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すこし痛そうな描写があります。
巫女長に押されるまま、穴の前まで来てしまいました。
真っ黒な穴は深く、底は見えません。
ただその端はゆらゆらと黒い煙を巻き上げながら、今も少しずつ大きくなってきていました。
この穴に、私は捧げられるのでしょう。
たぶん、本来なら、私は嘆いたり、悲しんだり、あるいは怒ったりするべきなのでしょう。
でも、私の心は、なんの感情もありませんでした。
しいて言うなら、これで「私」という存在は消えてなくなるのだという感慨でしょうか。
おとなしく従う私を見て、巫女長は満足げに笑い、私の手をひいて、一歩退きました。
「大切な捧げものです。これより、最期のはなむけとして、彼女を浄化いたしましょう!」
巫女長が王様たちに宣言すると、王様たちから歓声がわきあがりました。
巫女長の慈悲をたたえる人々の声を聴いて、巫女長はしわだらけの顔で笑いました。
「カミーユ。お前のようなやっかいものがいたせいで、神殿は面倒なことがたくさんありました。けれど、お前という誰もに嫌われる娘がいたおかげで、私たちの結束が強まったともいえるでしょう。……さぁ、そこにまっすぐおたちなさい。より効果的に捧げものとしての役割が果たせるよう、浄化してあげましょう」
巫女長は、そう言うやいなや、詠唱を始めました。
ゆらりと金の魔術陣が私の足元からたちあがり、あっという間にあたたかな空気に全身を包まれました。
これが、浄化。
他人からむけられた憎しみや、欲望、嫉妬。
そんな感情は、見えぬ刃となって、人を呪います。
それゆえ、貴族や裕福なものは、定期的に浄化を受けます。
私も母が亡くなるまでは、月に1度は受けていたそうですが、まったく記憶にないため、初めて浄化を受け
たかのように、体中に降り注ぐその気配を味わっていました。
ですがその時、とつぜん浄化が強まりました。
巫女長が驚いて、自身から陣へ注がれる魔力を調整しようと手を振りかざします。
けれど浄化の陣はいっそう強く輝き、私はその魔力の強さにあてられたのでしょうか、頭が……正確にいうと額が異様なほど痛みだしました。
たまらず額を抑えてうずくまる私の耳に、巫女長の悲鳴が聞こえます。
「なんだ…、これは……!と、とまらぬ……、私の魔力がとまらぬ……!」
その時、パリンとグラスが砕けるような音が聞こえました。
その瞬間、額の痛みが、あっという間に消えました。
そして、私たちの目の前に、青い髪に青い目をした少年が現れました。
釣り上がりぎみの大きな目がいかにもやんちゃそうな、それでいて神殿にある神像よりも美しい少年です。
「何者……!」
王様たちのほうから、誰何の声が聞こえました。
騎士たちが、王様たちを守るように、剣をかざしながら前に出てきます。
少年は、ちらとそちらに目を向け、すぐに興味を失ったかのように私の前に立ちました。
「ひっどいことになっているなぁ。カミーユ?」
「申し訳ございません」
顔を近づけて、上目遣いににらんでくる少年に、私は頭を下げました。
私は、彼が穴から訪れた使者なのかと思いました。
なぜなら青い髪という見たこともない髪色もさることながら、少年の足はふよふよと宙を浮いていたからです。
少年は、「まったくだよ!」と大げさに首を振って、叫びました。
「だいたい僕は、ユリイカが人間の男なんかと結婚するのも反対だったんだ!人間たちときたら愚かで野蛮で、どうしようもない。ユリイカだけは、特別だったんだ。清らかで凛とした美しい魂の持ち主だった。僕のお嫁さんにしてあげようって言ったのに。王女だから、責務を果たさなくちゃいけないとかいって」
ユリイカというのは、母の名です。
使者さまは人間ではないようですが、母の幼馴染なのでしょうか。
「くだらないったらないよね!おまけに、ちょっとこの世界を離れているうちに、勝手に死んじゃうなんてさ」
使者さまの青い目に、じわりと涙がにじみます。
その涙を手の甲でぬぐい、使者様は唇をとがらせました。
「困ったら助けてやるから呼べって、守り石を渡したのに、それを娘にやっちゃって、自分は最期に僕にもあわずにこの世を去るとか。ほんと勝手だよ……!おまけに娘は呪いに汚されて、10年も僕を呼び出せないと来た。そういう要領の悪いやつって、僕は大っ嫌いなんだよね。でも約束だし、ユリイカの娘だから仕方ない。大サービスで、あんたの願いを聞いてあげる。どう?この国、滅ぼしたい?」
使者様はたたみかけるように言うと、にぃっと悪い笑みをうかべました。
ひどく悪意に満ちた表情なのに、使者様はどこか無邪気です。
それにしても、怒涛の展開についていけません。
「使者様は、お母様のお知り合いなのですね。母の死を嘆いてくださったこと御礼申し上げます」
捧げものとして着せられた白いドレスの裾を手に取り、見よう見まねのカーテシーをしてみます。
使者さまは苦々し気に顔をゆがめ、
「なに、そのひどい礼。あんたそれでもユリイカの娘なのかよ……って、まぁ、ほんとに娘なのも、なんでそんななのかも僕にはわかっちゃうんだけどさぁ。ユリイカのこと、あんたに礼を言われる必要はないね。僕のほうがあんたよりも先にユリイカに出会って、あんたよりずっと長い時間ユリイカと一緒にいたんだからね!」
ご立腹のようで、私の周囲をぐるぐると飛び回られます。
「で、どうするの?この国を亡ぼす?」
使者様は真顔で、もう一度私に問いかけてきました。
「いいえ。そのような望みはございません」
なんとなく、私たちを取り囲んでいる人たちの顔を見ました。
お父様、シャルル王子、リリアン、王様、巫女長、たくさんのきらびやかな人たち。
見知った顔はたくさんあり、彼らの誰もが私をうとみ、時に傷つけてきました。
けれど、私の心は、もう彼らを憎むほどの想いもありません。
「ただ、もうなにもかも終わってくれればと思います」
たんたんと心情を告げると、使者様は一瞬おおきく目を見開き、両手で顔を覆いました。
「なるほどね。じゃぁ、なにもかもを”終わらせ”ようか」
次に私を見たとき、使者様はなにかをふっきたかのように、悪い悪い顔をしていました。
「僕は精霊王タック。時間をまきもどすことと死者をよみがえらせること以外なら、わりとなんでもできるすごい王様だ!人間の動きをとめるなんて、ちょっと指を振るだけでできてしまう。効果のほどは、自分の身で体験できるだろ?」
タックは王様たちのほうへ、両手を広げて言いました。
そういえば、こんな状況なのに、誰も逃げるでも叫ぶでもありません。
これが、タックの……妖精王の力なのでしょうか。
「面倒だから、動けないのはそのままで。でも顔は動かせるようにしてあげる。だから、僕をたっぷり楽しませてほしいな。そうだね、まずはカミーユを肉体的に痛めつけた人間に、今も彼女の体に残る傷を返してあげようか!」
タックは、私と手をつなぎ、目を閉じました。
そして、王様たちのほうを見て、両手を胸の前でパンと打ち鳴らしました。
「ひぃ…っ」
「いやぁっ」
巫女たちが集まる場所から、次々に悲鳴があがります。
巫女長も獣のような声をあげ、その場にうずくまりました。
それを見ていた王様たちの間から、ざわめきがおこります。
私も、おどろきました。
たったそれだけで、体中にあった痛みがすぅっと治ったのです……!
巫女たちの嫌がらせで、階段から突き落とされたり、物を投げられたりすることはよくありました。
足の骨は2回、手の指は5回折れていますが、ゆっくりと養生することもできなかったので、うまく治らず、今でも痛みは残っていました。
その痛みがなくなったことに、まず気づきました。
次いで、気づいたのは、巫女長たちに鞭打たれた背中の痛みが消えたことです。
このふたつは、いつも身動きするたびに、私の身をさいなんできたので、あまりの驚きに息をのみました。
背を伸ばし、手を上げ下げしても、体のどこも痛まないのです……!
なんていうことでしょう。
妖精王というのは、こんなこともできてしまうのでしょうか。
3話くらいで終わる予定だったのに、なぜか転移すらできていないです。
ごめんなさい。