表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/88

神の思し召し

さて、周殷の投石機の激しい激突を何とか逃れた魏豹であったが、着地した先が運悪く先に開いた穴の縁で、抵抗も虚しく支え切れなかったその体躯は、反動で大きく開いた闇の淵に吸い込まれる様に落下して行く。


激しい戦闘の合間に疲弊したその脚は、彼の意思とは裏腹に、言う事を効かない程に疲弊していたので仕方が無かった。


「くっそぅ~うわぁ~(*_*)…」


彼は断末魔の言葉を最後に、重力の法則に逆らう事無く、気持ちが良いほど簡単に、どんどんと墜ちていった。


抵抗を試みる決意をした時から、既に死は覚悟していた筈なのに、いざそうなってみると、心残りが付き(まと)う。


彼は墜ちて行きながら、必死に生に執着した。


但し、完全に彼の身体は空中に投げ出されている訳だから、無駄な抵抗を試みようにも、何も出来る事は無かった。


身体の自由は効かないし、(つか)まれそうなものも無く、そもそも考える暇も無いほど身体はどんどん落ちて行くのだから、地に激突するのは、もはや時間の問題であった。


恐らく彼の身体はその激突に耐えきれず、グチャグチャになり、頭は割れて血の海になり、眼球は飛び出し、顔は潰れて、見る影も無い姿になるだろう。


人の身体は弱い。


その大半は水で出来ているのだから当たり前だが、衝撃にはとても弱かった。


彼はもはや為す(すべ)無く、運命に身を(ささ)げるほか無かった。


全ては神の御手(みて)(ゆだ)ねられる事に為ったので在る。


本来ならば此れまでの人生を無為に過ごし、何の寄与もして来なかったばかりか、裏切りに裏切りを重ねて、およそ人の道に外れた行いを、厚顔無恥にも続けて来たこの男を、神が(すく)い上げるとは想えなかった。


ところがである。ここで一筋の光明が射す。


そもそも崇高な神の考えを、高々人の身で(おもんばか)ろうなどとは、不遜(ふそん)な事である。


ドス~ン!!「うぐ…ぉあ…」ゴロンゴロン…バキン!!「ギャアア…うごっ…」パタン…


魏豹は劉邦の寝台の枕の上に激しく打ち付けられると、その圧力が寝床に少なからず吸収されて、その勢いで身体が弾むように、大岩で開いていた石階段を転げ落ちて行き、洞穴の坑道の先に停まっていた大岩に背中をぶつけると、その動きを停めた。


寝台に落下する瞬間、彼は咄嗟(とっさ)に頭を(かば)った様であったが、無論それは意識的に行動した結果では無く、無意識の産物だった。


そういう意味では幸運と言えたし、見方を変えれば、神が彼の戦闘中に()ける後悔の念と懺悔(ざんげ)の心に耳を傾け、その命を惜しんで、(すく)い上げ様と試みた結果かも知れなかった。


(いず)れにしても、ここで彼は命を拾う事になる。


『ゴキュ!バキッ!』


但し、頭を(かば)った時に無意識に突き出した両腕は木の枕の硬い衝撃で捻挫していたし、右手の(こう)破砕(はさい)したかも知れなかった。


そして大岩に背中をぶつけた事で、連続運動に物理的な抵抗を受けた彼の体躯は、自由落下運動の加速からは逃れる事が出来たと()えるかも知れないが、その代償は大きく、その瞬間に肋骨(ろっこつ)が何本か持っていかれたらしく、激しい痛みを伴って、彼の身体を襲った。


しかしながら、恐らくは脊髄(せきずい)損傷には至らなかった様であるから、この状況下ではまだ幸いと言えただろう。


さらにはその激しい痛みから、彼は一時的に意識を失ないながらも、直ぐに覚醒(かくせい)する事が出来たのであるから、その痛みでさえも、彼を救う一如(いちじょ)になったかも知れない。


(いず)れにしても、彼が満身創痍(まんしんそうい)である事には違いは無い。


それでも、彼の生への執着は、彼の行動を突き動かし続けた。


彼は身体の悲鳴を必死に抑え込みながらも歩き始める。


洞穴の坑道にその存在を示す様に、堂々と道を(ふさ)ぐ大岩の隙間を巧みに抜けると、そのまま両手をブランとさせながら、ただひたすらに闇の中を真っ直ぐに突き進んでいった…


…筈だった(^^;しかしながら、当然の事ではあるが、彼の身体は彼の言う事をまともに聞きゃあしない。


彼は無意識にもSの字に蛇行しながら、時にあっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら、暗闇の中を闇雲に進んで行く。


左右の壁にぶつかる度に、彼の身体は悲鳴を上げて、その心は次第に折れて来ており、その度に彼は何度も諦め掛けたが、ギリギリの所で踏み(とど)まると、再び前進を始めた。


彼は歯を食いしばり、満身創痍の身体を引き摺りながら、蟀谷(こめかみ)からは絶えず血が流れて、ポタッ…ポタッと坑道の道行きに印を着けて行く。


彼は身体の苦しさから、少し休みたいという誘惑に駆られる度に、『(いや)…ダメだ!』と悪魔の(ささや)きを退(しりぞ)ける。


恐らくは一度でも休んだならば、もう二度と立ち上がれないだろうと、無意識に感じていた為だろう。


彼は過酷な道行きを、そんな(てい)で克服していった。


まさに彼の生への執着が、死神の誘惑に(まさ)ったと謂うべきあった。


そして彼の執念は、ついに実を結ぶ事になる。


彼の行く手には、やがて坑道の終着地が見えて来ていた。


突き当たりの石階段の先からは、陽の光が射し込んで来たのである。


此れは張良が稟笥との約束を守れず、蓋を閉めなかったためであり、魏豹にはそれが却って幸いしたようだ。


()いて張良の弁護をするならば、彼は身体が弱っており、たまたまその彼が撤退時に最後を歩いていたためであった。


彼は蓋を閉じようと一度は試みたので在るが、それを完全に果たす事は叶わなかったのだ。


蓋は張良を嘲笑(あざわら)うかの様に途中で引っ掛かり、完全には閉じなかった。


だから彼は仕方なく、その上からなるべく擬態(カムフラージュ)して、土を(かぶ)せて、誤魔化(ごまか)(ほか)()かったのである。


彼は自分を待っているで在ろう陛下を必要以上に待たせる訳にはいかなかったのだ。


神が魏豹を救ったと(たと)えるのならば、此れも神の御業(みわざ)のひとつと言えたかも知れない。


魏豹は陽の光を頼りに石段をゆっくりと登る。


そして捻挫した腕で持ち上げる事が叶わないと知ると、歯を食いしばり、肩の力を一点に集中させると、開いた空間からまず頭を突き出し、両肩に蓋を乗せるように、這い出すと、一心に気持ちを込めて、上半身を滑らせる様に勢い込んで這いずり出た。


幸いにも彼は、その身を完全に脱け出す事が出来たのである。


此れこそ、まさしく天の配剤(はいざい)と謂うべきで在ろう。


彼は外界の空気を肌で感じて、陽の光を浴びると、両手を合わせて神に感謝した。


そして蓋の上で踊る様に何度も跳び跳ねた。


それだけ嬉しかったのだ。


蓋は彼の体重に耐えかねたのか、はたまた御機嫌を直したのかは判らぬが、完全に閉じると、深い闇の世界に別れを告げた。


魏豹は、傷つき、疲弊した身体を励ましながら、その場所からとっととトンズラする事にした。


せっかくここまで奇跡的に脱け出せたのに、ここに(とど)まって居れば、楚兵の追撃を受けるかも知れない。


そうなっては今までの苦労が水の泡である。


彼は再び神に謝意を示して、二度と高望みをしない事、日陰の身に徹して、日の当たる場所にはもう出ない事を固く誓う。


そうして、此れからは、生まれ変わったつもりで人生をやり直す事に心を決めた。


彼はその決意の証として、魏豹という王族の名前を()てて、永久に封印し、名を完全に変える。


謝平(しゃへい)


それが彼が選んだ新しい名前であった。


自分を心ならずも救う手掛りを残してくれた、「陳平に対する感謝」という意味が込められている。


そして今後は、『腰を低くして、安らかに生きる』という意味もそこには込められていた。


謝平は森の中を西に向けて、テクテクと歩いて行く。


生まれ変わった彼を祝福するかの様に、雲ひとつ無い清み渡った青空が彼の行く手に広がっていた。

【後書き】


遂に長い時間を掛けて『魏豹篇』完走しました。


(^^;何とか自然に逃げ延びる結果に導く事が叶い、ホッとしております。


この魏豹さん…もとい謝平さんが、今後の展開の中で想わぬ、鍵となるのですが、それはまだ、しばらく後の話になります。


忘れた頃に再登場すると想うので、お楽しみにして下さいね(*^^*)♪


byユリウス・ケイ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ