6.治癒 ~聖女現れず~
ティアナはもう用は済んだとばかりに、ベンチの上に置いたカバンを手にとると、寮の方へと歩いていく。
私はハッと我に返った。
「待って、ティアナさん。あなたは光の魔力を持っているはずよ。ケガをした皆さんの治療をお願いしたいの」
「はいは~い、私も光の魔力がありますよ~。エリザベスさんは確か風の魔力でしたよね。じゃあ、お呼びじゃないので、オスカー殿下の治療はこのミリーにお任せください。」
そう言うと、ミリアはオスカー殿下の方へと駆けて行った。
(あの女…)
私は心の中で舌打ちする。
しかし今はそれどころではない。
私は周囲を見渡した。
オスカー殿下も含め、ケガ人はざっと数えて30人ぐらいだろうか。
「私が重症度を判別していくわ。だからティアナさん、大きなケガをした人から診てあげて。頼れる人は少ないの。だからお願いします!」
頭を下げる私に、ティアナは小さくため息をついた。
「私の光魔力は少ないから、たいしたことはできないわよ」
「ありがとう。えっと、そこのあなた、医療チームに連絡をお願い。誰か包帯やタオル、水も取ってきて。力がある人は、けが人を日陰に運んで」
私は指示を飛ばすと、すぐさまトリアージを開始した。
経験? そんなのない。
前世で、消防官の父親に連れられ、「市民トリアージ」の講習会を受けた。
ただそれだけ。
でも、何でも治してしまう聖なる光がない以上、私が思いつくのはこれくらいだ。
ティアナの治療は、本当に応急処置程度だった。
止血、傷口の浄化、腫れを冷やす、骨折箇所の固定、痛みを緩和する、それだけ。
しかし診断は的確だしスピーディーだ。医務室の先生が一人を治療している間に5,6人の治療を終えている。
「おい、血が止まっただけでまだ傷が治ってないじゃないか。もっとちゃんと治療しろよ」
赤髪の男子学生が怒鳴った。
するとティアナは、先ほど止血した個所を思い切り殴った。
せっかく止血したのに、さっきよりドバッと血が出る。
「痛ってぇ~、てめえ、何しやがる」
「知っている? 全血液量の約20%を短時間で失うと命に危険が及ぶ。それに傷口が細菌に感染すると化膿してやっかいなことになる」
「だから何だよ」
「そうならないよう傷口を浄化して止血している。ケガの痛みも軽減した。応急処置なんだからこれで充分よ。止血してもらえただけでもありがたいと思うことね」
そう言って次の患者の治療を始める。
「ちょっと待て!いや、あの…待ってください。このまま放置せず治療、いや、止血だけでいいのでお願いします!」
赤髪の男子学生が必死に頭を下げる。
ティアナは何も言わず患部に手を当てた。血が止まり、男子学生はほっとしてその場にへたり込んだ。
私がオスカー殿下の元に向かうと、ミリアが彼の手を握ってワンワン大泣きしている姿が目に入った。
「ミリアさん、あなた、治療はどうしたの?」
「私、頑張って治療したのに、足手まといだからどけって言われたんです。私なりに精一杯やったのに、どっか行けなんてひどいです。だからせめて手を握って、早く痛みが引くように祈っているんです。わ~ん、オスカー殿下、死なないで~」
周りを見ると、みんなうんざりした顔で大騒ぎする彼女を見ていた。
聞けば、彼女の光の魔力量は少なく、5分かけて5ミリ治るかどうかだったそうだ。
「事情は分かったわ。とにかく今は治療の邪魔よ。どきなさい」
私がミリアの腕をつかむと、彼女はさらに大声で泣く。
「痛い。エリザベスさんがいじめる~」
「はい?何言っているの?みんなの邪魔になるから離れてと言っているの」
押し問答が続く。
そこへティアナがやって来て、ミリアの胸倉をグイッとつかんだ。
「吹っ飛ばそうか?」
その言葉にぎょっとする。
みんな、先ほどの哀れな魔族の姿を思い浮かべる。
「…ごめんなさい。どきます」
ミリアは後ずさりして、あっという間に姿を消した。
医療チームと一緒に怪我の治療に当たるティアナに、オスカー殿下が声をかけた。
「すまない。本来なら皇太子であり、男であるこの僕が、君たちを助けなければならないのに」
「はい? 助けるのに、皇太子だとか、男だとか、関係あります?」
「…どういうこと?」
「できる人ができることをする、それだけです」
「それだけ…か」
オスカー殿下が考え込んでいる間に、すべての治療が終わった。
ティアナはやれやれと言わんばかりに、早々に帰り支度を始める。
「ティアナさん、お陰で応急処置がスムーズにできたわ。本当にありがとう」
私の言葉に、ティアナは軽く手を上げただけで、そのまま立ち去っていった。
ティアナには確かに光の魔力がある。
しかし見た限り、聖女になるほどの魔力量がないのかもしれない。
ゲームのシナリオはもう大きく変わっているのだ。
今日の出来事で私はそれを再確認した。
じゃあ私がこれからとれる行動は?
悪役令嬢だとかヒロインだとか気にせず、私はただオスカー殿下を愛せばいい?
「できる人ができることをする…か」
ティアナの言葉を思い出す。
悪役令嬢だからと未来を諦めたり、その役を演じようと無理をしたりする必要は、もうないのかもしれない。
私が知るゲームのシナリオとはもう違うのだ。
ならば私は私の今できることをするしかない。
それは、オスカー殿下の婚約者として精いっぱい頑張ること。
二人で素敵な関係を築き上げていくこと。
自分の未来を、自分の手で作り上げていくこと。
(無理して悪役令嬢を演じることはもう止めにしよう)
私は、これから始まる新しい未来に向かって、そっと手を伸ばした。