韋駄天
夜の闇もやや薄れて来ており、街道沿いの木々の中からは時折、渡り鳥の羽ばたく音や鳴き声が聞こえて来る。
寒さは一段と増し、向かい風が容赦なく関起の身体を蝕んで来る。
顔に当たる風は突き刺すように冷たく、走る関起の口からは白い息が頬を掠めて後ろへ流れて行く。
もう間も無く高密城に到着する。
半時前に田横の一行には遭遇したが、皆疲れたように進んでおり、しかも関起は田横と面識があるため、何の疑いも受けずに堂々と通過する事が出来たので、そのまま通り過ぎて来ていた。
田横にとっては有難くも脱出を助けてくれた恩人であるので、当然であった。
その際わざわざ、高密城の南側は待ち伏せされる危険があるので、東側からの入城が望ましいだろうとの助言までしてやるという徹底振りである。
間も無く我が主・穣苴も通過するだろうが、龍且からの密命を帯びているので、妨げぬ様に言い含めて来たので、主も無事に通過出来よう…。
関起は朝日が出ぬ前にはこうして、高密城外に隊を伏している趙颯の陣営に駆け込む事が出来た。
趙颯はさっそく関起を労った。
そして温かい食べ物と飲み物を出してやる。
関起は一心不乱にムシャムシャ、ゴクゴクとあっという間に平らげてしまった。
冷えていた身体には温もりが戻ってきて、再び気力が漲り、此れで縦横無尽に走る事が出来そうだ。
彼は嬉しそうに趙颯に感謝の言葉を述べた。
そしてお互いに持ち寄った情報を交換する。
趙颯は、穣苴殿の書簡は既に太子様にお渡しした事を述べて、その後、筥城の周勃殿へ復命された事を伝えてやった。
趙颯自身も一部の配下を高密城に見張りとして残した上で、兄・趙燕と合流する旨を伝え終わるや、関起も、主・穣苴が無事に撤退するで在ろう事、朝方には交渉に成功した田横がここ高密城に戻るで在ろう事を伝えたのだった。
趙颯は関起の情報を直ぐに配下にきびきびと徹底させている。
趙颯は関起に追加情報として、高密城への入城する兵力は最終的に5万くらいの見込みになるで在ろう事を伝えてやった。
関起は趙颯に礼を述べて、その足であっという間に走り去って行く。
『相変わらず…無駄が無い。』
趙颯は関起の走り去る背中を見送りながらそう思った。
「さて私も出発する!」
趙颯は一部残す配下に二言三言言い含めると、残りの配下を伴って、関起の後を追うように、即墨城に向けて、出発した。
関起はその頃、叡鞅の足跡を辿る様に筥に向かって疾走している。
趙颯の計らいで腹が満ちたせいか身体の奥底から気力が沸き上がって来るのが判る。
その頃になると、遂に木々の隙間から陽射しが街道にも射し込んで来て、少し寒さも和らいできた。
そろそろ田横一行も帰城している頃で在ろう…。
『急がねば成らぬ…。』
関起は気持ちを奮い起たせる様にそう思いながら、一路、筥を目指して速度を上げた。
『何しろ俺には此れしか取り柄がないからな…。』
関起はそう想いながら苦笑した。
彼はそう自覚しているようだが、けしてそんな事は無い。
あくまでも太子や趙燕兄弟と比べればの話である。
西夏国の出身である以上、彼が手練れでない筈はなく、中華の将軍たちと比較してもその腕は遜色がなかった。
さらに言えば、彼は天神軍の副軍団長である。
天神軍とは、先に述べた近衛軍団に継ぐ強者の集まりであり、 軍の総数は5万人に及ぶ。
彼はそこの副軍団長なのであるから、緊急時には、自発的に2万の軍を動員する事が可能なのであった。
無論、西夏国にも陛下の兵符を担う制度が無い訳では無く、必要に応じて活用されている。
兵符と言えば軍隊を動員するための手段なので、けして疎かに扱っている訳ではない。
謂わば臨機応変の措置に当たるものである。
可及的速やかに軍を動員して、行動に移らねばならない場合もあるので、王や太子の許可無く軍を興せる制度が西夏国にはあるのだ。
但し、誰もが可能という訳ではなく、それが可能なのは、王の他は太子、公子、近衛軍団長・天神軍団長とそれぞれの副軍団長のみである。
各々自発動員は可能だが、必ず動員された者が報告を行うため、その事実は確実に把握される。
そして問題なければ事後追認という形を取る事になっている。
これは謀反に対する歯止めとなる仕組みであるが、その割には弱い仕組みである。
作った方もそれは認識している。
但し、建国以来840年近く経過するが、未だに謀反が行われた事実は無い。
ある意味、根拠はそう言ったところだろう。
国内は内政がしっかりと受け継がれ、国益を担う皇族は、私利私欲に走らない。
民にも絶大な支持を集めているため、混乱が起きないという事だ。
そもそも王や太子はほとんど国内には居ないのであるから、国の転覆を計ろうとすれば簡単に思えるが…誰ひとりとして試した者は居ない…。
西夏国にとって王とは勿論一番上の存在に当たるが、実質的には民より酷い劣悪な環境で国益のために奉仕活動をする責任を担う者であるのだ。
それが王という認識があるので、ぶっちゃけ誰も率先して遣りたがらない(笑)
自己犠牲を担える者で無いと務まらないのだ。
国内は議会制度とその上に立つ丞相府で運営されており、磐石である。
中華の王とはかなり待遇が違うのである。
此れまでの話の中で、王である司馬信や太子である叡鞅が何処でどのように活動を担って要るかを見れば明らかだろう。
つまりは兵符の扱いがぞんざいなのでは無く、国の運営の在り方に違いが在るのだと謂えよう。
但し、軍団長や副軍団長が仮に自発動員しても、その規模は実質的には1000人程度、此れが今までの実績であった。
太子でさえも必要以上の動員は余り掛けないし、王でさえもせいぜい5千といったところである。
西夏国は他国侵略は建国理念に反するため行わない。そのため動員の必要がなかった。
国防がその全てで在ると言っても過言ではないが、但し盟主国である以上は、同盟国同士の調停や、侵略された国の救援などは果敢に行う。
そして中華の平和を維持するための平和維持活動には力を注ぐという意思を貫いている訳だ。
彼らがなぜこんなにも内政干渉ギリギリの事を行うのかは、また話す機会も在ろう。
関起は流石に韋駄天の異名を轟かすだけあって、筥に到着した時には、まだ周勃の指示で立札があちらこちらに立てられている最中であった。
関起は太子の所在を、眼を皿のように探すと、周勃将軍と肩を並べて話し込んでいるようだった。
繋ぎのお役目とは、只、報告をすれば良いというものでもない。
かなり気を遣うものだ。
長年、自称遊び人の穣苴の腹心として、兄弟間の繋ぎを担っている彼が言うのだから間違いない。
無論『遊び人』とは本人が公言しているだけの事だ。
彼の人と成りは先般説明した通りである。
まぁ関起自身は、半分真実、半分誤解くらいの認識でいる。
主相手に酷い言い種だが、関起にしてみれば、お陰様で、あっちに行ったりこっちに来たりと、東奔西走させられているので、言う権利は有るらしかった。
叡鞅は周勃が壺に填まって笑い始めると、然り気無く距離を置き始めた。
叡鞅は、寡黙な周勃がまさかこんなにお茶目な笑い上戸だとは想わなかったので、苦笑気味である。
周勃が部下に「そうじゃない!!」と声を掛けながら、檄文作りに参加してしまうと、叡鞅もようやく手が空いたため、逆に関起を探し始めた。
関起はその機会を逃さず、叡鞅に接近すると、軽く会釈する。
いつ誰に見られるか判らないため、そうするようにと、太子にキツく言われているからだった。
二人は並んで歩きながら、木陰に入る。
「掴んだか…?」
叡鞅はそう聞くと、辺りを伺うように見回した。
関起は、主・穣苴と趙颯からの伝達事項を口に手を当てながら、ボソボソっと呟いた。
「20万と5万か…。」
叡鞅の試算よりは多い兵力だった…。
でも相手が在っての事だから、まぁ仕方ない。
叡鞅自身は、出来れば余り被害を出さない方向で納めたかったのだが、漢軍としては、項羽軍の兵力を削らねばならない事も、また確かだった。
『何れにしても我々が直接に手を降す訳じゃない…。だがこの命令で死ぬ者の事を想えば、甚だ気の毒と言うべきだろうな…。』
叡鞅は父・司馬信の言葉を思い出していた。
『…念頭に置くのは目先の命ではなく、この戦争の早期終結である。戦争が長引けば長引くほどに、多くの人の命が損なわれるのであって、目先の命を考慮して助けたとしても一時しのぎに過ぎないと言う事を肝に命じよ…』
『判っておりますよ…父上、しかし25万人の運命を想うとやはり遣り切れませぬ…。』
叡鞅は、優しさが仇に成る事は重々承知の上で、遣り切れなさが残るのであった。
彼は気持ちを切り換えると、関起の労苦を労った。
「ご苦労様でした…いつもすまんな…。」
叡鞅はそう言うと関起の肩をポンポンと軽く叩く。
関起は太子の優しい言葉に少し照れていた。
「穣苴にも良く遣ったと必ず伝えよ。なかなか巧く潜り込んだものだ。時間が掛かったであろう。今回は褒めて遣るとな…。』
関起は敬礼して「必ず伝えます。主も喜びましょう。」そう言って頷いた。
叡鞅はその上でこう命じた。
『但し、お前たちのお役目は今回はここまでだ。その辺りはお主の主殿にも良く言い聞かせよ…良いな?』
叡鞅の言っている事は少々厳しく聞こえるかも知れない。
しかしながら、彼は評すべきは評し、その替わり、事の是非は正すと謂う観点に立っているのだ。
ゆえに彼の言っている事は、この場合正しいと言えた。
そもそも今回の穣苴の行動は、元々は独断専行なのだから、罰せられてもやむを得ないぐらいの事だ。
だが、叡鞅は穣苴の心意気を買ったのだった。
それでそのまま遣らせた。
但し此れは後程、彼に替わって叡鞅自身が負わねば成らぬ。何故なら、途中からとはいえ、叡鞅が任せた事だし、元々この作戦の指揮官は叡鞅なのだから。
叡鞅は将来、父に替わって国を背負わねば成らない。
ゆえに例え弟でも…否、身内だからこそ勝手を許す訳にはいかぬのだと謂えた。
関起もそれは承知している。
だが太子はそれを承知の上で信じて任せてくれた。
そして今もちゃんと評価をした上で労いの言葉も掛けてくれた。
その上で事を正すと言われては、返す言葉はなかった。
太子の想いは関起の中で響いたのだから…。
「承知しました。必ず履行しまする。」
関起はそう約束した。
叡鞅はフッと微笑むと関起を見つめた。
「ご苦労!行って良し!」
関起は再度、敬礼すると踵を返し、走り出した。
その姿はあっという間に小さくなって消えた。
「韋駄天・関起か…良く言ったものだ♪」
叡鞅はその背中を見送りながら思った。
久し振りの更新と成りました。
遅くなり申し訳在りません。
また定期的に更新する予定ですので宜しくお願いします(;^_^A
byユリウス・ケイ




