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若き城采

即墨の城采のお招きに応じた曹参は、ひとまず目的を達せられた高揚感から、久し振りに気分が良かった。それはそうだろう。こんなに簡単に、説得すら必要無く、二城を漢に吸収出来たのだから、そう感じても不思議はなかった。


若き城采の男も、何事も起こらずに、開城を(うなが)せて、安心している様だった。食事と言っても、ささやかなもので、食卓には麦が浮いている(かゆ)と山草を漬け込んだものが乗っているだけで、これでもましな方だと城采は話す。


漢に身を委ね、明日の朝には皆、帰郷が出来ると分かっているから、節約していた食料を全て供出したのだと打ち明けてくれた。城采は備蓄してきた酒の中から、ましなものを食卓に出して注いでくれる。


「酒を飲むのも久し振りです!何しろ皆を統制している身分で、酒などとても口には出来ませんからね…食料も無くなって来たので、やむを得ず(きょ)城の城采に相談に行ったのですよ!」


漢に降伏する事を決めたのは、この男で間違い無さそうだが、莒の老人の意向も入っているのだろう。二人の男の決断が、無血開城に導いたのだから、勇気のある判断だったと言えるのではないか。


「いやぁ、とんでも無い!単に食べ物に困っていただけの事です♪」


若い城采は(ひょう)々と言葉にするが、並大抵の胆力だと決断も難しかったに違いない。酒は混ぜ物が無いだけましだが、決して上等なものではなかった。曹参は配下にまともな酒を持って来させて、若き城采に献じた。


「いやぁ、有難い。こんなに旨い酒は久し振りだな…皆にも飲ませてやりたいが…」


若いのに出来た男だった。この男は優秀な様だし、推挙すれば漢のために働いてくれるに違いない。


(わし)の配下に欲しいな…』


曹参はそう想って男を眺めている。男はそんな事とは露知らず、相変わらず落ち着いた様子で、注いで貰った酒をさも旨そうに飲んでいる。


「心配は要らぬ。皆には樽で配っておくように命じたからな…お前さんは気にせず、遠慮無く飲んでくれていい…」


「本当ですか?それは嬉しいな…皆、苦労を伴にしましたので…ようやく解放されるのですから、笑顔になった顔が見たかったのですよ!本当に有難う御座います♪」


若き城采は喜びを素直に表現して、頭を下げた。慎ましく謙虚で、情がある。そして何よりも、善悪の区別がしっかりしていて、行動力があった。曹参が好む人物だといえた。


「時にお前さん、名は何と言う?」


曹参は念のため聞いてみる事にした。この時代であっても民にも名はあるだろうし、ましてや皆をまとめる采配であれば、それなりの名を名乗っていても不思議はない。


それでも興味がなければ聞かぬだろうし、恐らくは聞いてもすぐに忘れてしまうだろう。彼はそういう理屈に合わぬ事は好きでは無いので、日頃は(こだわ)らなかった。つまり彼にとっては珍しい事なのだ。


若き采配は、少し言い淀んだ後に答えた。人に興味を持たれる事に慣れていないのかも知れない。


「申し遅れました。私は魏勃(ぎぼつ)と申します。」


今までは割とハキハキと受け答えの出来ていた魏勃であるが、こと自分の事になると歯切れが悪かった。漢の将軍の仰せだから、聞かれて答えぬ訳にもいかず名乗りはしたが、そもそも通常ならば対等に話しが出来る相手ではない。


これまではこの城の責任者という立場で応対していた事情があったから、まともな会話が成り立っていたが、この瞬間から変に意識してしまった。彼は自然と(うつむ)きかげんになり、面目なさそうに(うな)()れている。


曹参は今でこそいっぱしの将軍として振る舞っているが、もともとは獄吏なので、民の心の有様も判らぬでも無い。


『そうか…名前を聞いた事で変に立ち位置を意識させてしまったのかもしれん…』


そこで彼は機転を効かせる事にした。


「これは魏勃殿、以後お見知りおき下され!貴方はなかなか聡明な方だ。そして慎ましく、奥ゆかしい。何より私が感銘を受けたのは、貴方の仲間を気遣う優しさだ。これは今後も大事になされると良い!」


彼はそこで一旦言葉を切ると チラッと魏勃を眺めた。魏勃は感無量といった表情で真摯に聴いている。彼は言葉を続けた。


「私も今でこそ将軍を拝命しているが、もともとはしがない獄吏で御座る。たまたまお仕えしていた蕭何(しょうか)という官吏が、当時亭長だった劉邦様の蜂起に参加したため、私もそれに付き従ったのが切っ掛けで、今が在る。貴方も私も根っ子は然程(さほど)の違いも無いのです。この世の中、機運というものが存在するとしたら、私はそれに上手く乗れたのでしょう。それが貴方に来ないとどうして言えましょうか…でしょう?」


「確かに仰る通りですな…立場の違いを意識する余り、私は自分を見失っていたようです。お言葉、心に深く刺さりました。実は私は、貧しい家に育ちまして、その事も少なからず影響していたかも知れませぬ。でも将軍のお言葉を聞き、私もその機運に巡り合う事が出来るかもしれないと、自信が持てました。これからも自分の信じる道を貫く事にします…」


魏勃はそう応えると、感謝の言葉を述べた。そんな事があって、彼も本来の自分を取り戻した様なので、再び座は明るさを取り戻した。


余り語る事の無い曹参が、これだけ饒舌に語り尽したのも久し振りの事である。たまに波長の合う人というものは、事実存在する様である。酒を飲みながら、友と語らう。実際そんな雰囲気が確かにそこには在った。


曹参は、かような良い気分はまたとないと思い立つと、魏勃をどうしても配下に欲しいと考えた。そこで思い切って打診しようと決断した、その時である。


魏勃が急に可笑しな事を語り始めた。彼は莒の城采と話し合った後に、即墨まで戻って来ると、漢軍の到来を今か今かと待っていたそうである。そんな矢先に、列をなした一団が即墨の北を海の方へ進んで行くのを目撃したというのだ。


曹参も始めはその意味を計りかねたが、漢軍がそんな行動を取る筈がない。楚国または斉国であれば可能性が無くもないが、今の楚国にそんな事をして利があるとも思えなかった。


そうなると『斉か!』そう思い至るしかなかった。斉は田横が捕虜となり、田広は高密城にいる筈だ。


『今頃は韓信殿が攻めている頃合いか?』


そう考えれば斉国の一団の筈も無くなるが、曹参はここで持ち前の勘が働く。勿論それは、目の前にいるこの魏勃という男を信用すればの話である。


『この男は信用出来る…』


曹参はそう想った。但し、彼が見た一団が、軍とは全く関係のない第三者という事も十分にある。


『どうするか…』


曹参は迷った。


「貴方が目撃したのはどのくらい前なのです?」


「そうですね…ニ刻は前でしょうか?今となっては、遅いですよね。すみません!もっと早く思い出すべきでした…」


魏勃は心底、悔いている。


「二刻か…そもそもここ即墨は海に近い。海岸に至るのに、然程の時も掛からぬだろう。そこからは恐らく渡し舟だろうが、わざわざ海を渡るとするならば、あらかじめ舟の手配はしてあったのだろう。そうでなければ辻褄が合わない。ならば、今から追っても無駄だろうな…」


理屈はそうである。そうであるのだが、彼の心は揺れていた。


『私の勘は大抵の場合、当たるのだ!』


事実、曹参の勘は良く当たった。それで何度も窮地を乗り込えて来ている。


「どの程度の一団だったのか?」


曹参は尋ねる。


「そうですね…3000ほどでしょうか…」


曹参はそれを聴いた途端に、確信に近いものを感じていた。それは間違いなく田広だろう。恐らく彼らは何らかの方法で、田横が捕えられた事を知ったに違いない。


楚軍は逃げるのに必死だったし、我らは濰水(いすい)が落ち着くのを待っていて、身動きは取れなかったのだ。その間に高密城から離脱したとするなら、十分逃走の余地はある。考える暇さえあった事だろう。


彼はここで疑問を感じる。果たしてそんな数を渡す舟が用意出来るのだろうか?判らない。判らないが、もし仮にあるとしたら、もはや手遅れだ。


けれども、そんなに数がなくて、目的地との往復をしているとすればどうだ?舟の数にも依るが、ひょっとすると、二刻では(さば)き切れない場合も有り得る。


『これは駄目もとで追う価値があるかもしれない…』


曹参は決断した。


「良し!これからその一団を追うぞ!!」


彼がそう告げると、一瞬魏勃は驚いていたが、「一緒に来るか?」という問掛けには、「はい!」と答えた。それからが大変だった。


急遽、酒席はお開きとなり、即墨に駐屯していた5000の兵のうち、4000をその守備に残し、取り急ぎ1000の兵と共に、海辺の渡しに向かう。そこから左右に別れて、海岸線沿いを隈無く探したが、遂に該当の一団に行き当たる事はなかった


しかしながら、岸辺の渡しの至る所には、舟が発着した後が残っており、何者かがここから漕ぎ出でて、どこかに向かった事は確かな様だった。曹参は夜の海の波の打ち返しを眺めていたが、不意に魏勃に振り向くと、こう尋ねた。


「貴方がここから舟に乗り、逃げるとしたら、どこに行きますか?」


魏勃はしばらく考えていたが、急に手を叩くと、「そう言えば昔、父親から、この海の先に島があると聞いた事があります…」と答えた。


この若者が言う通りに、この海原の先に島があるのならば、恐らく田行一行はそこに渡ったのだろう。海岸線沿いに進んで、そのまま上陸するという方法も可能性としてはあるが、島があるなら単純にそこに逃げ込んだと考えた方が納得は出来る。彼は忸怩たる想いの中、ひとつの決断をせざるを得なかった。


「これで撤退する。もし仮に追うとしても、後日の事、今我々には準備が無さ過ぎる!」


この決断はやむを得ないだろう。気持ちばかりが(はや)っても、舟が無ければ、大海原には漕ぎ出せない。


「ここまで来たのに、とても残念です!」


魏勃の言葉は皆の気持ちを代弁していた。皆、渡る事の出来ない大海原の先を、恨めしそうに睨んでいた。帰りの道すがら、魏勃が曹参に尋ねた。


「将軍!仮に舟があったとしたら、彼らの後を追いましたか?」


曹参はフッとほくそ笑むと、魏勃の期待の眼を一身に受けながら、彼の忌憚のない考えを述べた。


「数にも依るだろうが、攻め込むつもりならば、大軍を乗せる船が必要になるだろう。そんな船がどこにある?それに仮に彼らと同じく、渡し舟で往復したとしても、結果はどうなる?小人数が渡れても、対岸に着いた途端に各個撃破されるのが落ちだ。相手だって必死だろうから、こちらが現地集合するまで待ってはくれないさ!これで答えになるかな?」


そう言って、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「ですよね~(^。^;)…残念です!!」


魏勃はそう応えながら、申し訳なさそうな顔で見つめた。


「取りあえず情報収集という意味では、追って来たのも無駄ではなかったのだ。貴方には、礼を言わねばなるまい。有難うよ!」


曹参は魏勃にそう応えると謝意を表した。田広は逃がしてしまったが、曹参もこうして無事に、莒・即墨二城の攻略を果たす事になる。


それは、いみじくも周勃の願い通りに、穏かなものとなった。魏勃という若き采配の決断が、それに寄与した事は言うまでも無い。

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