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「危ない……っ!」


地に足がついたのを感じた瞬間、肩をつかまれて、びくりと震えました。


「ごめん!驚かせたね」


私の怯えを感じてでしょう、その手はすぐに離されました。

ほっとした次の瞬間、私は息をのみました。


目の前を、大きな獣がつぎつぎと駆けていくのです……!


それは、見たことがない獣でした。

つるつると光る大きな体躯で、四つの短い脚をもっています。

黒、白、ブルー。赤や黄色なんて色の獣もいます。

その獣たちは、私が見たことのあるどの獣とも姿が違い、どの獣よりもずっと早く走っていきました。

そして、なにより恐ろしかったのは、それらの獣が整然と列を組むように走っていくことです。


なんてことでしょう、獣の群れの中に出てしまったのでしょうか。


危険を感じ、あたりを見回し、そしてますます驚きました。


空に届かんばかりの大きな建物が、周囲を取り囲んでいたのです!

こんなに大きな建物は、王城の砦でも、神殿の尖塔でも、見たことがありません。

その何倍、いいえ、もしかすると何十倍にもなる高さです。

そして信じがたいことに、その建物には、驚くほど透明度の高いガラスが使用されているのです。

透明なガラスは、王宮でもめったに使用できない超高級品です。

神殿にあったのは、巫女長が持っていた小さな手鏡に貼られたものが唯一でした。

それが、あんなにふんだんに……。


ここは、神の国なのでしょうか。

このつるつるした獣は、神の乗物なのでしょうか。


確かに、あれだけ深い穴を落ちたのです。

違う世界に来ていても不思議はありません。


「おい、大丈夫か?」


ぼうぜんと周囲を見回していると、さきほどと同じ声が聞こえました。

そちらへ顔を向けると、私よりも頭ひとつ大きい男性が、心配そうに私を覗き込んでいます。


きりっとした目をした格好のいい男性です。

正直、顔のいい男性は苦手です。

顔のいい方は、顔のよくない人間に厳しい人が多いです。


私に辛くあたるお父様も、シャルル王子も、お母様も、ついでにリリアンも、みんな美形です。

それに巫女たちの中でも、特に美しい少女たちは、私へのいじめもひどかったのです。

彼らは、美しくない人間は虐げてもいいと思っているようでした。


だから、この男性のことも苦手に思うのが普通なのに……。


なぜでしょう。彼のことは、少しもこわく感じません。

彼の目や髪の色が、「暗い性格にお似合いの暗い色だ」と嗤われた私と同じ黒だからでしょうか。

それとも、私のことを見る視線が、これまで誰にも向けられたことがない気遣いにあふれていたからでしょうか。


あぁ、いいえ。

このように見られたのは、初めてではありませんでした。

タック様が、いらした。

この目は、すこしタック様の目に似ています。


私に味方してくださった、お母様ゆかりの妖精王様に。


その時、タック様に最後に言われた言葉を思い出しました。


「忘れるなよ!」


タック様は、そうおっしゃっていました。

「まじないをかけたから、あっちに行って初めて会う男には全力で頼れ!」

「お前はもうちょい人に頼ることを覚えろ」と。


でも、頼る……?

この見ず知らずの男性を?


確かに、この男性は優しそうです。

こんな私にさえ、気をつかってくださり、心配してくださっています。

ですが、なにを頼ればいいのでしょう。

確かに、彼は頼りになりそうな方ですが……。


そう考えて、私はすぐに恐ろしいことに気づきました。


私は、あの黒い穴にとびこめば、自分の人生は終わるのだと思っていました。

だから、あの穴に飛び込んだ後のことは、なにも心配していませんでした。

でも……。


私は、また周囲を見回しました。


天を突くような高い建物。

統率のとれた大量の獣。

よくみると建物のそばには光る道具や絵があり、それどころか数人の男女は、手に小さな人間を閉じ込める道具を持っています。


あれは、なに。

あそこに閉じ込められた人たちは、どうなっているの?


彼らはガラスの窓の向こうで、のんきに歌ったり笑ったりしています。

けれど時折悲鳴をあげている人もいるようです。

この世界には、小さな人間がいて、ペットのように飼われているのでしょうか。

それとも、普通の人間を小さくして、閉じ込めたりするのでしょうか。


私には、なにもわかりません。

そしてこの世界に、知り合いもなく、住む場所もありません。

それどころか、どうやって食べ物を手に入れるのか、どうすれば安全な場所に寝泊まりできるのか調べることすら、どうやったらいいのかわからないのです。


これまではどんなに虐げられていても、神殿に寝る場所はありました。

粗末とはいえ、食べるものも与えられました。

殴られ、蹴られようとも、それだけは私も持っていました。

もし神殿を追い出されても、どこかの農家や食堂で下働きをすれば、残飯が与えられ、馬小屋に寝させてもらうことはできたでしょう。


ですが、ここでは粗末であっても安全なベッドも、食べ物もなく、どのように糧を得るかという知識さえありません。

こんなにも、なにもかもなくしてしまったのは、生まれて初めてです。


なんということでしょう。

私は、自分の人生を辛いものだと、すべてを諦めたと思って生きていました。

けれど、あの時でさえ持っていたものを、今はなにも持っていないのです。

いったい、この先どうしたらいいのでしょうか。


あぁ、でも。


私は、あの穴に飛びこんで、自分の人生を終わらせるつもりだったのです。

ならば、安全な宿も食べ物も、私には必要ないものではないでしょうか。

穴に捧げられ、すぐに死を迎えなかったというだけのことです。

ここで、この後すぐに死を迎えても、当初の予定どおりではないですか。


そう納得して、肩の荷がおりました。

得体のしれない不安がなくなり、男性に「なんでもありません」と答えるつもりでした。


けれど、その瞬間、自分の手が見えました。

洗濯や食器洗いや、掃除や農作業で荒れたあかぎれだらけの手。

ふつうに動かしているだけでもすぐに肌が切れて、いつも手に血がにじんでいたのに、今はその手はすごく綺麗で真っ白な肌をしています。


それは、タック様が治してくださったから。


もう一度、タック様のお言葉を思い出しました。


頼ることを覚えろ。

最初にあった男に頼れ。


それは、つまり、タック様は、私に「生きろ」とおっしゃったということではないでしょうか。


私がここで諦めて死を選ぶことは、私を気遣い、傷を治し、私を虐げた人間に罰を与えてくださったタック様のお心に背くことではないでしょうか。


それは、それだけは、私がしてはいけないことなのではないでしょうか。


私、私は……。


私は、男性に「なんでもありません」と言うかわりに、彼の前にひざまずきました。

そして平伏し、誠心誠意、申し上げました。


「お願いします!私にできることなら、なんでもします!どうかあなたの家においてください!」




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