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龍且の生き様

『今、この時を於いて、敵総大将・韓信を討ち取る(すべ)は無し!』


龍且はそう強く感じていた。


(いや)、そう自らに言い聞かせて、この時に賭けていたと言った方が正しいかも知れない。


それだけ彼は、この直接対決の機会を待っていた!…そう断言しても過言では在るまい。


皆は、彼が項羽の真似をして、猪突猛進が過ぎると度々、諫言(かんげん)して来る。


あれ程、理解し合い、彼自身が盟友とさえ感じている、あの周蘭でさえ、この決戦を前に、自分を抑えよう、抑えようとして来る。


龍且は只ひとり孤立した様な気持ちを(ぬぐ)えないでいたのである。


『どうしてこう為ってしまったのか…』


龍且は想う。


全てはあの漢嬰との魏を巡る戦いの中で起こった。


『想えばあれがケチのつけ始めで在ったのだ…』


龍且はあの戦を思い出していた。


『……』


龍且は特段、此れまでと違った事を行った訳では無い。


彼は項羽の数或る将軍の中でも常に第一人者と観られて居たし、項羽には及ばないにしても、戦場で彼の(まと)精神力(オーラ)は、味方に高揚感と自信を与えて来た。


彼が先頭に立ち、兵を率いて突撃する時には、味方の兵は、まるで彼自身が憑依(ひょうい)したと誤解するくらい、勇気と激しさを伴って、敵の士気を(くじ)く事が出来たのである。


彼はそれがとても嬉しかったし、兵の喜ぶ顔を観るに着けて、誇りと自信を感じたものだった。


項羽も自分と同じく、敵に圧力を与える事で、その抵抗を排除出来る、彼の咆哮(ほうこう)と身体全体から(みなぎ)る圧倒的な熱量と力を愛してくれていた。


彼は自分を拾って、長きに渡り、信頼してくれている項羽に報いようと必死に身体を張って闘って来たのである。


彼の身体中には長年の傷痕が勲章の如く刻まれていて、彼が此れまで、どれ程の死地に活路を見いだして来たのかを、象徴していた。


その彼の大切な誇りをズタズタに引き裂いてしまったのが、三年前の魏国を巡る漢嬰軍と龍且軍の戦いである。


当時、魏国を援護するべく魏の相国に任ぜられ、救援に向かった項它は、西楚国の威信に賭けても、負ける訳にはいかなかった。


定陶(ていとう)で項羽の将軍・龍且と合流した項它は、漢嬰軍の軍師・宋中の策謀を見抜き、龍且にここは用心深く、事にあたる様に請願した。


一時は龍且もそれに応じて、様子を観る事に同意したが、項它が龍且の亜将・周蘭と対策を高じている間に、漢嬰に(ののし)られた龍且は(いきどお)りを(つの)らせて、その誘いに応じてしまったのである。


漢嬰はかなり痛い所を()いて来た。


「お前ほどの強者(つわもの)が、亀の様に首を引っ込めて、躊躇するとは…さてはお前さん(こと)ここに及んで、びびったな!楚軍の大将と在ろう者が情けない!判った、もうお前など相手にせぬわ!」


さすがの龍且もそこまで()われては、黙って要られない…自分を信頼してここまで着いて来てくれた配下も、その言葉を聴いているのだ!


「何を言う!この(わし)を臆病者と(ののし)るか?聞き捨て成らんな!眼にものを見せてくれる!皆の者、話は聞いていたで在ろう!あの物を知らぬ恥知らずどもに、我々の恐ろしさを教えてやろうではないか!突撃体制…行くぞ!」


龍且はこれ以上は無い程の気を()たして、紡錘(ぼうすい)陣形(じんけい)で突撃を敢行した。


驚いたのは項它と周蘭である。


彼らは宋中の策が、伏兵にこそあるのを知っており、その伏兵をどう始末するかを検討していたのだから、今、主力の龍且に出られては壊滅の憂き目に()う。


項它は自分の抑えが効かなかった事に責任を感じて、周蘭の制止を振り切って、龍且を助けに出た。


しかしながら、漢嬰も宋中もその時を待っていたのだから、そう簡単には邪魔はさせない。


輪を描く様に龍且の行く手からは、空を黒く覆い尽くす程の弓の雨が降り注いで来て、たちまち騎馬兵達は矢を受けたまま、馬から振り落とされて地に伏していく。


馬も矢を受け、血を流しながら横転し、それに巻き込まれて、落馬した上に、蹄が胸に入る程、踏みつけられて亡くなる者もいた。


二派、三派と矢の雨が降り、龍且の騎兵はみるみるうちに、削られていく。


そしてとどめが、伏兵の両横腹からの突撃であった。


龍且も罠に気づくと、直ぐに撤退を命じたが、辺り一面は血の海だ。


そこに項它の騎馬隊が突入して来て、龍且と入れ替わる様に、壁になり、奮戦を続けた。


龍且は項它の決死の突入で急死に一生を得たが、今度は項它が危機に瀕した。


漢嬰は乱戦を避けるべく、一旦伏兵を下げて、再び弓の一斉攻撃を命じる。


そこに遅れて項襄と周蘭の騎馬隊が突入して、下がりかけた漢嬰兵の邪魔をする。


弓が再び飛んでくれば、項它を失う事になる。


魏の相国を死なせる訳にはいかなかった。


ましてや項它は項羽の大事な甥であり、無為に死なせては不味い(-。-;)…。


周蘭と項襄の機転で、下がる事の出来なかった漢嬰兵は、乱戦の中に取り残されたので、漢嬰も弓の斉射を慌てて中止せざるを得無い。


漢嬰は仕方無く、項它と項襄という項氏宗家の二人を絡め取るべく、主力を投入して、円方位陣に押し包む様に、戦術を変えた。


周蘭は、お前は関係無いとばかりにその包囲網からは弾き出されて、それ以上近づく事が敵わなかった。


その時に項襄は自分の命を諦めたのである。


項它は既に龍且の壁に為った際に、深傷(ふかで)をおっていたので、かなりふらつきながらも、精神力と帰巣本能のまま、敵の絡めとりから逃れていた。


項襄は必死に項它に近づくと彼の馬に飛び乗って、手綱を取ると、敵を蹴散らしながら、包囲の突破を試みた。


その彼の思惑に応える様に、一度弾かれた周蘭が再び突入して来て、壁を作る。


項襄達は巧く擦り抜け、脱出は成功するかに思えたが、その時に項襄の背に1本の矢が突き立った。


項襄は馬から落馬すると、再び漢嬰の円方位陣に絡め取られて、見えなくなってしまう。


周蘭もさすがにこれ以上は支え切れずに、撤退を命じるほか無く、項它は救い出せたものの、項襄は見捨てるほか無かったのであった。


項襄の勇気に感じ入った漢嬰が、彼を瀕死の重症から一命を救い、その恩に報いるために、項襄が漢嬰に忠誠を誓った事は、先に話した通りである。


この戦で項它も瀕死の重症をおい、龍且も周蘭も大敗北を喫して、撤退するほか無かった。


『……』


龍且はその後、反旗を(ひるがえ)した英布を撃破して、その拭い難い汚点からは立ち直ったかに見えたが、今ここで韓信を取り逃がしては、またあの時の恥の上塗りになると感じていた。


だからこそ、この戦では遅れを取る事は許されない。


そして再び我が力を味方にも敵にも、知らしめてくれよう…。


そう強く念じていたのだ。


『韓信を匹夫(ひっぷ)(さげす)み、"股潜り"と揶揄(やゆ)して見せたが、もはやそんな事はどうでも良いし、露程も感じては居らぬ…そう想い込みたかっただけだ!』


龍且は逃げる韓信の背を見つめながら想う。


龍且は確かに、韓信を『股潜り』と馬鹿にして来た。


それは間違いでは無い。


しかしながら、そんな奴が北方四国を攻略して、敵の大軍を打ち破れる筈が無い。


そんな事は龍且にも判っていた。


けれども、彼は認めたくなかったのだ。


認めてしまえば、そんな自分が許せない気がしていた。


そして嫉妬も在った。


なぜ彼は名を為すことが出来て、自分は出来ないのか…武力ならば絶対に自分は奴には負けない…その自信が頭をもたげて、認める事が出来なかったのだ。


全ては、この乾坤一擲で自分が勝てば、済む事だ!


彼はその悲愴なまでの想いから、韓信を仕留め様と必死に追っていた。


ところが、なぜか差を詰めたと思った矢先に、再び差が開いて行く。


此れは単に馬の性能の差なのだが、龍且にはそんな事は判らない。


韓信の馬は元々、匈奴の単于が手に入れた、北方の騎馬だ。


その力は、汗血馬には劣っても、中華の馬よりは優っており、長く速い脚が使えた。


だから龍且の気力が憑依して力が増した馬でさえ、捕まえるまでには至らなかったというべきだった。


それでも龍且は諦めずに、深追いして行く。


その龍且の狂気にも似た精神力に引き()られる様に、龍且軍10万は益々意気を上げて突進した。


その時である…上手から唸り声の様な轟音の響きと共に、大量の水が山の様な洪水と為って襲い掛かって来た。


「何!」


龍且は驚きの余り眼を見張った。


間一髪!韓信の軍は対岸に辿り着き、(おか)に待避した。


「クッ!」


それを追い掛ける龍且もギリギリのところで陸に上がる。


ところがその後続の殆どは、その洪水に巻き込めれる様に流されて行った。


龍且は思わず後ろを振り向いたが、殆どの龍且軍は、巻き込まれてしまい、恐ろしい悲鳴を上げながら、河下に流れて行く洪水に流されて、見えなくなって行く。


「「「「ギャ~ギャ~助けて…」」」」


この恐ろしいまでの阿鼻叫喚の有り様を観た龍且の眼には(ほむら)が灯り、(なお)も韓信に一撃を入れるべく、追い(すが)った。


「糞っ垂れ!!」


龍且の眼には韓信の背が見えていた筈なのに、一瞬のうちに李左車の防御体制の中に逃げ込んでしまい、さらにその左右からは槍兵が長槍を突き出して来る。


(くそ)う…」


龍且はやむを得ず手綱を引いて、それを(かわ)そうとしたが、その刹那、死角から跳んできた、(げき)が彼の身体を切り裂いた。


「ウガッ…」


不意を衝かれた龍且は、(あらが)う術も無く、そのまま馬から落馬して、絶命した。


その手には一矢報いる事無く、彼に長年愛用された(すい)が握られたままだったのである。


彼の(まぶた)は驚いた様にカッと見開いたまま、やがてその体躯からは、命の火が消えてしまった。


彼の横に佇みながら、鬨の声を挙げたのは誰在ろう、漢嬰その人だったのである。


龍且と共に陸に上がれた者たちも、李左車の迎撃に依り、その殆どが包囲されて、たちどころに殲滅された。


その直後に、李左車の防御陣が開くと、韓信がその奥から、戻って来た。


龍且は韓信の足許にひれ()す様に、(しかばね)と為って臥せる羽目になった。


彼の瞼にはもはやそんな韓信の姿は写っていなかった。

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