復命
ー斉国南西・高密城付近ー
彭城周辺に潜伏させていた先行部隊は、繋ぎをやるとやがて復命した。
その物腰は落ち着いたもので、慌てる素振りも無く、理路整然と隊列を乱す事無くひっそりと、まことしやかに静かなる到着である。
そして誰ひとりとして、息の上がった者が居ないという堂々たる者だった。
そしてその中にまだ垢抜けない少年のような顔立ちのひとりの青年が居た。
童顔なのが拍車を掛けているのか、まさに美少年と謂うが如く美しい。
物静かで、立ち振舞いに何処と無く品があるので、そう見えるのかも知れなかった。
彼の名は趙颯と言った。
謂わずと知れた趙燕の弟である。
その彼が復命するなり、最新の情報をもたらしてくれた。
『殿!斉国丞相・田黄一行は既に彭城に到着しております。その後の動きはありませぬ。ただ私の見立てが誤っていなければですが、関起様が普通に…何の疑いも持たれる事無く、後追いで入って行かれました。何か変なのです…。』
趙颯はそう言うと、不思議そうな顔をしている。
叡鞅は苦笑しながら、趙颯にねぎらいを述べた。
『趙颯…ご苦労であった。実はな少々予定が変わったのだ。先行させたお主らには悪いがな…。』
そう言うと、穣苴の書簡を差し出す。
趙颯は書簡を見て、さも納得がいったように、はにかみながら呟いた。
『何かおかしいとは思いましたが…(笑)』
趙颯も兄・趙燕に似て沈着冷静に微笑んでいる。
こいつはまだ若いが、機転が効いて慎重なため、小隊を率いる先遣隊を任せている。
そして趙颯もこれまで幾度も叡鞅のその期待に応えて来た。
『やはり田黄は既に彭城に到達していたのだな。』
あわよくば、高密城を出る一行を追尾するつもりだったが、臨淄城で少し時間を使い過ぎたせいか、先手をとられたようだった。
『想定内だがな…。』
趙颯を彭城に伏せていたのもそのためであり、彼はその役目をしっかりと果たしたと言える。
叡鞅は徐に一同を眺めながら、改めて今後の方針を伝えた。
『高密城の四門を見張る役目の者は引き続きこれを担ってもらう。趙颯先遣隊はここで待機して、穣苴との繋ぎ役を担ってもらうゆえ頼んだぞ!後の者は此れより、斉国東部の筥城に向かう事とする。この際だ…あちらの状況も把握しておきたい。趙燕は悪いが、先行して現地に臥せておいた近衛軍との繋ぎを頼む。我らは軽く食事をしたら出発だ。各々方宜しく頼んだぞ!以上ー』
叡鞅はそう言うや、趙燕に声を掛けた。
『いつも悪いな…頼りにしているぞ♪』
趙燕は涼しい顔で『承知しました。』と謂うや颯爽と馬に飛び乗り、風の様に翔んで行った。
次に叡鞅は趙颯に声を掛ける。
『趙颯よ!復命するやまた任務で悪いが、いつも通り、頼む♪或る意味繋ぎと成るゆえ、ここは重要と心得よ♪』
そう言って、肩を軽くポンポンと叩いた。
趙颯は『心得ました。』と言いニッコリと微笑んだのだった。
一同は遅い夕食を摂るや趙颯と別れて、北上を始め、途中山東半島へ迂回して行く。
深い闇はさらに深まり、道中、虫の鳴き声の他は疾走する馬の蹄鉄の音しか聴こえないのだった。
まもなく到着するであろうと感じ出した頃に、対面より馬が1頭接近して来た。
趙燕のようだ。
叡鞅は右手を挙げて一同を一旦停止させると、そのままゆっくりと蹄を進めた。
趙燕もこちらに気づいており、スピードを落とすとそのまま下馬して手綱を引きながらやって来る。
趙燕は軽く会釈すると、取り急ぎと言って簡単に情報を伝えてくれた。
『殿、筥・即墨には続々と民が入城して来ているそうです。また、此の2城にはほぼ非戦闘員しかいない模様です。どうやら主力兵は南下したようですな…。』
筥城や即墨城は、斉国が戦国時代に燕の楽毅率いる合従軍に攻められた際に、最後の2城と為って此れに抵抗した事は先に述べた。
叡鞅は当初、田一族が此れに倣って籠城策を取る事も想定していた時期があったため、南下策を採用するであろうと確信した後も目を離さず、監視下に置くよう指示してあった。
役目を与えられた近衛兵たちは、叡鞅の意図を汲み取り、実直に役目を履行してくれたようだ。
趙燕は気になる事が或るらしく、言葉を継ぐと報告を続けた。
『すでに韓信殿の号令の下、斉国広域戦は始まっておるようですが、左軍を任された曹参殿とその僚軍である周勃殿は各々、即墨・筥城の手前で停止しており、その動きは停滞しているとの事。どうやらかなり此の2城に時間を取られているようです。』
叡鞅はそれを聴くと、『不味いな…。』そう思った。
田一族が体制を立て直して、項羽軍と合流を果たすのが先か…はたまた韓信軍が斉国広域戦を完遂して、再度軍を集結させるのが先か…いずれにしても、両軍が本格的にぶつかるのはそれからという事になるが、先に準備が整った方が有利に事を勧められる事に成るのは間違いない。
叡鞅はおそらくは韓信軍は此の広域戦でほぼ抵抗を受ける事無く、占領を完了出来ると踏んでは居た。
それはそうだ。
斉国は先の項羽軍との戦いにおいて、かなりの兵力を削られており、民も相当に殺されていると聴いている。
であれば、各城全てを守り通す力は最早無いと断言しても過言では無く、おそらくは兵の糾合と再編成により最後の反撃に賭けるしかない。
南下して高密城に入った意図はそれ以外には無いのだから、此の想定で正解なのだろう。
韓信殿もそれはおそらく承知しており、軍を分けた上での早期占領策を遂行して要るに違いない。
ところが田一族の僅かばかり残って居たで在ろう良心が、此の2城に民を集めて保護した物であろうが、その想定外の出来事が曹参殿や周勃殿の動きを硬化させて要るとなると、此れは看過出来なかった。
此の2軍は全体兵力の1/3を担って要るのだから、合流が遅れれば遅れる程に韓信軍には不利に働く。
過去の戦役においても、合流を果たせなかった兵力の差で敗戦に追い込まれた事例は少なくない。
事は時間の勝負で有り、双方ともそれは承知の上での駆け引きなのだから、此れは急ぐ必要があった。
叡鞅は決断した。
『此れより我らは周勃殿に復命する。未だ田黄の動きは中途段階に在るが、事は急ぐ必要がありそうだ。急遽ではあるが、ここで隊を2つに割るゆえ、趙燕は半数を率いて曹参殿の下に行ってくれ。李良は俺と一緒に周勃殿の下に向かう…。趙燕話がある。』
叡鞅はそう言うと、趙燕に二言三言指示を与えた。
そして懐から写本した書簡を出すと、趙燕に与えた。
『こんな事も在るのだな…写本しておいて正解だった。』
叡鞅はふぅ~と吐息すると、趙燕に『頼んだぞ!』と言った。
趙燕は書簡を広げて目を通すと、
『承知しました。必ずや説得します!』
と言って、近衛隊の方を向き直り、『お前とお前と…』と連れて行く者を選び終えると、
『殿!では必ず!吉報をお待ち下さい。』
そう言うや、一団を引き連れて翔ぶように駆けて行った。
叡鞅も残りの半数を伴い筥を目指す。
『兄貴!面白くなって来たな♪』
李良はそう言うと、いたずらっぽく笑った。
『これからもっと面白くなるぞ♪』
叡鞅は李良にウインクしながら、右手を挙げた。
『出発だ!』
叡鞅一行も一路…筥城の周勃の下へと先を急いだ。




