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目論み

ー西楚国・彭城内使臣の間ー


斉国丞相・田黄は困っていた。


西楚国将軍・周蘭との駆け引きの結果、西楚王・項羽との同盟に成功し、20万という破格の援軍を得る事に成功した彼は、意気揚々と高密城に凱旋するはずであった。


ところがである。肝心の締結書は手に入れたものの、控えの間に戻ってみると、配下一行は未だに眠りから覚めていない。完全に熟睡したままだ。


肩を叩いたり、背中を押したりしても、全くといって反応がない。


田黄はやむ無く周蘭の陣屋に引き返し、再度面会を請うた。


周蘭の幕僚が対応に出て来ると、(あるじ)は陛下(項羽の事)のところに呼び出されていて、直ぐには戻らないと言う。


田黄は事情を話して、何か対応策がないかを問い質した。


それはそうであろう。


全ては周蘭の仕業なのだから、責任は取って貰わねば為るまい。


それでなくても今は一刻を争う時である。


しかしながら、配下を放ったらかしにして、自分だけ帰国する訳にもいかなかった。


外聞も悪いが、下手に残していっては西楚国の人質にされかねない可能性もある。


また、それでなくても今は、こんな奴等でも貴重な戦力なのだから、此のままで良い筈がなかった。


周蘭の幕僚は事情を聴くと絶句している。


こちらに聞こえぬくらいの呟き声でゴニョゴニョ言っていたが「またかよ…。」と聴こえなくもなかった。


幕僚は田黄に向き直ると、困ったようにこう応えた。


「あの薬は主の秘薬でして…良く眠れるらしいのです。元々は主が個人的に使用している物なので、我々では対処出来申さぬ。主を待たれるか、或いは起きるまで待たれよ…他に策は御座らぬ。」


(-_-;)…田黄はこのままでは話しに成らぬと考えて、ひとまずは、周蘭を待つ事にした。


周蘭が戻ったら必ず来るように伝えてくれと、伝言を頼むとひとまず頭の整理をしようと控えの間に戻る事にした。


もしかしたら、もう目が覚めている者がいるかもしれない。


田黄は控えの間に引き返して、中に入った。


すると2人の若者が、手分けしながら様子を見ており、擦ったり、つついたり、揺すったりしている。


田黄は助けが来たのかと一瞬喜んだものの、声をかけようとして、ふと不審を感じた。


今、自分は周蘭の陣屋から戻って来たばかりであり、幕僚連中でさえ知らぬ事柄を、他の者が知っている筈がない。


となると彼らは一体何者だろう?かなり怪しいではないか?


田黄は咄嗟にそう感じて、刀の鞘に手をかけると、静かに接近を謀る。


いや…静かに接近をしたつもりであった。


というのも、田黄が部屋の中に一歩踏み込んだ途端に、2人は即座に気づき、振り向くや、腰に手を充ててニコニコ笑っている。


そしておそらくは、主と想われる方の男がやんわりと話しかけてきた。


「あなたが田黄殿かな?」


若者は悪びれる事もなく、堂々としており、正に道端で人に行く先を訊ねるが如くに躊躇(ためら)いがない。


『いったいどういう神経の持ち主だ…。』


田黄はそう感じた。


田黄からしてみれば、留守宅に忍び込んで、物を物色していたこそ泥が、たまたま家人に見つかって居直ったようにしか見えないからだ。


それなのに、そんな事は何も無いと言わんばかりの此の厚顔無恥な侵入者は、いかにも堂々と儂の名前を呼びながら、相も変わらずニヤニヤとしている。


だが、ある意味、配下が無抵抗な状態で人質になっている状況でもあり、下手に騒ぎ立てる訳にもいかない。


田黄は少し躊躇(ためら)いはあるものの、ここは相手にまず合わせて事の成り行きを推し測る事にした。


「いかにも儂が田黄で御座るが貴殿たちはいったい何者かな?」


そう言いながら、一歩ずつ接近を謀る。


若者は全く警戒する事無く、何度か相槌を打ちながら、頷いた。


そして、端と気づいたように右手で左の手の平を軽く叩くと、やおら申し訳無さそうに、頭を掻いた。


「申し訳御座らんな…田黄殿!勝手に入ってしまいすまない。だが、部屋の中の様子が尋常では無かったのでね♪助けが要るのではと思い、あれこれ試していたので御座るよ…許されよ♪」


若者はそう言うと、自分の身分を証した。


「私は龍且将軍の配下で司馬穣苴と申します。こいつは私の部下の関起!お見知りおきを♪」


相変わらず何食わぬ顔で悪びれる事無く、ニコニコ笑って握手を求めて来る。


田黄は呆れ返って物が言えぬといった呈で、納得はいかないものの、龍且将軍の名前が出ては文句も言えない。田黄も手を添えて握手を交わした。


何しろこれから主攻として助けていただくお方であり、その配下と聞いては、ここであくまで意地を張って悪い印象を与えるよりも、度量を見せて、歩み寄る方が後々の利益に為ると判断したからだ。


田黄は策略で此の国難を乗りきって来た野望の男だ。


常に謀略を信条としているが所以に、却ってそう言った結論しか導き出せなかったと謂える。


こんな事を謂うのはおかしいかも知れないが、ここは盛大に大騒ぎをした方が実は良かったかもしれないのである。


田黄はまず穣苴が韓信側の叡鞅の実弟とは知らない。


そして龍且将軍の配下と聞いた時点で変に疑うのを辞めた。


ここが自国内ならまた違った結論を出したかも知れなかったが、今ここは他国領であり、彼らは楚側の人間で、自分はあくまでもお客さんという思考に立つと、ある意味彼らよりは、自分の方が部外者である…そういう思考に固まっていたのかもしれない。


実際は、彼らこそ最大の部外者なのであり、敵の間諜なのだから、判断を逸したと謂えよう。


そしてさらには、彼らの次の提案で完全に信用させられてしまったのである。


状況が状況だけに仕方なかったともいえるのだが、田黄にはお気の毒といえるし、穣苴には幸いといえた。


穣苴は困った呈の田黄に次のような提案をした。


「田黄殿…私の見立てでは彼らは秘薬で眠らされたのでしょう?もしそうであるならば、私には彼らを起こしてあげられるのですがね…どうされます?」


その言葉に田黄は驚きの顔をしながら、穣苴を見た。


「本当ですか?もしそうならば、貴方は私が出会った救いの神だ!何とかして頂けるか?」


ああ…正に溺れる者は藁をも掴む…。


田黄は完全に此の瞬間に藁を掴んでしまったのである。彼がもう少し正常な判断が可能であったなら、訳のわからない秘薬を看破した時点で既にかなり怪しいと思えた筈であるが、喜びの余り、また此の苦境を脱する事が出来る光の輝きの大きさにそれは隠れて見えなかったのだろう。


穣苴は関起を見るや相槌を打つと、早速彼は何やら懐から取り出すと、いつの間にか用意していたたらいの中にその粉を注ぎ入れた。


そして田黄にも手伝わせて、各人が飲んでいた酒の器を空にするや、たらいの水薬を器で注いで飲ませる様に指示して、3人で協力しながら、使者御一行様に一通り飲ませたのであった。


すると、驚くべき事に、飲まされた者は順繰りに、「ギャー」っという悲鳴を挙げて目を覚ましていくではないか…!


田黄は自分が見ている光景が信じられぬ…といった呈で最初は目を白黒しながら茫然と眺めていたが、我に返ると皆を交互に抱き締めて、無事に目を覚ました事を喜びあった。


そして穣苴や関起の方を振り替えるや感謝の眼差しを向けた。


穣苴はうんうんと何度も相槌を打ちながら頷き、関起は涙を流して喜んでいる。


完全に目が覚め起きた一行を前にして穣苴はニコニコしながら、けしかけた。


「皆さんはお急ぎに為るのではなかったのかな?」


その言葉が引き金となり、我に返った田黄は、皆に無事交渉が成功した旨、伝えると早速帰国の途に就くための準備をさせた。


『もうこんな所には一刻も居られない…。』


そう思った田黄は、穣苴を見つめると願い出た。


「既に帰国の挨拶は正式には済んでいるのですが、此の問題で周蘭殿に再び声をかけてあるのです。申し訳ないが代わりにお伝えいただけるかな?」


かなり都合のいい事を願い出ているのは百も承知だが、大幅に時間を取られた所以急がねばならない。


また、そもそもは周蘭が薬を仕込んだ制なのだから、こちらに一方的な非は無かろう。


田黄はとかく自分に都合の良い結論なのは承知の上で頼んでいるのだ。


穣苴は相も変わらずニコニコ微笑みながら、


「お安い御用です。お気に為さらず、また決戦の日にでもご挨拶されるが宜しかろう♪」


そう言うと、大船に乗ったつもりで安心するように伝えて、田黄一行を送り出した。


田黄は返す返すもお礼を述べて帰国の途に着いた。


穣苴は彼ら一行を見送りながら、嘘吹いた。


『周蘭に秘薬を売りつけたのが俺だと知ったらどう想うかな…(笑)』


関起はその呟きを聞きながら、相も変わらず涙を流している。


『分量を間違えた…たらいに混ぜた唐辛子が目に入って痛い…。』


関起はそう思いながら、次回は目分量は辞めようと心に誓うのであった。


「早速 兄者に繋ぎを取らねば…関起頼むぞ!」


関起は涙を流しながら「承知しました!」と応える。


穣苴は関起を見ながら、不思議そうな顔をした。


『こいつこんなに涙脆かったっけ??』


まさかの唐辛子事件となったのである(笑)

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