命の重み
ー斉都・臨淄城付近ー
叡鞅と李良は城門の付近に伏している。
まだ陽は明るく、外側から見る限りでは、臨淄城にもこれといった変化は見られない。
国王や側近たちが、仮に脱出するとすれば、北門と東門は避けるはずだ。
ほぼ、北東方面から韓信軍は突入して来る予定なのは、先方も承知しているのだから、迎撃するつもりが無ければ利用する事は在るまい。
ゆえに、北門と東門には叡鞅の配下を念のため配置してある。
問題は西門と南門だ。
西に行けば半島と海があり、筥城や即墨城がある。
即墨は戦国時代に燕の楽毅率いる六国・合縦軍が、斉に復讐戦を挑んだ戦いの際に、斉の将軍・田単が巻き返しを計った城であり、可能性は低くはない。
南に行けば高密城に辿り着き、その先には楚国がある。項羽軍の拠点・彭城も近い。
周勃将軍は、項羽軍との連携を危惧しているのだから、この場合一番に押さえるべきは南門だろう。
叡鞅と李良はそういう訳で、南門付近に伏せている。
『兄貴はこの仕事どう納める腹積もり何です?』
李良は空き時間を利用して素朴な疑問をぶつけた。
叡鞅は周勃将軍から成り行き上、斉王・田広は項羽と連合するしか生き残る術は無いと聞いている。
そして、互いに酈食其が命を落とすであろう事も想定している。
韓信軍が今宵、攻め込んだと分かれば必ずそうなる。
であるならば、少ない兵力で臨淄城に籠城する愚は犯さないだろう。
そうなると、西門から撤退して、筥城の兵を糾合しつつ、即墨城から立て直す方法がひとつ。
或いは、南門から撤退して高密城まで一旦引いて、そこで各地の兵を糾合再編成しつつ、彭城の項羽に降伏の使者を送って、援軍を乞う。
この二つしか選択肢は残らない。
戦国時代の名将・田単ほどの器が田広や田黄にあれば、即墨説もあり得ない事も無いが、身内で殺し合いを行って、血で塗り固められた玉座に座る男に、その甲斐性は無かろう…というのが、叡鞅なりの結論であった。
『…て事は南門から撤退が濃厚ですね。』
李良はそう言うと、
『いっそ南門に兵を合流させて捕らえますか?』
と言った。
確かにそれは一理あり、叡鞅も当初考えないでもなかったのだが、そうなると、二つの問題が生じる。
第一に、それではまるで劉邦が田広を一方的に騙し討ちにしたようで、劉邦の面目が潰れる。
『攻め込んでも騙し討ちに変わりはない…。がそれでもまだ大義名分は立つか…。』
叡鞅は実のところ『正直下らない』と思っている。
互いの利益を優先する余り、多くの血が流れ過ぎる。この作戦の中に多くの民の命は考慮されていないのだから、やりきれない事この上無い。
確かにそれが戦争だと言われればそうなのだろう。
だが、叡鞅に決定権があるのなら、もはや老い先短い爺さん(酈食其の事)に花を持たせてやれば、少なくとも斉国は無血開城出来るし、田氏一族も殺さないで済む。
しかも大勢の人の血が流れない方法を考えただけでなく、只ひとり実践に移してる爺さんは偉い。
まぁ確かに目的は不純だが…。
自分の売名行為なのは確かなのだろうが、それでもその結果として、多くの人の命が救われるなら、その方が随分とましではあるまいか?
しかも他人の命でなく、自分の命を賭けている点で大いに評価出来た。
さらに多くの民の血も流れないし、何より戦後の復興が楽で良いではないか?
商業も農業も打撃を受けなければ、経済も 破壊されないため、民の暮らしも壊れないのだ。
『所詮、部外者の俺が言っても始まらぬか…。』
そもそも叡鞅は戦争に加担するために来ているのではない。
中華の地を平和に戻す事が目的なのだ。
それには、漢に天下再統一をさせる事が一番の近道…という父・司馬信の決定に沿う形で協力するしか無い。
それが、我々西夏国の結論であった。
叡鞅も太子として、その線で協力しているに過ぎない。
早くこの戦争を終わらせる事。
戦争が長引けばそれだけ死人が増えるのだから。
そう言う想いで戦地に来ているのだ。
さて、次に二つ目の問題として、撤退する斉王を捕らえると、項羽軍と合流させないメリットはあるが、周勃将軍の作戦を妨げる事になるため、行使出来なかったと言うべきだろう。
周勃将軍は確かに斉・楚連合を避けねばと言った。
それでは、さすがの韓信軍も危ういとも…。
それだけ聞けば連合阻止が目的のようだが、それはうわべの見立てであって周勃将軍の真意では無い。
彼はわざと合流させる気だ。その上で勝つ策があるのだから、その方向に誘導させる緩衝剤的な役割を叡鞅に求めていたのである。
叡鞅はそれが、すぐ飲み込めた数少ないひとりであるために、この仕事をやらされている訳だ。
『目先の問題にけして係わるな。中華の者たちの行動を妨げるな。内政干渉は控えよ。結果がどんなに悲惨で在ったとしても、彼ら当事者に解決させよ。念頭に置くのは目先の命ではなく、この戦争の早期終結である。戦争が長引けば長引くほどに、多くの人の命が損なわれるのであって、目先の命を考慮して助けたとしても一時しのぎに過ぎないと言う事を肝に命じよ!』
これが父・司馬信の方針だった。
叡鞅が、優しい人間である事を知っている父ならではの助言である。
助けられる命に飛びつく…結果、後々考えれば、さらに多くの命が損なわれる。
それだけはけしてあっては成らぬ…と言う事である。
叡鞅は決断した。
『捕らえはせぬ。あくまで撤退させる。その上で、項羽軍と合流するのが確認出来れば、後は報告のみだ。何しろ我々の役目は救済ではない。その権限は元々無いのだからな。何より今回の我々のお役目は間諜なのだ…。』
そう言うと叡鞅は押し黙ってしまった。
『兄貴がそれで良いなら俺は従う』
李良はそう言うと、叡鞅の気持ちを感じたためか、こちらも黙って戦況の変化を見つめているのだった。




