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「どう?」
精霊王タック様は、自慢そうに胸をそらして、私に尋ねました。
「すごいです…!体が痛くないです!」
ありがとうございますと頭を下げれば、タック様は「あぁ、うん」と微妙な表情でうなずきました。
「ついでだから、あかぎれとか、あんたが自分で転んでつけた傷とかも治しておいたから。てかさ、それだけ?もっとなんかないの?」
「申し訳ございません。誠にありがとうございました」
私はあわててその場に膝をつき、平伏しました。
「……なにしてんの?って、言わなくてもわかってんだけどさぁ!ほんと、そんなことばっか強要されて、教え込まされて……あぁ、もう!立てよ!……そうじゃなくて、あんたをずっと苦しめていたやつらが痛みに悲鳴をあげてるのきいて、嬉しくないかって言ってんの!」
「……申し訳ございません」
タック様に促されて立ち上がり、巫女たちの様子を見ます。
とても立っていられない痛みに、うずくまる人々。
私が受けた傷をそのまま……おそらく傷を負ったときのままの痛みを受けているのであれば、物理的に立っていられない巫女もいるでしょう。
けれど、私は彼女たちを見ても、なんとも思いませんでした。
彼女たちを気の毒に思うことも、自分の悲しみや怒りがはらされることも、なかったのです。
タック様は、私のためにこうしてくださったのに、申し訳ない。
謝罪すれば、タック様は「じゃぁさ」とため息交じりに、父のほうへ歩み寄った。
「ぼくがみたところ、あんたをいちばん苦しめていたのって、こいつだと思うんだよね。こいつは肉体的には、ええと灰皿を頭にぶつけただけか。それでも、そうとう痛そうだけど」
頭を押さえてうずくまる父を見ながら、タック様が言います。
そういえば、母が亡くなったばかりのころ、私は父が変わったことに気づかず、教会へやられるなんて嫌だと駄々をこねたことがありました。
特に、教会で厳しい生活を送らざるを得なくなってから初めての父の面接の時には、どうか家に連れ帰ってほしいと父にすがりつきました。
父が帰るといっても離れなかったので、父は苛立ち、応接室にあった大理石の灰皿で、私を殴ったことがありました。
父が、私に暴力をふるったのはその時くらいでしょうか。
それ以来、私も父にすがりつくなどしなくなり、父につけられた傷は心へだけになりました。
もともと、父は私にそう関心がないのでしょう。
「次点は、この王子か、継母だな。ていうか、カミーユを呪っていたのも、この女か。ユリイカがいなければ、自分が初めから正妻だったのに……?おいおい、なにファンタジー信じてんだよ!そんなわけないだろ!」
義母を見て、タック様は腹を抱えて笑いました。
「とんだお笑い草だな、けどちょうどいいか。あのな、この男があんたと正式に結婚したのは、男爵令嬢って弱い立場のあんたなら、適当にあしらえるからだけだよ。ついでにあんたは頭も悪い。気づいてなかったんだろ?この男が王妃と通じていたのも、その第二王子がこの男の子どもだってことも、あんたと結婚したのは、王たちが抱き始めていた疑念を、あんたとの”真実の愛”でごまかすためだってことも!」
「嘘よ……!」
義母は、タックの言葉をすぐに否定しました。
けれど、その言葉を聞いた父の顔は蒼白になりました。
まさかと思って王妃様を見ると、王妃様の顔も真っ青です。
一瞬の後、王様の顔が憤怒に赤く染まりました。
そんな二人の顔色に、周囲の者たちも「まさか」という顔になります。
シャルル王子を見ると、王子は愕然として両親を見ていました。
シャルル王子の隣に寄り添っていたリリアンは、顔をひきつらせています。
そうです、シャルル王子の父が私の父だとすると、王子とリリアンは兄妹です。
「真実の愛」など、許されません。
そして、シャルル王子は王位継承権を取り消されるでしょう。
「わりと面白い種明かしだったと思うんだけど、嬉しくない?」
「申し訳ございません……」
タック様は、私の表情に気づいて、すねたように言いました。
けれど、父の犯した罪を知り、おそらくこれから起こるであろう父や、王妃さまや、シャルル王子や、リリアンの不幸を思うと、すこし胸が痛みました。
誰のことも好きではありませんが、特にシャルル王子やリリアンは、自分たちが犯したわけではない罪で、今後の人生は暗澹たるものになるでしょう。
タック様は、私の顔をのぞきこみ、私の目を覗き込みました。
そして、「マジかよ」とため息をつきました。
「そこは、ざまぁ!って叫ぶとこだろ。人間、難しいな。自分を傷つけた人間が苦しんだら、すっきりするもんだけどな。……まぁ、いっか。ちまちま罪を暴いて破滅させるのも面倒だしな」
「申し訳ございません」
タック様が、私のことを思って行動してくださったのは、嬉しかった。
私のことを思って行動してくれる人なんて、母が亡くなってからいなかったから。
母のためにと言いながら、私を喜ばせようとしてくださるお心が、どんなにありがたいか。
それを素直に喜べない自分が申し訳なくて、何度でも謝ってしまう。
タック様は、私の額を指ではじいた。
「いいって言ってるだろ。それに、お前はどっちにしても、この穴に捧げられるんだしな。お前があっちに行ってから、徹底的に破滅させてやるわ」
穴。
そういえば、私はこの穴に捧げられるんでした。
タック様は、私の手を引いて、穴の前に連れてきました。
「おおー、こりゃ深いな」
穴を覗き込みながら、タック様は面白そうに穴の底を観察しています。
「よし、来い。カミーユ」
タック様は、私の両手をつかみ、もう一度視線を合わせました。
その瞬間、ふわりとあたたかい何かが注ぎ込むのを感じます。
「お前の境遇を考えたら仕方ねーんだろうけど、お前はもうちょい人に頼ることを覚えろ。いいか?まじないをかけたから、あっちに行って初めて会う男には全力で頼れ!忘れるなよ!」
あっち……?
タック様の言葉を不思議に思う間もなく、タック様は私を穴に突き落としました。
あっと悲鳴のような声が、唇から零れ落ちます。
深い深い穴に落ちていくのを感じて、上を見上げれば、タック様の髪のような青い光が私を見守ってくれているかのように輝いていました。
そして、次の瞬間、私は見知らぬ世界に立っていました。