斜陽
夕暮れ時が近づいて来た。
陽は彼方に傾き、間もなく辺り一面を闇が覆う。
臨淄城でも篝火が灯されていく。
城内のあちこちでは炊飯の煙が上がっている。
そんな中、南門に小さな変化が起きた。
城門の内側で人が大きな声を出して何事かを伝えている。
するとその直後に城門が大きな音を立てて開き始めた。
いよいよだ…。
李良は叡鞅を横目で見つめた。
叡鞅は城門をじっと見つめている。
すると、まず物見らしき斥候が出てきて周りを窺うや、再び城門の内に消えた。
その直後の事である。
三頭の馬に跨がった騎馬武者が手綱を叩くや勢い込んで飛び出して行く。
李良は『兄貴!…。』と慌てて指示を仰ぐが、叡鞅は殊更に冷静な態度で、徐に手に持った鞘刀を左手で天に翳した。
その途端、合図に呼応した六頭の騎馬が城門から見えない位置より出現して、暗闇の中を疾走して行く。
『目を離すな。観察しろ!』
城門を注視しながら、叡鞅は李良にそう応えた。
そしてこう付け加えた。
『我々のお役目は観察し、判断する事。追跡の手はいくらでも用意してあるから、今は集中せよ。そして何かを見つけた時だけ教えてくれ!』
そう言うと、李良の肩をポンポンと軽く叩いた。
叡鞅はにっこり微笑んでいる。
李良は黙ってコクりと頷く。
すると、ガラガラと車輪が地を跳ねる音が、馬の嘶きと共に聴こえて来た。
四頭立ての馬車を前後左右に騎馬隊が守りながら、城門から飛び出して来て、先行の騎馬隊とは別の方角に疾走して行く。
叡鞅は再び鞘刀を掲げて合図すると、やはり死角から味方の騎馬隊が六頭それを間を開けて追いかけて行った。
その直後、それを最期に城門が閉まって行く。
辺りは再び暗闇に包まれ、静けさが戻っていった。
唯一城内に焚かれた篝火が焔を時折散らせながら、パキパキと音を立てて燃え滾るのみである。
『しばらく様子を観たら…入るぞ。』
叡鞅はそう言うと李良を見つめた。
しばらくは、そのまま静かに時が流れた。
が、しかし突如としてバタバタと慌てる空気と共に、大勢の人達が口々に不安を顕した様子で動き出す気配が城内を包み込んだのである。
大きな喚声があちらこちらから漏れでており、城外からでも、その慌てふためきようは、察する事が出来た。
するとその空気に呼応するかのように、一度閉められたはずの南門が再びガラガラと音を立てて開いて行く。
その直後だった。
大勢の慌てふためいた人々が、恐ろしい顔をしながら、次々に飛び出して行く。
女や子供たちも、着の身着のままといった具合で、中には赤子を背におぶり、髪を振り乱しながら足早について行く母親すら居る。
その顔は、我が子を助けたい一心であり、逃げ遅れまいと必死の形相だ。
それを慌てて追いかけるように、荷車や馬を引いた商人たちが、やや遅れ気味に飛び出して来た。
こんな状況でも財産を守る事に頭が行くのが、人間の性であり、欲なのはもはや救いようが無い。
それを眺めていた叡鞅は『行くぞ!』と言って、李良に合図すると、右手を高々と天に振り上げるや突然走り出した。
李良も慌てて叡鞅について走る。
すると、どこに潜んでいたのか不思議なくらい、それに呼応するかのようにバラけながら、武装した若武者たちが続いて走っている。
叡鞅の配下だろうが、ざっくり数えても20人は下るまい。
それを横目で見ながら走っていた李良はたまげてしまった。
『兄貴の用意周到さには恐れいる。』
李良はひたすら感心してしまった。
どうやら叡鞅の意図は逃げ惑う群衆に紛れて、それに逆走しながら城内に突入する腹積もりのようだ。
群衆を掻き分けながら、無事に城内に入るや、叡鞅は左手の鞘刀を掲げて、右・左に配下を分散させた。
四方の門に一部を向かわせて、城外に伏せていた配下と合流させるらしい。
さらに武器庫と兵糧庫を探させるため、一部を割いた。
その指示は的確で、かなり手馴れており、また指示を受け実行する側も機敏で呑み込みが早かった。
それはそうだろう。
彼らは太子の叡鞅を守護する親衛部隊の選りすぐりの強者たちなのだ。
西夏国の王と太子には最強の親衛隊が常に付き従い守っている。
ただし、いざという時までは姿は顕さず、その気配すら感じさせない凄みがある。
叡鞅は李良と残った数名の部下を伴うと、一直線に城の内部に深く潜入して行く。




