代役
参考書などの重い荷物を両手に抱え「手が千切れそうだよぅ」と泣きごとを言いながら、ホリリンと一緒に帰宅していた。
街路樹を抜けて信号にかかっていた時に、母親から電話がかかってきた。
『良かった、やっと繋がったわ。玲奈、今どこにいるの?』
「もうすぐ中央駅だけど、どうしたの? 今日は仕事じゃなかった?」
『それがトラブル発生なのよ、予定していた学生モデルさんたちがこっちに来る途中で事故にあったらしくて、来れなくなっちゃってね。玲奈と、それに真紀ちゃんにも手伝ってほしいの。真紀ちゃん、今、一緒なんでしょ?』
「一緒だけど……」
玲奈が携帯電話を持ったままで真紀の方を向いたので、側にいた真紀は疑問符を顔に浮かべながらも、自分の方を指さした。
『ちょっと真紀ちゃんに代わって!』
もう、強引なんだから。
玲奈はしぶしぶ真紀に自分の携帯を渡した。
真紀は玲奈の母親の話を聞いて最初は驚いていたが、すぐにニヤリと笑って「ハーイ、待ってまーす」なんて言っていたので、二人の間で話がついたらしい。
通話が終わり、真紀から事の詳細を聞いて、玲奈はげんなりした。
どうやら10代向けの雑誌に載るファッションモデルの代役を頼まれたらしい。
自宅近くの浜辺で撮影するので、玲奈たちに声がかかったようだ。
「浅木西駅前までお迎えの車が来るんだって。この参考書が重たかったからちょうどいいじゃない。撮影が終わったら家まで送ってくれるっておばさんが言ってたし、バイト代も出るってさ」
「でも雑誌のファッションモデルなんでしょ? 海辺の撮影だったら夏服だよー 寒いじゃん」
「もー、玲奈ってば現実的ねぇ。芸能界の裏側を知り過ぎてて、夢がないんだから。こういう時、普通の子は『キャー、ラッキー!』って言うのよ」
ラッキーどころか、最悪だ。
凡子としてはなるべく芸能界には関わりたくない。
小さい頃から芸能人の二世タレントが集まる番組に何度も出てくれと言われていたが、玲奈は絶対に出ないと固辞し続けていた。
そんな姉とは反対に、弟の翔はお祭り男なため、小さい頃から芸能活動をしていて、ドラマや映画の子役の経験もある。本人は父親の和樹の影響でミュージシャンになりたいらしく、今は従兄弟の秀明と二人でデュオバンドを組んでいる。
秀明の方はこの三月に大賀県から上京して来て、今は我が家に居候をしている。どうやら本格的にデビューする話が進んでいるようだ。
あーぁ、でも仕方がないか。
たぶんこの仕事は、この四月に創刊されたシーナ・アミの記事に使うものなんだろう。
母親の亜紀はずっとパートタイムで仕事をしていたが、弟が小学校を卒業したのをきっかけに、フルタイムで仕事をするようになっている。
雑誌社と芸能界の両方に顔が利くので、このシーナ・アミという雑誌には調整役としてだいぶ深く関わっているらしい。
めんどくさいけれど、これも親孝行の一環だと思って諦めよう。
地元の海辺の駐車場には大型のバンが二台止まっていて、玲奈と真紀はすぐに海側に泊まっていた方のバンに乗せられた。
「そこの1と書いてあるのが真紀ちゃんが着る服よ。玲奈は2の札が付いているのを着てちょうだい。時間がないから、二人とも着替えながら聞いてね」
「「はーい」」
「今回の写真が入る記事のコンセプトは『夏休みのダブルデート』なの。海岸にやって来た二組の学生カップルの雰囲気が欲しいのよ。真紀ちゃんは、お母さまの許可しかもらってないから、なるべく顔が大写りしないように撮ってもらえるようにカメラマンに話してるから心配しないで。玲奈はこういう仕事は嫌いでしょうけど、何とか笑顔をちょうだいね」
「わかってる……でも、カップルということは、男のモデルさんがいるんでしょお?」
「そんなに嫌そうな声を出さない! 相手役は翔と秀くんに頼んだから、大丈夫」
「うわっ、身内で固めたね~」
けれど弟と秀明が一緒なら安心だ。
不可抗力とはいえ、玲奈としても引きつった顔で雑誌に載りたくはない。
前世も今生も一度もこういうデートをしたことがない凡子としては、カップルの振りなどという演技は、とてもじゃないけどハードルが高すぎる。
母親もその辺りのことをわかっていて、翔たちにモデルを頼んだのかもしれない。
玲奈が真夏に着るオフショルダーのワンピースの上にジャンバーを羽織ってバンの外へ出ると、真紀も半パンから長い足を出して震えながらやって来た。
「ひぇーー、寒い。海の近くだと風がまだ冷たいねぇ」
「だから言ったじゃない。モデルの仕事は華やかそうに見えるけど、本当は地味に体力と根性が必要なのよ」
「確かに、見てるのとやるのとでは違うということがよくわかったわー。でも、私もいずれはテレビに出ようと思っているわけだから、これもいい経験だと思うことにする」
「そういうところは、いかにもホリリンね」
いつでも前向きな真紀の性格がうらやましい。
玲奈と真紀が母親とカメラマンに呼ばれて、撮影場所の説明を受けていると、もう一つのバンから翔と秀明が出てきた。編集者の人なのだろう、ラフな格好をしている30代ぐらいの男の人と一緒だ。
「おまたせ、姉貴! 寒いから早いとこ撮ってもらおうぜっ」
後から来たくせに、偉そうに。
本当に、弟がこんな男になるなんて思ってなかったな。
昔は「おねえちゃま、ぼくと、おててつないでくれる?」とか言って可愛らしかったのに……
今では父親の和樹よりもガサツな男だ。
「玲奈、こっちは友達? もしかして、話によく出てた真紀さんか沙也加さん?」
如才ない従兄弟の秀明が話しかけてきたので、玲奈は真紀を紹介しておくことにした。
「うん、こちらは堀井真紀さん。真紀、こっちは大賀の従兄弟の秀明。この春からこっちに出てきて、今は一緒に住んでるの」
「へぇー、一緒に? 玲奈ったらそんなこと言ってなかったじゃない。秀明さんということは、翔くんとバンドをやってる人だよね」
「ハハッ、情報は筒抜けだね。そうです、よろしく」
うひゃぁ、秀くんの商売用王子様スマイルだ。
真紀は頬を染めているけど、山を駆け回ってガキ大将をしてた頃の野生児、秀くんを知っている者としては、いつ見ても胡散臭い。
撮影をする時は、夏の強い日差しを演出するために、カメラマン助手さんが二人がかりで大きな反射板を持っていた。海風が吹いているので、風にあおられている。
あれは板を持っている腕が痛くなりそうだ。
玲奈と秀明、翔と真紀がそれぞれカップルになって、カメラマンが注文するポーズをとる。
……なんというか、非常に恥ずかしい。
「玲奈ちゃーん、彼の方を下から見上げて、微笑んで! いいよ、いいよ。そのまま!」
カシャカシャ
「もう一枚!」
カシャカシャ
「サンダルを脱いで、波打ち際を歩いてみよう! 秀明くん、玲奈ちゃんと手を繋いで」
カシャカシャカシャカシャ
「よーし、選手交代だ。今度は翔くんたちが砂浜に出て!」
玲奈が緊張すると秀明がバカをやって笑わせてくれるので、なんとか撮影ができたが、春先の海の水は冷たかった。
濡れた足の裏がジンジンする。
やっぱりカメラの前に立つのは、凡子には荷が重い。
その点、翔と真紀の撮影は順調だった。
真紀とは翔が小学校の三年生の時からの知り合いなので、二人とも打ち解けている。写真には声が写らないので、お互いの学校の話をしているようだ。
翔も最近、背が伸びてきたので、不思議なことだが撮るアングルによっては、仲の良いカップルに見える。
玲奈は濡れた足をタオルで拭きながら、弟たちの撮影を眺めていた。
玲奈がサンダルを履き終わった時に、秀明が紙コップに入れた温かいお茶を持って来てくれた。
「ほい、お疲れさん」
「ありがと。ごめんね、フォローしてもらっちゃって」
「どーいたしまして。でも、玲奈は亜紀おばさんに似てるから、写真写りがいいらしいよ。あっちで坂本さんが、玲奈を芸能事務所に入れたほうがいいって、亜紀おばさんに話してた」
「えーっ?!」
秀明が言った方を見ると、編集者の男の人がパソコンをいじりながら母さんと話をしている。
余計なお世話だよね。
こんなことがあったので、入学式の日にしては変わった午後を過ごすことになったのだが、玲奈の芸能活動はこれだけでは終わらなかった。