狼煙台
ー斉国・臨淄城ー
決戦の日に向けて、そろそろ仕掛けの具合を確認に行かねばならない。
周勃は御前会議が終わると、ひとまず陣屋に戻り、少し仮眠した上で出掛ける事にした。
すると自分の陣屋の前に見覚えのある顔が待っていた。
叡鞅その人である。
周勃は不思議な顔をしながら、
「叡鞅殿…如何されたのです。それとも手伝いたくなったのかな?」
そう言いながら、ひとまず「どうぞ!」と陣屋に招き入れた。
そして従卒達を下がらせると席を勧めた。
叡鞅が席に座ると、周勃もドカッと腰を下ろす。
会議ではほぼ立ちっぱなしの状態だったため、彼は少々疲労を感じていた。
「で!御用件は?気が変わったなら仕掛けはお任せしても良いが?どうしたんです…魯毅の顔を見に行ったんでしょう?」
叡鞅が黙っているので周勃は少し気持ちが悪くなって来た。
すると叡鞅はようやく口を開くとこう言った。
「周勃殿!堰の工事については、場所の選定はどなたが?」
周勃はかなり初歩的な事を聞かれたため「?」と妙な顔をしながら、「僕ですが、何か?」と言うほか無い。
叡鞅は「もしそうならば、すぐに確認に行った方が良い。もう時間が無い!」そう言って席を立つと、訳が判らずポカンとしている周勃に目線を遣りながら、早くしろと言わんばかりに出口に誘う。
「ご自分の目で確認されるが良い!」
叡鞅は強い決意を瞳に宿して周勃を急かせる様に手招きしている。
周勃は何が何だか判らないが、叡鞅が言うのだから何かトラブルがあったに違いない。
しかしながら仮にもしそうなら、魯毅から何かしら報告が来る筈だが、昨日の定時連絡でも『8割方完成…』としか言って来ていない。
「私も一緒に行きますゆえ、すぐにご出立を!お疲れの事だとは思いますが、行かねば後悔しますぞ…」
叡鞅はそう言うと、とっとと歩いて行く。
さすがに周勃も「?」未だ訳が判らないが、『仕掛け』の全責任は自分にあるので、何かあったら大変だ!!
周勃はもはや疲れなど吹っ飛んでしまい、仮眠の事など忘れた様に、毛皮を羽織ると叡鞅に続く。
彼は既に騎乗を完了しており、待機していた。
「馬を!」周勃は従卒に命じると、流石に動きが早い。
即座に用意された馬に飛び乗るや、叡鞅の方はすぐに動き始めた。周勃もそれに続く。
二人は山合に入ると、可能な限りそのまま走り、傾斜がキツくなって来たところで馬を降りて引いて行く事にした。
やがて濰水の源流が見えて来る。
すると職人達は堰の完成の最終段階に入っていて、作業に余念が無い。
心配の余り、周勃は慌てて魯毅のもとへ走って行って、泡を喰った様に尋ねているが、魯毅も「?」と言った具合に怪訝な顔をしている。
周勃はすぐに堰の様子を確認するものの、見たところでは確かに堰は既にほぼ完成に近づきつつある。
何ら問題が無かった。
『では叡鞅殿は何が悪いというのだろうか?』
周勃は踵を返すと叡鞅のもとに歩いて行く。
周りを確認するようにキョロキョロ見渡しながら、彼はテクテクと戻って来る途中で、突然「!!あっ((゜□゜;))!!」とどっから出てきたのか判らない程の奇妙な声を出したまま、固まってしまった。
そして河下の方を指さしながら、ワナワナと震えている。(゜Д゜≡゜Д゜)゛?…
Σ( ̄□ ̄;)!!
そう!そうなのだ…この河はそもそも山の裾野に向かってカーブを描いて流れて行くので、その先は山肌に隠れていて見えないのだ。
そしてこんな遠くまで声が届く訳も無く、鯔のつまりは、『ど~やってタイミングを伝えるのか?』て事である。
山や丘の上から決戦場が見えるなら何の問題も無い。
眼でタイミングを測るのが一番安全だ。
ところがここは、視覚が届かない場所であるため、せっかく立派な堰を造っても、タイミングが悪いと仲間があの世行きである。
「うわぁ~参った Σ(´□`ノ)ノ…」
周勃はかなり動揺している。
パニック症候群である。
叡鞅はなるべくこの件には絡みたくは無いのだが、陽動とはいえ、こちら側も味方が突撃するのだ。
まかり間違えば呉越同舟の憂き目に逢う。
「叡鞅殿!よく判り申した…確かにこれでは、はい!せ~の…とは行かぬでしょうな。どうしたものか…」
周勃は困り果てている。
確かに堰を造るには、こんなに都合の良い場所はない…山肌が隠してくれるため、敵方には察知され難い。
ところがその利点が弱点にもなると言う訳だった。
『周勃殿にしては珍しいミスだな…さてどうする?』
松明という手はあるが、人手が多くいる上に目立ち過ぎる。
その場合リレー形式になるゆえ、こちらの意図が察知され易くなる。
何よりそんな事やっていたら、タイムラグが悪過ぎるから、相手が悠々と渡岸してしまう。
刻限を合わせるにも、何も目印になるものや目安になる事象もある訳がない…そもそも相手があっての事だから、そんな都合の良いものは無いのだ。
(;^_^A 時計なんてこの時代在りませんしね(笑)
けっきょくこれしか在るまい…一番簡単でお手軽な方法だが、工作部隊がしっかりしていないと無理だろうな…。
恐らく漢の技術では短期間では造れまい。
まぁ、それでもやる価値はあるか…。
何より親父殿や李良の父上だって戦場に居るのだ。
多分…後方支援では在ろうが、身内の事も考えておかねばならないのだから、他人事では無かった。
『仕方がない…やるか!』
叡鞅は一度決断すると早い。
「周勃殿!ちょっと宜しいか?」
彼は声を掛けると、周勃を見つめた。
周勃は混乱していたが、その声で反射的にこちらを見た。
叡鞅は「私にひとつ策が有るのですが、聞いていただけますか?」そう言った。
周勃にすれば藁にも縋る想いである。
あれだけ綿密に計画を立て、プランを構築するための人手を集め、作業をし、相手の情勢も把握した上で、最高のお披露目も済んでいる。
『そりゃあそうさ…このまま実行出来るなら何だってやる!』
周勃はそう想いながら、
「叡鞅殿!何か対応策があるならお聞かせ願いたい…この際恩に着ますぞ!」
そう言うと頭を下げた。
叡鞅はフッと息を吐くや、こう述べた。
「狼煙台を造ります。それはあの山肌の影に造れば宜しい。但し発射後にあの山は敵の攻撃目標に為るでしょうから、チャンスは一度きりです。タイミングを外せば終了と為るでしょう。」
周勃はそれを聞いて一瞬喜んだが、
『あそこに今から狼煙台など造れるのだろうか?』
戦場に近く確かにタイミングは目視可能だから、合図は貰えるだろうが…逆に言えば目立ち過ぎるので、これから造らせて貰えるかが心配だった。
彼は頭の中で材料と工程日を試算している。
「周勃殿!正確には狼煙台は造りませんよ…どうせ間に合わない。」
『!!…(^-^;?』
周勃は提案されて、今度は否定されたので、いまいち頭がついて来ないようである。
叡鞅は困ってしまった。
この時代の狼煙台とは、発煙筒の様な物である。
遠くから見えるように長い筒の塔を造り、煙突から煙を出すのがせいぜいだ。
ところがそんな塔を造っている暇が無いし、相手がある事なので、今から大々的に材料を山まで上げて建築し始めたら、そりゃあバレるに違いない。
タイムラグを下げるためには少し早めに始めるか、煙突に蓋を造り、開閉式にしないといけない。
よりハードルが上がってしまう。
一番簡単な方法は火薬玉である。
これを今でいう所の花火として打ち上げる…が!問題がひとつ。
この時代まだ火薬は製造されていない。
もっと後世の技術だ。
たまたま西夏国が持っている技術に過ぎない。
これを今、世に出していいものか…という事である。
勿論、自然現象とは言い辛いし、作り方も教えられない。
最悪やるにしても自分でやるほかに道が無いという事になる。
『それでもやるかね?』叡鞅は自問自答した。
けっきょくは一度は逃げたが、現実からは逃げられない。そういう事なのだ。
しかも自分のGOサインで大量破壊兵器が発動する事になってしまったのだから、ある意味最悪である。
『それでもやるか?』そういう事なのであった。
そして覚悟はそれだけじゃない…相手側に目端の利く者が居た場合、必ず山を攻撃するだろうから、打ち終わったら、一目散に逃げなきゃならないという事になる。
自分の命を危険に晒すリスクも考えねばならないという事だな…。
今まで西夏国の王や太子で殉職した者は居ない。
そして太子の身で在りながら、そこまでやる決断をして良いのか?…という事である。
同じやるにしてもちゃんと安全確保を念頭にした用意周到さが求められるべきであろう。
『父上ならそう言うに違いあるまい…。』
叡鞅にとって父親の司馬信は常に誇りであり、目標である。
それだけ偉大な父親が身近に生きる見本としている事は、彼にとっては得難い誉れであり、そして時にはプレッシャーでもあった。
恐らく決戦はここ数日中に火蓋が切られるに違いない。
決断をして取り掛かるとなると、少なくともすぐ決断して今日中に取り組み始めねば成らないだろう。
叡鞅は周勃に夕刻までには決断するので待って欲しい旨を伝えた。
周勃としても今のところ建築するほか手立てが無いので、それを了承した。
危険を冒して狼煙台を造る以外に方法があるなら、その方が望ましいに違いない。
しかも元々は、この件の責任は周勃にこそ在るのだ。
魯毅は二人が難題にぶつかった事を察して、こちらを不安気に見つめている。
周勃はそれに気がつくと、優しく言葉をかけて安心させてやった。
「お前さんの作業に不備は無いのだから、完成を急いでくれ!合図の方法は我々で考えるから、後程知らせてやるよ…心配するな♪」
そして叡鞅も「よく出来ているよ、自信を持っていい…後は気を抜かずに最終点検を怠るなよ♪」
二人の気持ちの込めた言葉に安心したのか魯毅は作業に戻って行った。
「では私も行きます!」
叡鞅がそう告げると、周勃も…
「僕も閣下にご報告しなきゃ為りませんから…途中まで一緒に行きましょう♪」
そう応えた。
二人は行きと同様に肩を並べると山を下って行った。
時折、山合から垣間見得る濰水の流れは、やがてそこで起こるであろう惨劇の事など素知らぬ様に揺ったりと流れていた。
臨淄城まで戻って来ると、早速二人は別れ別れに行動を開始した。
まず周勃はその足ですぐに韓信に面会を求めに行く。
叡鞅はというと、何を想ったのか父・司馬信の客舎とは真逆の方角に歩いて行った。
そこにはあの酈食其の墓があった。
叡鞅が命じてあの日、立てさせたものだ。
考えてみれば彼が臨淄に入るのは、あの日以来だと言える。
無論、他の者も酈食其の事は心に刺さっているだろうから、忘れた事は無かろうが、墓前に出向く心の余裕はまだ無いのだろう。
あの日彼が手向けた花がまだ飾ってあって、枯れかかっていたのである。
彼は何気無く懐から花を取り出すと、枯れ花を抜いて捨て、替わりの花を添えた。
そして丁寧に手を合わせると祈った。
これが彼の優しさなのだろう。
ところが彼は素直にそう想っていない節があり、それが心の蟠りとなっているのだ。
そのひとつは酈食其の変わり果てた姿を発見した事もあるが、根本的に交渉による抱き込みが叶っていれば、本人の命は勿論の事、此れから死ぬで在ろう多数の人の命が失われなかったのではないか?そう感じているからだ。
叡鞅は特に酈食其の肩を持っている訳でも、深く知っている訳でも無い。
全く面識の無い、興味を持った事も無い人だった。
ゆえに功名心や手柄欲しさに行った行為なのかも知れないが、理由や本人の人柄などはどうでも良いことであり、その行いによる結果が今より余程良かったのではないか?と合理的に考えているだけなのであった。
無論、開戦に踏み切った韓信軍を責めている訳でも無いし、そもそも端から加担した訳でも無い彼がそこまで気にする必要性すら無い筈なのだが、それが出来ない優しさが彼の弱さなのであろう。
いみじくも、父・司馬信が指摘した、或いは周勃将軍が感じた、彼の人間性がそこに表れていたのだ。
「叡、どうしたのだ何かあったか?」
不意に背後から呼び掛けられた叡鞅は、ゆっくりと振り向くと深々と頭を下げた。
「父上、ご相談があり、参りました!」
叡鞅がそう言うと、「判った、少し待て!」そう応えながら、司馬信は持って来た花を供えると手を合わせて祈った。
そして「御苦労だったな…」と叡鞅を労った。
幸い辺りには彼ら二人以外は誰も居ない。
「話してみろ…相談に乗ろう♪」
司馬信は優しく息子にそう告げた。
叡鞅は事の次第を説明した。
その間、司馬信はウンウンと相槌を打ちながら真剣な顔で聞いている。
「成る程…そう言う事であったか…」
司馬信は説明を聞き終わると、少し考え込んでいる様だった。
そして不意に振り向くと、
「花火を上げるのには賛成出来ない…余りにも周りへの衝撃が大き過ぎよう…その替わり面白いものをやろう…着いて来い!」
そう言うと叡鞅を連れ立って自分の客舎にと戻って行く。
第44話『囮となるもの』に続く




