0歳児は立つ
手足を使って自力で移動できるのが、こんなに恵まれたことだとは思っていなかった。
周りの大人に頼らずに動けるのって、楽しいー!
玲奈は匍匐前進から始めて、すぐに膝を使った四つ足ハイハイを習得した。
今日は、外の芝生で遊んでいた時に、チクチクする芝に膝をつけたくなかったので、高這いといわれる高度なハイハイ技を編み出した。
しかしこの技を使って這っている玲奈の格好が面白かったようで、回廊を掃除していたお手伝いさんたちが見学に来てしまった。
「亜紀さま、玲奈ちゃんのこの卓越した運動神経はどなたに似ておられるのでしょうね。やはり、和樹さまですか?」
こんなことを母に質問したのは、長年この家に勤めている芳賀さんだ。やせ型で手足の長い中年女性で、真島のおばあちゃんと仲良しらしい。よく二人で話をしている。
「もう、私が運動音痴なのは芳賀さんもよく知ってるじゃない。玲奈は、絶対に和樹さん似ね」
母さんが芳賀さんにそう言うと、側にいたもう一人のお手伝いさんが口を出した。
「あらでも、お顔の方は亜紀さんにそっくりですよ。玲奈さんも将来アイドルになれそうですねぇ」
後藤さん! 私みたいな凡子がアイドルになんてなれるわけがないじゃない!
この後藤さんは、三年前に真島家に働きに来たそうだ。その頃、亜紀はまだ結婚していなかったので、この家に住んでいた。それにアイドルという注目されがちな芸能活動をしており、情報を売るような人間を屋敷に雇うことができなかった。そのため遠縁の伝手を頼り、後藤さんにお手伝いに来てもらったらしい。
彼女はまだ二十代だが、実家が色々と問題を抱えていたらしく、若いけど常識を備えたしっかり者だ。
お手伝いの芳賀さんと後藤さんが、普段は二人で協力してこの真島の家を取り仕切っている。パーティなどの人手が必要な行事があると、外注のクリーニングサービスやレストランのデリバリーを頼むようになっているらしい。
これからこの家で育つ私も、この二人にお世話になるんだろうな。
ハイハイをすると腕や足だけではなく身体全体の力が強くなるようだ。
玲奈は、引き出しを引っ張って開けて、中に入っているものを全部取り出すことを覚えた。そしてつかまり立ちをして、とうとう立つことができるようになった。
やっとホモサピエンスの段階まで成長することができたわ!
夏の終わりには父親の和樹も帰って来たので、私たち家族は、新築のように綺麗になった庭の離れに移った。
「なんか玲奈が一気にでかくなってる気がする」
久しぶりに我が子を一日中眺めていた和樹は、ちょっと寂しそうだ。成長過程をつぶさに見られなかったからだろう。
「重たくなったし、力が強くなったのよ。この間なんか、母屋の樫の家具を引っ張って移動させちゃったの」
「へぇー、何でも下に置いとけないな」
「それよっ! 防音室には必ず鍵をかけといてね。じゃないとマーチンがボロボロよ」
「げっ、わかった。ギターは忘れずに壁にかけておくことにする」
新しくできた防音室は、壁にギターがたくさんかけられるようになっているので、ギタースタンドが必要ない。そして、亜紀の練習用ピアノも中に置いてある。マンションの防音室と比べると十倍以上の広さがあるかもしれない。
父さんはその広い室内を見て、欲しかったドラムセットを買おうかと言っていた。
それはいいね、おもちゃの太鼓より面白そう。
私が父さんが言ったことを聞いてほくそ笑んだのは内緒だ。
九か月がくる頃には、玲奈は歩き出し、一歳のお祝いには一升餅を背負って走った。
「まあまあ、一升餅を背負って走る子なんて、初めて見たわ~」
「ほんまじゃ、昌弘のところの秀明なんか、餅を背負わしただけで泣き出したもんなぁ。女の子は成長が早いんじゃろうなぁ」
大賀の祖父母もお祝いにかけつけてくれたのだが、玲奈の成長に驚いていた。
昌弘伯父さんは父さんのお兄さんで、その子どもの秀明くんは、私と同い年の従兄妹だ。秀明君が11月生まれで、私が1月生まれになる。二ヶ月だけお兄さんだね。
芸能人はお正月が忙しいので父さんは年末年始の帰省ができなかったが、このお祝いの会が終わったら、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に、皆で田舎へ帰ることになっている。
私にとっては初の大賀県なので、行くのが楽しみだ。
その日のご馳走は、お手伝いの芳賀さんの渾身の作だった。鯛は料理屋に頼んだそうだが、煮物や汁物などは朝早くから起きて、芳賀さんが心を込めて作ってくれた。
後藤さんは、ケーキを食べる時に添えたフルーツコンポートの係だったそうだ。
二人とも、ありがとう。
「ばあば、まんま、おいちい。これ、どーじょ」
玲奈が大賀の祖母に料理を勧めると、これにも驚かれた。
「どしたん?! 玲奈はこんなに喋れるん?」
「そうなんですよ。物事もよくわかっているようですし、運動神経も和樹さんに似て、いいようです」
「それに顔は亜紀さんに似て、でえれぇべっぴんさんじゃ。こりゃあ先が楽しみじゃなぁ」
祖父にも褒められたので、玲奈はちょっと照れくさかった。
三歳までは天才、それを過ぎたらただの人と言われないように、三つ子の魂百までの精神で頑張らなくちゃね。
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玲奈はことわざの意味をちょっと曲解しているようだが、とにかくこんな風にして、玲奈の生後一年は過ぎていった。
玲奈が三歳になった時に弟の翔が生まれた。
お姉ちゃんになった玲奈はますます張り切って、弟の世話をした。
早期教育のことは忘れていない。英語の絵本を親にねだり、辛抱よく読んでいたし、英語の歌をCDで繰り返し聞き、大きな声で歌っていた。ピアノをはじめとする様々な楽器も、情操教育と称して早くから取り入れ、演奏していた。そして本屋へ行けば必ず、幼児教育用のドリルや暗記カードをたっぷりと買ってもらった。
こんなに勉強が好きな子は、我が子ではないのではないかと両親を悩ませたりしたようだ。
父親の和樹は相変わらず、ミュージシャンと俳優の二足の草鞋を履いていたが、母親の亜紀の方は雑誌の仕事や録画番組のナレーションなど、時間に融通が利く仕事に絞って芸能活動をして、玲奈や翔の子育てを優先してくれた。
こうやって育った玲奈は、高校生になろうとしていた。