうーん、と軽く唸り「それ、自分の事?」と逆質問をしてきた。
「え?」
「だいたい、友達のことは自分の話と相場が決まってる」
橘平は心のなかで舌打ちし、きっぱり否定した。
「いえ、友達です。これはマジです。本当マジ真実」
声にも、ミラーに映る少年の姿にも、本気で友を想う気持ちが伺えた。
「Aちゃんは誰か気になる人、いる?」
「…不明です。天然でなかなか読めなくて。でも、俺は思うんですよ」
葵に少しでも何か伝わってほしい。その思いで橘平は語る。
「Aちゃんも友達のこと、嫌いじゃないって。むしろ好きだって。だから一緒に帰ったりするんですよ」
彼が向日葵をどう思っているか、橘平には今のところ分からない。しかし、これだけ長く一緒にいられるのは、桜のことだけじゃないはずだ。
長い長い、間があった。
「……Aちゃんも恥ずかしくて言い出せないのかもな。わざとそう振舞ってるのかもしれない」
「ふるまう…」
「着いたぞ」
古民家に着き、話はそこで終了した。
葵の最後の言葉は、誰かを想像して話しているようだった。自分なのかそれとも。
玄関の引き戸をがらりと開けた瞬間、いい匂いが漂ってきた。橘平の頭からAちゃんの話は消失した。
「お帰りなさい!」
桜が出迎えてくれた。帰宅すると大豆が嬉しそうに近づいてくる風景を連想させた。
葵が仕事スタイルだったように、桜も私服ではない。チャコールグレーのブレザーとスカート、薄ピンクのYシャツにリボン、白のハイソックス。他校の制服をあまりみたことない橘平は、単純に珍しかった。
向日葵がお盆に夕食を載せて、居間にやってきた。その姿はベージュのテーパードパンツにVネックの白ニット。私服からは想像できないほど、
「フツー!」の会社員だった。メイクは相変わらず濃いめだ。
「さすがに仕事じゃふつーのかっこするわ!」
「そ、そっすよね。職場で蛍光ピンクは着ないですよね」
そのシンプルさが、向日葵のスタイルの良さを強調している。橘平は「こっちのほうが良いのに」と思ったが、セクハラかもしれない口にチャックした。
そして本日の夕飯は、生姜焼き。柔らかく、味付けタレも絶品だった。
「う、うまい…なんだこれは、生姜焼きなのか!?」
「生姜焼きだよん!朝から漬け込んだのを持ってきたのよ。私の手にかかれば、安い肉も高級レストラン級になるのさ」
これが生姜焼きなのであれば、橘平がいままで口してきた生姜焼きは、タダの肉醤油炒め。彼女の料理にどんな秘密が隠されているのか、興味が湧いて来た。
「今度料理教えてくれませんか!?」
「あ!私も教えてほしい。そういえば、ひま姉さんのお手伝いはするけど、教えてもらったことない!」
料理上手の秘密。実は彼女の母が料理上手なのだ。そのおかげで、二宮家の舌は肥に肥えている。美味しいの基準が高い家庭に育ち、自然、向日葵の料理レベルは上がっていった。もちろん、母から教わったというのもある。
しかしそれは悲劇も呼ぶ。義姉は母に「塩味が」「酸味が」「樹ちゃんの好みはね」とちくちく言われ、日々かなり苦労している。
「ひま姉さんみたいに、美味しく作れるようになりたいなあ」
「俺も!!料理の神っすね、向日葵さん」
もしかしたら、彼らはお世辞がうまいのだろうか。などとということも向日葵の頭よぎったが、濁り無き瞳は真実を語る。
彼女の料理は「美味しい」のだ。
「じゃあ、向日葵の料理教室開講しましょ!やろうやろう!」
高校生たちと向日葵はハイタッチし、料理教室開講を約束した。




