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葵、上司にしごかれる

お久しぶりです。

「いえーい!うわーまじ楽しみ!」


 向日葵がさきいかを食みながらスマホを見て、嬉しそうな声を上げた。


「あら何、推しのライブでも当たった?」


 ワインを赤白交互にがぶ飲みしながら、葵の筆の持ち方や書き方、態度、この場で酒を飲まない事…とにかく彼のすべてにダメ出しを入れる桔梗が反応した。


 


 葵と向日葵は今、安ワインの匂いで充満する桔梗宅の和室にいる。今夜は筆遣いからしてなってない葵を、書道段持ちの彼女がしごいているのだ。桔梗のフレーム無しのメガネ姿が、さらにスパルタ感を与えている。ちなみに彼女のメガネはただの近眼用だ。


 向日葵は桔梗に「面白いものが見られるから来なさいよ」と誘われてやってきた。


 御朱印の件は笑えない。だが、かっこよくて優しくて仕事もできる葵君、で通っている彼が、親戚のお姉様にしごかれているのは確かに面白かった。びしばし言われたり小突かれたりしても反撃できない葵の姿に、向日葵は心の中で「ごめんね、面白がって」と謝罪し「でもめちゃおもろい」と付け加えた。


 実はこの指導、あさひが桔梗に依頼したものだ。あさひの指導なら日本刀で刺し違えてでも葵は拒否するが、親戚かつ上司でもある桔梗から言われてしまうと断れなかった。


 葵は職場で「俺をイジメるのが生きがいかあの野郎」とぐだぐだ言っていたが、お世辞にも上手いとは言えないミミズのような御朱印を参拝者に渡すわけにもいかない。そのことは十分わかっているので、指導を受け入れ、なんとかしごきに耐えていた。


「ちがいまーす。高校生たちとアニメ見るんでーす!ちょー好きなアニメを、同じく好きな子たちと語り合いながら見るんですよ~。楽しみでしかなーい!」


 ミックスナッツをがりがりかみ砕きながら、桔梗が尋ねる。


「何ていうアニメ?」


「クラシカ・ハルモニでーす。知ってます?」


「あー、子供が見てたわ。人気よね」


 桔梗には中学生の息子がおり、子供がどんな番組を見ているのかはチェックしている。


 実は彼女、バツイチである。


 息子が元夫のようなクソ男に成長しないために、干渉しない親を装いながらも、実は厳しく細かく、子の触れる漫画でも番組でも、悪影響があるものかどうか調べているのだ。息子もそれはしっかり気づいており、賢くすり抜けている。


 それもあり、クラシカ・ハルモニもこっそり視聴していた。夜中に号泣していたことは内緒だが、息子にはバレている。


「あの主人公ってさ、葵にそっくりよねえ。見た目だけ」


「どこがだよ」葵がぼそりと呟く。


 桔梗は部下の手をぴしゃりとはたき「何度言えばわかるのよ、ちゃんと持ちなさい!鉛筆じゃないんだよ!」と厳しく指導する。「あんたね、最近あれよ、生意気よ。反抗期か。うちの子と同じじゃないの!今何歳?社会人何年目?ほら、筆の持ち方くらいなんとかしなさい」空になったグラスに、赤ワインを注ぎ「はあ、性格もヨハネスに似れば良かったのに」一口で飲み干す。


 どういうことか向日葵が問うと、桔梗は熱く回答した。


「愛のために命を捨てられる、あの深い想い、潔さよ!あんな人が居たら…」


「好きになるー!!愛のために命を捨てられる、そんな人現実には…」


「いないわ!!」


「いなーい!!」


「ふふ、やっぱり私たち気が合うわね。向日葵、この世の男の9割はクソよ。だからこそ、ヨハネスのようなまっすぐな人に憧れるわよね。ヨハネスは絶対浮気しない、モラハラしない、セクハラしない。ということでヨハネス似の葵、参拝者のために愛をこめて御朱印を書きなさい。恋文のつもりで。たくさん恋文を書きなさい。私にこの場で書けラヴレター」


「はあ!?」


 めちゃくちゃになってきた桔梗に耐えられなくなってきてしまい、葵は募ったイライラをつい、声にしてしまった。


 桔梗の拳骨が葵の百会に直撃した。きっと、彼の頭頂部にはたんこぶが製造されているだろう。酔っぱらっている分、素面よりも容赦がなかった。


 葵は両手で頭を押さえた。先ほどまで彼の手の中にあった筆は、畳に転がっている。


「こいつ! あーもう! 葵の電話帳〈蝋人形〉から〈反抗期〉に変更しよっかなー!!」


 やはり葵も、ろくでもない名前で登録されていた。彼は紙ではなく、桔梗の顔に一筆書いてやりたい気分に襲われた。


「葵の事〈蝋人形〉って登録してんすかぁ?」


 向日葵はペットボトルのぶどうジュース片手に、酔っぱらいと見分けがつかないほど気分が高揚していた。葵の話題は良いつまみになっている。


「キレイすぎるし意外と優しいけど雰囲気は冷たいし、人形でしょ」


「はは、じゃあ〈反抗期〉になれば、ハレて人間になれるってわけか!よかったね」


 葵は黙々と練習を続ける。


「反抗期だ」


「喜ぶべきことよ。二宮公英とかいう上司みたいな人は〈唐揚げ〉から〈カツカレー〉そして今は〈仕事する塊〉まで格下げしたんだから。仕事しろ、じゃないのよ、仕事する、よ。仕事はだけはしてるからね」


 自身も唐揚げにしてやろうかと思ってた葵だが、課長が可哀そうになってきてしまった。


 これだから離婚されたのでは。


 葵の舌の先までその言葉がこみ上げるが、口に出したら桔梗が日本刀を持ち出すことは明白。なんとか胃まで流し込んだ。


 夫が悪いとは言うけれど、彼女にも大いに原因があるだろう。葵は以前からそう感じていた。おそらく周囲も。


「職場の他の人も面白ネームで登録してるんですかあ?」


 桔梗は向日葵にスマホの電話帳を見せた。


「〈二宮樹〉」


「あれ、普通」


「良い子だから。奥さん大事にしてるしね、クソじゃないしね」


 うーん、と唸る向日葵だが、義姉を大事にしているのは事実で、その点は向日葵も大いに評価している。義姉と母の間に何かあれば、樹は必ず義姉側に立つ。しかし面白くない母は裏でそれを向日葵に愚痴り、樹ではなく義姉への印象が悪くなるなど負のループも作られている。


 次に桔梗は伊吹の登録名を見せた。〈三宮ムリ男〉だ。


「悪い人じゃないけど、無理ってこと。結婚したくないタイプ。顔も声も性格もすべてクソうるさいわ」


 伊吹さんもそう思ってるよ、とは葵の心の声。葵が思うに伊吹は「仲間はみんな大好き!」タイプであり、桔梗のこともそう思っているだろう。


「蓮は〈クズ〉。こいつはどうしようもないわ。葵のことよくいじめるし、他にも嫌味ばかりだし、面倒ごとは逃げるし、性格悪すぎ」


 これはちょっと、いやかなり「わかる」二人だった。ただし、能力者としては優秀であり、その点だけは認められる。


「じゃあ、あさひ君は」


「〈一宮あさひ〉。なんかねえ、あだ名が付けづらいのよ。日本人形といえばそうなんだけど、なんか違う。不思議な子よねえ」


 どきどきするが、向日葵は自身の登録名を尋ねる。仕事もよく一緒になるし、プライベートでも仲は悪くない私は、普通に登録されているのだろうか、と。


 桔梗はにやりとし、その画面をみせる。


「〈カノジョ〉。え…カノジョ?私、桔梗さんの」


「カノジョ」


 そう言って、桔梗は向日葵に抱き着いた。


 なんだこの光景はと、冷ややかにチラとみた葵だったが向日葵は「う、うれしい…」と抱き返していた。


「はあ? うれし…?」


「うそやだ、桔梗さんのカノジョになっちゃったぁ…」


「そうよ向日葵。私の物。私ね、あなたのこと大好きなのよ」


「私も好きぃ。お、お姉ちゃんって呼んでいいですか…?私、お姉ちゃん欲しかったぁ」


「ええ。そうねえ、お姉ちゃん…きょん姉…とか何でも。うふふ、ひーちゃん」


 これだから酔っぱらいは。


 心の中で毒づくも葵は気にしないように努め、さらに黙々と書き続けた。


「でもさあ、ひーちゃんも電話帳、面白ネームで登録してなかった?」


「あれは、かちょーおじさんだけ!葵、安心してね、私はふつーに登録してるから、おじさん以外は」


 〈舎弟のきっぺい〉って普通なのだろうか。はあ、とため息と返事の間のような声を出す葵だった。


「おい、愛のために命捨てて書けよ」


 ワインをスポーツ後の水分補給がごとく流し飲みながら、桔梗は葵の後頭部を小突いた。


 最近、桔梗の息子は母親を「ババア」と呼んでいるらしい。葵も「うるせーババア」と言いたいのを我慢して、無心で練習を続けた。

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