昔日晩秋、紅は散り厳冬を迎える
人は一人では生きていけないのだろうか?
その問いの答えを定義することは難しい。
場所、状態、状況によって異なるからだ。
しかし、最も考えなければいけないのは、果たして社会から逸脱してしまった人は人といえるのだろうか
ドクン、ドクンと鼓動を撃つ音が聞こえる。眼の前にある巨大な炉心。パイプから赤い光が漏れ出て、まるで心臓のように動いている。人々が生きていくうえで必要な資源が断続的に採集、精製を繰り返している。
「一体、これはいつまで持つのでしょう?」
「十数年って、とこです。しかし、潤沢な龍髄の採集地点はどんどん減っています。都市を潤すにはこれしかないってのに、未来は暗いですね」
「でしたら、あのお天道様も燃料と致しましょう。ほら、明るいでしょう?」
茶色の髪に翡翠の瞳、上品に口元を扇子で隠す少女、肩から溢れた一房の髪が砂塵に運ばれ、優雅な模様を覆う外套が風にはためく。隣りにいた中年の男性は彼女の言葉に苦笑する。
「どうやって燃料にするんです。届かないでしょう」
「ここにはこんなにも砂があるんです。全部掻き集めて、海の水で固めればあそこまで届くかも」
「と、冗談はここまでにして。次の探査が必要でしょう。私が議長に掛け合いますので、あなた方は安心して仕事を続けて下さい」
少女の話し方は年相応表情にコロコロと変えて、その重大さと正反対に世間話のように段取りが決まっていく。
「この仕事はあなた達に託します。我が国の存亡に関わる大事な仕事、その栄誉に誇りを持ち、この過酷な砂漠に埋もれた黄金を見つけて下さい」
「……実は少し羨ましいのです。私は由緒ある家系の娘であり、なおかつ人に頼ることでしか生きていくことができません。あなた達のように直に人々のために役に立つことができません。あなた達の仕事は子どもたちに夢を与えてくれる」
「おお、それは凄いですね。お父様はあまり外出を許してくださらないので、そのようなものを見たことがないのです。いつか、私も見てみたい」
一人一人に掛ける言葉は違う。それは間違いなく彼女の本心でもある。彼女の話し相手も立場を忘れて彼女を歓迎する。それは彼女が築き上げていた信頼関係。彼女の品格と能力を示すに相応しい一幕。
「ふふ、でも少し寂しいです。こんなにもてなされてしまったら……帰るのをやめて、お父様を困らせようかしら」
「駄目ですよ、あの方はホノカ様のことを寵愛していますから」
「反抗期というものを考えないのかしら! もうっ!」
ぷくーっとホノカが不満を膨らませてみると彼らの中で笑いが生まれる。また、一部の者は少し恥ずかしそうに頭を掻いていた。その様子に笑いが堪えきれず、彼女はあどけなく笑う。
「あははっ、お子さんに同じようなことを言われたのですか? 確かにあの子たちは拗ねることもありますが、でも心のなかではあなた達に甘えたいのです。いつも元気な子どもたちが来てくれないと私も寂しいのに」
「さて、これ以上は本当にお父様も心配してしまう。皆さん、ご機嫌よう。迎えが手前に来てるようなので、見送りは不要です。今夜もいい夢を」
静かに歓迎の宴から抜け出し、頭を下げて出迎えた執事が馬車の扉を開く。
「あら、お兄様もいたのですか」
「ホノカ……こんな闇夜にレディが一人でいてはいけないよ。君はいつも私達を困らせる」
「ふふ、すみません。私はいつも家族の手を借りて生きてきましたから。この足が動くようになっても、私は頼ることをやめられないようです」
「その言葉は三回目だ。本当はそんなこと思ってない」
ホノカがちろりと舌を出すと、兄は困ったように笑う。
「私は生きてるだけで誰かの負担になる。それは変えようのない事実です。一人で野山を駆けることも、こんな手では龍髄を掘り出すことも、被せられた砂を払うにも一苦労。どんなに世界が発展しようとも、これだけはどうにもならない。私にとってお兄様や普通の人々はまさに天からの贈り物を正しく受け取った天才たちなのです」
「私は生きてるだけで迷惑をかける。でも、迷惑をかける事を悪いとは思いたくない。だって、悪いと思ったらせっかく差し伸べてくれた厚意を歪めてしまう。それに、私は美しいと思うのです、そのあり方が。だから、私は人に頼る。そして、頼らせてもらった方に恩を返す。私なりのやり方で、私にできることで。胸を張って、社会の一員であろうとする。それが私が公爵家で大切に育てられたことに対する運命だと思っています」
「ああ、構わないよ。君が頼ってくれる、お兄様にはそれだけで充分だ。それと、君を荷物だと思ったことはない。私がここに来たのはこれを渡すためだ」
「これ、シルメリア大陸行きの……お父様は折れてくれたのですね」
「全く、説得に苦労したよ。間違いなく最大の口喧嘩だったに違いない。といっても、あっちはもとからもっていたものを渋々渡してくれた」
「お父様……」
「誰もが君を応援している。もう君は一端のレディだ。遠くに行っても、私たちは見守っているから」
兄は手につけた白い手袋を外し、彼女の手のひらにチケットを収めた。
「一応、君のサポートをする者たちを付けさせるが、付き人は君が選ぶんだ」
「はい……ありがとう、お兄ちゃん」
少女は本心からの笑顔を送る。例え、高貴な身分を持ち、人を扱う立場を持っていたとしても、家族に対して偽りの態度ではなく一人の妹として接したいから。
この夜の密会から離れれば彼女は偽りの仮面を被るのだろう。しかし、それは悲しいことではない。仮面とは本心を隠すものではなく、ただ場を支配するための道具なのだから。
✴
それは草原で駆けることを夢見る少女の抱く願望と同じもの。人に背を預けた彼女は人々を支える夢を見る。
「商売とは富を得ることではありません。ただ目の前にいる相手と互いを補うこと。一方的な要求は支配と変わりません。正しく持ち物を把握し、相手が提供できるものを見定める。この手段を用いて、人々がより良い暮らしに進歩できるよう手助けをする」
「そこにお前の利益はあるのか?」
「ふふ、もちろん。私は人々が豊かな生活を送れるように支援したい。純粋に、誰かが道端で俯く姿を見たいと思う者はいないでしょう。ただ、私は人々の活気のある日常を見ていたいだけ」
「ふうん、別に何でもいいや。それで、オレは何をすれば良いんだ?」
「私の付き人として雇われてほしいのです。ただかの大陸には数多の未知が潜んでいます。だから、あなたにこれを」
「この腕輪は?」
「もしかしたら首輪かもしれません……冗談よ。これは護身用の武器、これを身に着けていればどこからでも武器を呼び出すことができます」
「そんなに物騒なのかよ、あっちは」
「……少なくとも、外来者に対して良い印象はないでしょう。とはいえ、それを持たせたのは争うためではありませんから。それには生命維持機能があるので、念のため常に携帯することを薦めます」
「分かった。にしても、何であんな辺境地に新聞屋を?」
「我々はかの土地について知らないことが多い。数十年前の戦争ですら、遠征した人々は沿岸部までしか占拠できなかった。人々は彼らについて野蛮という印象を持っています。それは彼らが自然を開拓していないから。でも、彼らは我々を押し止め、内陸部へと繋がる道を塞ぐことができた」
「ただ相手が侵攻した国より強かっただけだろ?」
「あくまで当初の目的は遠征だったらしいので詳しいことは分かりませんが、だとしても名だたる大国が押し寄せたのに打ち払えたという事実は、それをなし得る力があったということ。シルメリア大陸にはまだ私たちが知らないような発達した文明があるのでしょう」
ウサギは話に疲れ始め、小さくため息を吐いた。
「それで?」
「人々は新天地を求めて大海原に乗り出した。しかし、海の果てで見つけたのは我々と異なる道を辿った住民。……そんな顔しないで、要点を言うから。つまり、私たちが為すべきことは変化する時代の中でいかに彼らを融和させるか。暴力を振るえばこちらも痛手を負う。かと言って、遠い未来で彼らと食卓を共にすることができても、その変革の後で彼らは既に採決された規定に縛られてしまう」
彼女は口元を隠していた扇子を閉じ、それをウサギに向けた。
「だから、私たちが為すべきことは彼らの文化について知り、もっと交流すること。きっと民衆は明かされる真実に目を奪われるし、彼らを認知するきっかけになる。というわけで、サイちゃん。これからよろしくね」
にこやかに手を握る彼女、それにウサギはぐったりと耳を垂らした。
✴ホノカ・リューゼン
身分の高い家の娘であり、生まれながらにして足が不自由。しかし、それを気にする素振りもなく己の才覚を発揮して物事を進める気質を持つ。可愛いものが好き。
✴サイ
ただのウサギ。しゃべれる。
ちいさな体にハッチング帽とお古のコートを着ている
……以上。