劉邦の邂逅(かいこう)
時は少々遡る…。
垓下の戦いで項羽との死闘に決着をつけた劉邦であるが、これで解放された訳ではなかった…。
確かに日々死と直面しながら、明日をも知れない身の上が続く恐怖からは、脱する事は出来た。
「あの時期は毎日生きた心地がしなかったな…」
今思い出しても、項羽の鬼神のごとき形相は心底、胆が冷えたし、苛烈な攻撃には息が出来なくなる程の苦しみを味合わされた。
毎日生死の境目から辛うじて帰還する日々の繰り返しは、劉邦の精神状態に多大な重圧を加えて来たし、身体は消耗し尽くした。
「よく乗り切れたものだ…」
項羽のような恐ろしい男は居ない。
味方の頃は頼もしい存在だったが、敵に回せば、軍事の天才…奴が指揮する軍の攻勢には、味方はひとたまりも無く、壊滅・敗走させられたものだ。
奴の咆哮だけで皆恐怖におののき足がすくんだ。
しかも奴は歯向かう者は容赦なく殺す。
「あんなに手の早い奴は居なかったな…」
各いう劉邦でさえ、鴻門之会では危うく殺されかけたのだし、榮陽での攻防戦では、連日攻撃を防ぎ続けたのだ…実際にいつ死んでもおかしくはなかっただろう。
「あの攻撃を防ぎ切れたから今がある。」
最終決戦では大包囲網を展開しての圧勝だった。
しかしながら、実際は薄氷の勝利だったのだ。
ひたすら劉邦は負け続け、勝ったのは決戦のみ。
僅かな掛け違いが敗北に繋がったかも知れなかったからである。
「だからこそ韓信は信用が置けぬ。」
劉邦も理屈では理解している。
そもそも韓信が居なければ項羽に勝てなかった。
だが韓信は事あるごとに劉邦を逆撫でする。
「本心の読めぬ男よ…だから油断が成らぬ。」
その韓信を何度も推挙したのは蕭何である。
出奔した際には奴を追いかけて連れ戻した。
大将軍に推挙したのも蕭何なのだ。
蕭何は韓信を高く買っておる。
「蕭何の進言は正しかったと証明されたな。」
韓信を使って北方4国(西魏・代・燕・趙)と斉を攻略する献策をしたのは張良だったな。
儂はその間、苛烈な項羽の攻撃に耐えた…。
その甲斐あって奴は5国攻略を完了出来た。
なのに斉王をおねだりするとは不遜な奴。
だが張良はくれてやれという。
儂は寛大な心で奴を斉王に封じてやったのだ。
「ところがどうだ!奴は恩義に背き傍観した。」
劉邦は項羽と和睦し、西と東を分けあって、停戦する事にした。
ところが劉邦の幕僚だった張良や陳平は停戦後の撤退には猛反対した。
今すぐに彭城に撤退中の項羽を追いかけ、背後から叩くように強く主張した。
互いに痛み分けとするのは、一見公平に見えなくもないが、実際は項羽という稀代の化け物に回復の時間を与えるだけで、こちらに益は無く、時間を与えれば与える程こちらが不利になる…と劉邦を嗜めた。
「そこでこれを入れた儂は項羽の背後を急襲した訳だが…」
窮鼠、猫を噛む…とは良く謂ったものだが…相手は鼠じゃ無い…傷ついたりとは言え、獰猛な狼だ。
急襲したはずが、逆に怒り狂った化け物に反転迎撃されて、命からがら撤退する羽目になった(汗)
そこで再び軍事編成を完了させた後に、同盟関係にあった彭越と配下で斉王の韓信に盟主としての命令を指示し、三方から挟撃ちにするという作戦に撃って出ることになった。
ところが、待てど暮らせど両者共に傍観を決め込んでやって来ない。
おそらく死に体と謂えども、相手は常勝不敗の項羽だから、おいそれと劉邦に馳せ参じるのは危険だぞ!…てな判断なのだろう。
あわよくば、傍観して漁夫の利を得ようという魂胆が見え見えなのである。
「韓信め、彭越はまだ同盟者の立場だから許せるが、奴は儂の配下なのだぞ。しかも心良く斉王にまでしてやったのに、あろうことか命令を無視して、傍観を決め込みやがった。恩知らずとは奴の事よ。」
劉邦はこの時大激怒した。
ところがここで進み出たのが、再び軍師の張良だ。
張良は『彼らが来ないのは、まだ我が君が戦後の褒賞に言及していないからです。ここはひとつ、はっきり褒賞を示してやり、彼らの利益の為に働かせる方が得策でしょう。』と再び寛大な心で接するように進言した。
「儂はその進言に、ハッとしてグッとした…(笑)
故に一旦怒りを収めて張良の言を入れる事で、奴らを大きな餌で釣ったという訳だ…」
彭越には、前から欲しがっていた淮南をやり、淮南王を約束。
韓信には、項羽が滅んだ後の楚国を与え、楚王にしてやると約束した。
「奴らめ、それを聞いたら嬉々として、尻尾振って救援に来おったわ。あざとい奴らよ。どうだ?儂が韓信を信用しないのも無理はなかろう。」
けっきょくその張良の献策は当たった。
彭越はすぐに壊滅したが、劉邦との合流には成功した…逃げ込んだとのもっぱらの噂だがな(笑)
韓信はさすがに用兵巧者だけあって、見事に項羽を翻弄し、大包囲網の中で疲弊させた挙げ句に壊滅…。
項羽は…悲しいかな…逃走中に自裁する羽目になる。
彼は連戦連勝だったのに、最期の最も大事な戦いにだけ負けて滅ぶ事になったのだ。
「盛者必衰とはこの事よ!」
劉邦は苦しい局面が続いた項羽との戦いを邂逅しながら、独り御馳た。
劉邦の立場からすれば、韓信の利益至上主義のごとき行動には確かに猜疑の気持ちが芽生えたとしても無理からぬ事ではなかろうか?
『儂は主人で奴は配下の筈だろう?
大将軍に抜擢し、斉王をおねだりされれば、許可してやり、楚王にまでしてやる。
何とも理解の有りすぎる優しく寛大な主人であろうが…これ以上何が不足なのか?』
そう思いが至ると、ますます韓信の不忠が頭をもたげて怒りが込み上げ、心の中で抑えが効かなくなりそうな猜疑の芽は、じわじわと劉邦の中で膨らみ、いつ爆発しても不思議ではない程に侵攻していたのであった。
『劉邦の心の内に分け入ってみよう!』
…[英雄の選択]のような感覚で、劉邦の気持ちに潜入してみました(笑)
これから先はしばらく韓信側の行動になります。
韓信の失敗は余りにも劉邦という人を知らな過ぎた事が原因のような気もしますが…
韓信なりの忠節の考え方との間にかなりの温度差があったのでしょう。
その辺を描いていければ良いなと思っています。