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葵、逆らえずに頭を抱える

 葵は職場のデスクで、樹と和やかに昼ご飯を食べていた。


「この古漬けね、よう子っちの手作りなのよ~あおいっちにも分けてあげるね」


「ありがとう」


 樹は手のひらサイズのタッパーを葵のデスクの上に置いた。葵はひとつつまみ、口の中に入れる。ポリポリという小気味よい音が顔に響く。多少しょっぱめに出来ているが、葵が作ってきた塩気の少なすぎた塩むすびにはちょうど良かった。向日葵から料理の極意は伝授されたが、まだ習得には至っていない。


「おいしい」


「でしょー?よう子ちゃんに伝えておくねん」


 葵がまた古漬けを箸でつまむと、机の右端に雑に置いておいたスマホが鳴った。


 画面には<一宮千里>。葵はあまりいい予感がしなかった。


 実際その通りだった。先日、あさひから「桜まつりの土日は私と神社でご奉仕」と聞いていたように、権宮司の千里から正式にその依頼が来たのだ。


 一宮の頼みを断れるわけがない。


「…はい…わかりました」


 それしか言えない力関係である。詳しい内容はあさひから聞いてほしい、とのことであった。


 葵は通話を切り、画面を見ながらつぶやいた。


「…何やるんだ俺は」


「うーん、裏方でしょ?荷物運びとか甘酒配り?お掃除?ごみ収集?」


 ぽりぽりと漬物を食べながら、樹は答える。


「まあ、そのくらいならバイト感覚で」


「御朱印だよ、アオイくん」


 トイレ帰りなのか、淡いピンク色のハンカチを持ったあさひが、春風のような笑顔で葵の疑問に答えた。


 最近は駆除ばかりで、課長を除く課員はみな常に作業服姿である。あさひも同様。体の線が出ない服装は、より性別を不詳にさせる。


「は?御朱印?」


「そうだよ、私と一緒に御朱印を書く係」あさひは葵に後ろからばっと抱きつく。「楽しそうだね」


 すぐに葵は、その手をどかした。


「おい、俺は一度もそんなもの書いたことないぞ。お前か、俺に書かせようなんて言ったのは」


「確かに企画したのは私だ。でもね、選んだのは吉野様さ」


 あさひによると、何年か前、お伝え様でも流行に乗って御朱印帳を作ってみたという。だが、思った以上に在庫を抱えてしまっているらしい。


「えー、人気ないのねえ」


「デザインがさ、良く言えばレトロ、悪く言えばダサいんだよ。私なら欲しくないね。上の人たちには言えないけど」


 そこで、村だけでなく近隣からも多くの参拝者や花見客が訪れる桜まつりを活かして、これを少しでも解消しようと考えたのだ。


「私だけじゃなくて、ほかの職員も企画を出したんだ。そのいろいろな案の中から、吉野様が私の案『お伝え様オリジナル御朱印帳を授かると、葵君に御朱印を書いてもらえる』を採用したというわけ」


 葵は立ち上がり、あさひを見下ろした。向日葵より少し背の低いあさひは、葵を微笑みながら見上げる。


「なんで本人の了解を得ずに、勝手に企画出してんだよ」


「通るなんて思わなかったんだよ。ごめんね。文句なら吉野様に言うんだね」


「でもさあ、吉野様ったら俗っぽいアイデアを選ぶのねえ。いっがーい。どっかのアイドル戦略とか、一つ買うと一つおまけがつくキャンペーンみたい」


「それはまあ、神社と言えど、だ。仕方ないね。ちなみに私はお伝え様以外の御朱印帳担当だ」


「俺は神職じゃない。ただの地方公務員だ」


「資格は持ってるでしょ。それに、字がきれいな一般の人を雇って書いてもらうこともあるんだから、アオイくんでも無問題だよ」


「字はきれいじゃない」


「決まったことだ、諦めなさい。もう一度言うけど、選んだのは吉野様。文句なら吉野様に言ってよ。言える?」


 葵は息をつめ、やがて小さく吐いて、ゆっくりと座った。


「練習セットを持ってきたから、あとで渡すね」


 清掃やお守りの巫女バイト程度だとばかり思っていた葵は、頭を抱えた。一宮の当主である吉野の決定ならば、確かに覆すことは不可能である。思っていた以上にしっかりした仕事で、しかもこれでは客寄せパンダ。誰もが目を奪われるような容姿でありながら、学級委員長、生徒会長……とにかく前に立つのが、目立つのが苦手な葵の、最もやりたくない、利用されたくない部類である。


「そもそも、俺が書くからって捌けるとは思えないんだが」


「けっこーいけると思うわよ。村、っていうかこの辺の街も含めて、アオちゃんは一番のアイドルだからね!握手も加えたら~なんて!僕並んじゃう!」


「いいアイデアだね樹ちゃん!握手付か。言い方は悪いが『売れそう』だ。吉野様に提案してみよう。ハグも加えるか、それはやりすぎだな、うん」


 話を聞いていた隣の自然環境課の女性たちが、「それなら御朱印もらいに行こうかな」などと寄ってきた。


「え、本気で言ってますか?いつも同じ部屋にいる俺ですよ?」


 本気だよ~、と女性職員はきゃあと返す。しかも一人は子持ちのご婦人だ。


「これで2冊!本当に来てね」あさひは満足そうだ。


 そこへ伊吹と向日葵が、「さあお昼ご飯だ! 一緒に食べよう!」「そーですね!ハラ減りました!」「今日はタケノコご飯弁当なんだよ!」「見せてください!」、などとわいわい言いながら駆除から帰ってきた。駆除も手馴れてきたもので、こんな雰囲気で帰ってくることも増えてきている。


 部内に入ったとたん、二人の前には、机にうつぶせてどんよりした雰囲気の葵と、その周りで楽し気に談笑する職員たち、という極端な光景が広がっていた。伊吹は険しい顔で彼らに近づく。


「君たち葵君をいじめているのか。一番若い子を囲んで、パワハラだぞ!」


 違うわよ~、と樹が理由を説明した。それを聞いた伊吹は軽く笑いながら、「頑張れ」と葵の肩を叩いて席に戻った。


 周りの反応とは裏腹に、向日葵はこの状況を笑うことはできなかった。


 後頭部しかみえない葵を反対の席で見下ろしながら、焦りを感じていた。

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