大脱出
劉邦の号令が下るや、主だった将や文官がまず叩き起こされ、広間に集められる。
まだ夜の闇の帷の中…夢うつつで叩き起こされ、皆、何事かと顔を歪めている。
しかしながら、陛下の御下命と判ると従わない訳にもいかない。
そして皆、音を立てずに行動するよう念を推されているため、静々と広間に集まって来た。
ところがである…広間の中に入るや、皆、各々に思い知る。
何故か…。
大広間の中心には漢王・劉邦が眼を輝かせながら座り込んでおり、その左右には陳平と張良という切れ者の軍師が佇んでいて、ジッと此方を睨んでいるのだ。
大抵の者は、こんな時間にこの三人がシャキッとしているだけで、ただ事では無いと思うだろう。
朝睡眠不足から欠伸をしながら出勤したら、朝一から部長が既に来ており、シャキッとした顔で働きながら、此方をジロッと見つめられたら、貴方ならどう想うだろうか?
(^。^;)…
きっとドキッΣ(; ゜Д゜)とするに違いない。
この場合、社長、専務、常務がその状態で此方を睨んでいると考えると判りやすいのではないか?
きっと心も身体もシャキッとする事、請け合いである。
(^^;)一瞬にして目が覚めそうですな…。
プラシボー効果とは少々異なるが、この場合、一時的にではあっても、似たような効果が在ったかも知れない。
実際彼らにとっては、それが実は付け目だったりもするのだが、皆、この術中に嵌まって、入る者は次々に目覚めた様に、直立不動で相対し並んで行く。
ところが事実は多少異なるところにある。
劉邦は何度も起こされて目が冴えてしまっている上に、やっと逃げられると判っての事でワクワクしているだけである。
陳平は元々夜長していたのだし、実行部隊の責任者だから、ゆめゆめ無様な姿は見せられない。
張良は元々昼寝しながらの夜間勤務中である。
ただ皆そんな事情を全て把握している訳でも無く、ましてや寝起きで未だに頭も回っていない。
視覚に入って来る情報にのみ刺激を受けて反応しているだけである。
故にただひたすらに目の前に鎮座する三人の視線が気になって、恐れ戦いているに過ぎない。
やがて幹部連中が勢揃いすると、劉邦は訓示を述べた。
「皆、御苦労である。実は我が軍にはもう兵糧が無い。そして明日になったら項羽が自ら攻めて来ると判った。此れだけ聞けば判ると思うが、我々はそれを避けるために、此れから逃げる事になった。なぁに心配するな…皆で無事に逃げられるから慌てなくても良いが、ひとりの脱落者も無く、撤退したいのだ。だから、此れからお前達に伝える事を肝に命じよ。陳平!説明してくれたまえ♪」
劉邦は言いたいだけ宣うと、後は陳平に委ねた。
(-∀-`; )結構恐ろしい事を色々と平気で口にした気もしますが…。
「はっ!陛下、重責を任され、この陳平、身に余る光栄で御座います♪」
陳平はそう言うと、「陛下の御下命を下す!」と言って話を引き継いだ。
「まずお前達にやって貰いたい事は、傘下の部隊長達を叩き起こし、各々で集め、撤退を伝える事。事は秘密裏に行うので、静々と行動する事。逃げ遅れが無い様に点呼を取り、順次撤退準備が出来たら、指示を待て!呼ばれたら陛下の寝殿に順番に来る事。そこから洞穴を抜けて脱出するから命の危険はまずない!私からは以上だ。後は張良殿より伝える。」
「陳平殿有難う…では続きを伝える。部隊長達には傘下の兵卒に同じ事を伝えさせよ。機微機微動けよ♪夜が明ける前にはこの城を空にする予定だから、余り時間も無い。計画的に順次撤退するのでゆめゆめ後れを取らぬ様にな。うまく行けば皆で漢中に戻れるのだ。判ったら安心して行動せよ。話は以上!解散…。」
黙ったまま真剣に聴いていた幹部連中も、こりゃあ大変だと言って、順次いそいそと引き上げて行った。
皆がその場を引き上げるや陳平と張良は劉邦の方へ向き直り、一礼すると、陳平が代表して発言した。
「陛下、我々は先に寝殿の方へ移動致しましょう。張良は案内人の者を待たせているでしょうから、先に退出させます。宜しいでしょうか?」
「ああ…そうだな。張良、宜しく頼む…」
「ハッ!承知致しました。かの者と合流し直ぐに参ります。では陛下!陳平殿も!」
張良は二人に一礼すると、ひとり先に退出した。
反りが合わない間は、あんなに空回りしていた関係も、一度互いを慮る様に為れば、此れ程の連携を生み出す事が出来るのだという典型的な事例では無いか?
元々は二人共、この中華を代表する軍師である。
知性も行動力も備わって居て、互いが単一で行動している時よりも、倍の…嫌、二乗倍の力を発揮出来ても不思議は無い。
互いに相手の足を引っ張る事が無いだけでも、かなりの効果を得る事が出来たのではないか?
まさに『雨降って地固まる』とはこの事で在ろう。
陳平は張良を先に行かせると、急に声を抑える様に劉邦に語り掛けた。
「紀信将軍や御史大夫の周苛殿、樅公殿には既に役者の任は解く棟、伝えて在りますが、魏豹殿は夜間は喩え起こしても起きませぬ。"夜くらいゆっくり寝かせろ"と相も変わらずふてぶてしい振る舞いで、自分は特別と言わんばかりの態度です。如何致しましょうか?(^^;)…」
「(~_~;)相変わらずそんな態度で在るか…困った奴よ…まだ自分を魏国の君主と思い込んでいる様だな…少しは態度を改めるならば、考えもしたで在ろうが…仕方無い。で!奴にはまだ撤退の件は話して居ないのだな…そう言えば先程も居なかった様だが…」
「(^-^;寝込んで起きませんのでね…事が急ぐ事案な物で、あやつに構っている暇は在りませんでした…ゆえにまだ知りませぬ。」
「(^o^;)判った!そんな奴は放って置け…後々自分の過ちを思い知るが良い…置いて行く。」
「(^.^)承知しました…ではそのように!」
二人の間で、こんなやり取りがあったのかどうかは今と為っては証拠は無いが、結果として魏豹は当初の予定通り…ただひとり滎陽に取り残される事が決まった。
もしかしたら本人がこの時点で危険を察して、起きて居たなら、仕方ないにしてもこの場は命を拾ったかも知れない…。
が…彼は起きなかった。
結果、ただひとり見捨てられる事に決したのである。
元々一度は劉邦を裏切って項羽に就いた奴である。
そのため劉邦に降伏した際に、庶民に堕とされたのを憐れみ、再び拾ってやり、魏公の位まで戻してやったのに、態度を改めず好き勝手な振る舞いをして兵の扇動までする始末…劉邦は元より、陳平も苦々しく思っていたので、当初の計画では周苛や樅公に殺させる予定だったのだから、もはや容赦無く切り捨てられたと言えよう。
彼の進退は項羽の手に委ねられる事になった事になる。
こうして大脱出計画は魏豹抜きで、静々と進められて行く。
「では陛下…寝殿へ参りましょう…」
「善きに計らえ…」
二人はそぞろ歩きで寝殿に向かった。




