8.小話 ~魔王様の憂鬱~
「くそっ!あの女、一体何者なんや!」
上級魔族サーブレスは椅子を蹴った。
自分を殺そうとしたときのあの女の目——存在ごと呑みこまれ、無限の闇に捕らわれたかのような恐怖を感じた。
思わず後退してしまった自分にも、そんな目に合わせた女にも腹が立つ。
「コケにしやがって。くそっ」
怒りが収まらない。
この自分が、人族の若い女に負けるなんてあり得ない。
苛立っているところへ、同じく上級魔族のフィーディーがやって来た。
「魔王様が呼んでるで。おまえ、ピンク髪の女にやられたってほんまか?」
「別にやられた訳じゃ…戦略的撤退や。だが次は殺す。絶対にな」
サーブレスは邪悪な笑みを浮かべた。
謁見の間に入ると、魔王様は深刻な表情で書類を読んでいた。
「魔王様、いかがなさいましたか」
「サーブレス、おまえ、ティアナに喧嘩売ったんか?」
「ティアナ?」
「ピンクの髪の人族の女や」
「はい、まあ」
「うわぁ~~~っ」
魔王様は頭を抱えた。
「えっ? ど、どうされました?魔王様」
「おまえ、何しとるねん!ティアナとは不可侵条約を結んでいるんや。それを潰す気か? おまえ、俺を殺す気か?」
魔王様の焦った声に、こっちが慌てる。
不可侵条約? 魔王様を殺す? 一体何のことだ。
魔王様が書類を握り締める。
「あ~ヤバいな、これ。何を差し出す? 金? 土地? それともサーブレスの命か?」
「え?あの、魔王様。私には魔王様が何をおっしゃっているのかよく分からないのですが」
恐る恐る声をかける。
魔王様は大きくため息をつく。
「あのなぁ、おまえも戦って分かったと思うけど、ティアナ自身が隠しとるだけで、ほんまは、ものすごーい量の光魔力があるねんで。俺、昔一回あいつに消されかけたからな」
「えっ?!魔王様が?」
それは驚きだ。魔王様がやられそうになるなんて。
「光魔力で腕がジュワ~ッて消されかけてなあ…あの時の俺の気持ちわかるか? 俺、むっちゃ感動したんや」
「は? 感動ですか…」
「考えてもみいや。世界最強のこの魔王様がやで、人族のお嬢ちゃんにやられるとか、ゾクゾクするやん。見た目、庇護欲をそそる可愛らしいお嬢ちゃんがやで、ドSなこの俺を甚振り弄ぶ…しかも俺を見下すようなあの目! ああ、たまらんなぁ。なんか違う扉を開きかけたわ。俺をこんな目に合わせられるんは、ティアナしかおらん」
「そ、そうですか」
「とにかく、あれは相当ヤバい嬢ちゃんやから、絶対に手出したらアカン」
事情を知っているのか、隣でフィーディーもうんうんと頷いている。
「あの~、一つ聞きますが。何で魔王様は完全に消されなかったんで?」
「なんや、ティアナが言うには、俺がおらんと人族がつけ上がりよるから、おった方が抑止力になって役に立つらしいで。だからまあ、よっぽどのことがない限り、お互いに手は出さんという不可侵条約を、俺とティアナの間で結んだんや」
そんなことってあるのだろうか?
あ、もしかして魔王様はティアナに惚れている? 惚れた弱みで条約を結んだのでは?
そう思って尋ねたが、魔王様は大笑いした。
「ないない。おれ、あんな子、彼女にする勇気あらへんわ。絶対、尻に引かれるしな。そんなことより、おまえ、いくら金持ってる? 有り金全部出せや。それをお見舞い金としてティアナに送ろう。ええ考えやろう?」
「はぁ? 何でそんなこと」
「このままスルーしたら、俺、ほんまに消されるかもしれへんねんで。不可侵条約破った言うて、何を要求されるか。こういうのは、こじれる前に早め早め、先に謝ったもん勝ちや」
「お金で解決できます?」
「うっ…それは正直、何とも言われへんけどな。手土産も持って行って、あとは誠心誠意、謝るしかないやろうなぁ。ああ、行きたないなぁ。会いたくないなぁ」
魔王様はそう言って、憂鬱そうにため息をつくのだった。