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旦那様の後をついていくと、建物に入ったところに男性と女性がひとりずつ立っていました。
おふたりとも、30歳から40歳ぐらいでしょうか。
きちんとした服装と立ち姿からは、教育を受けた使用人であることがうかがい知れます。
おふたりは、旦那様に気づくと「おかえりなさいませ、醍醐様」と頭を下げました。
ダイゴ様……。
旦那様のお名前でしょうか。
「ただいま」
旦那様は、おふたりに軽く会釈をすると、そのまま前を通り過ぎます。
そして私を視線で促し、また自動で開く扉の中へと促しました。
今度の扉の先は、小さな箱のようになっていました。
旦那様がカードをかざすと、かすかに振動し、上昇しているようです。
この箱は、なんでしょうか。
私は、どこに行くのでしょうか。
不安で、そっと旦那様のお顔をうかがいます。
けれど旦那様は憮然とした表情で、まっすぐ前を見ていらっしゃいます。
旦那様は、私についてきてよいとおっしゃったのだから、と何度も自分に言い聞かせ、私は旦那様にならって無言で前を向いていました。
こちらからお声をかけるなんて、これ以上失礼を重ねたくはありません。
ついてこいと言われた以上、ついていくべきです。
けれど不安でいたたまれなくて、この場に平伏し、旦那様の恩情を請いたいという誘惑が、次から次へと湧き出ます。
いっそ、怒鳴られたり、ひきずられたりして連れていかれるほうが、慣れているぶん落ち着く気がします。
私が平伏したいという気持ちを押し殺して立っていると、箱は上昇をやめ、また扉が開きました。
旦那様は、また視線だけで私を促すと、先をたって歩かれます。
すこし行ったところに、また扉があり、旦那様がカードをかざされると、扉が開きました。
促されるまま、私は中に入りました。
「靴は、ここで脱いで」
扉の中の黒い石の床のところで、旦那様がそう指示されました。
私は履いていた靴を脱ぎ、木の床に足をつけました。
旦那様も、同時に靴を脱いでしまわれました。
……お手伝い、できませんでした。
従者の方をつけていらっしゃらないなら、お仕事のチャンスだったのに。
こんなだから、気が利かないとよく怒鳴られるのです。
「悪いけど、手を洗ってくれるかな」
旦那様は、そういって近くの小さな部屋に入りました。
今度こそ、お仕事のチャンスです。
少しでもお役に立つところをおみせしなくてはと意気込んでその部屋に入り、息をのみました。
私の両手を大きく広げたのの2倍くらいの大きさの鏡が、壁面に貼られていました。
なんという明度、なんという大きさなのでしょう。
鏡に映った私と旦那様が、まるで鏡の中にもいるかのように映っています。
この部屋は、住人の富を示すための部屋でしょうか。
壁に組み込まれた見たことのない明かりも、煌々と輝き、室内を明るく照らしています。
は……、水。
お水は、どこでしょう。
さっと室内をみたところ、桶はなく、水差しのような水を貯めておくものがありません。
手を洗うのは、おそらく鏡の前にしつらえられた陶器でできたたらいが組み込まれた棚のところだと思うのですが、肝心の水が見当たらないのです。
戸惑っていると、旦那様はたらいの前にたち、その棚についた銀色の小さなレバーを押しました。
すると、なんということでしょう。
そこから、お水が出たのです。
「……!」
やはり、ここは神の国なのでしょうか。
なんという御業でしょう。
旦那様はさらに手に謎の液体をかけると、白い泡をたてて、手を洗い、水で流しました。
洗濯はしていましたから、わかります。
あんなふうに容易に綺麗な泡がたつ洗剤は、神官長レベルの高貴な方が着るお洋服にだけ使える高級品です。
私がおろおろしていると、旦那様は水をだしたまま、たらいの前から移動し、私にそこを使用するように言いました。
おそるおそるそれに従い、手を、水がでている銀色の管の下に入れます。
「温かい……?」
なんということでしょう、水が人肌ほどの温かさがあるのです。
驚いている私に、旦那様は先ほどの高級な洗剤をも使用するように言いました。
そして、少しだけ洗剤を手に取る私に溜息をつき、
「肌が弱いなら、無理してハンドソープは使わなくていいから。手を洗ったら、これで手をふいて」
と、ふわふわした布を渡してくださいました。
その手触りのふわふわを、なんと表現したらいいのでしょう。
さらに、旦那様はついてくるようおっしゃると、私をふわふわの椅子に座るように申し付け、飲み物を用意してくださいました。
そして、「さて」と言って、真剣な顔で私をご覧になります。
「どういうことで、俺にこんなこと仕掛けたのか、聞かせてくれるかな?」
私、私は……。
座るように申しつけられたふわふわの椅子から立ち上がり、床に平伏しました。
旦那様は、椅子に座るようにおっしゃったのに、勝手なことをして申し訳ないです。
けれど、もう限界です。
見たこともない途方もない神の御業も驚きの連続ですが、私へのこの好待遇も、あまりにも普段と違いすぎて、どうしてよいのかわかりません。
高級な洗剤や手触りのよい布の使用を許可され、旦那様がおかけになる椅子と同タイプの椅子に座ることを許され、恫喝もされず「話を聞く」と言われるなんて。
あまつさえ、そんなふうに私を気遣うように見てくださるなんて。
「申し訳ございません……!」
床に手と頭をこすりつけて謝罪し、その視線から目をそらして、ほっとしました。
この位置関係こそが、私の当たり前なのです。