「ナゲル」という魔法のような
投げるという概念が存在しない。
考えてみれば当然か。目が見えないのに物を投げるのはナンセンスだ。
触覚種族が感知範囲できる範囲は数メートル。
近くの人に物を投げ渡すことくらいは考えたことがあるかもしれないが、それを攻撃に昇華した「投擲」や「射撃」という概念は生まれにくいだろう。そもそも狙いをつけられないし、同士討ちの危険が大きすぎるからだ。
「投げるっていうのは……ええとつまり、離れた場所から攻撃できるってことだ」
意味が伝わりやすいように、言葉を選ぶ。
自分にとっての「触覚種族」や、ルルララにとっての「目」のように、お互いに概念自体を持っていないものは通訳魔法の範囲外だ。分かる範囲で言葉を重ねて伝えるしかない。
「ふぁっ!? できるんですか……! そんな、魔法みたいなことが……! さすがメイシア……!」
「俺からすればルルララのやっていることの方がよほど魔法だけどなあ」
言いながら、火を点けるための骨を拾い集める。
モウセンゴケの群生からそれなりに離れた場所まで骨が散らばっているから、アリジゴクのように食べかすを巣の外へ放り捨てているのかもしれない。
散らばる骨の数からして、犠牲になった動物は十や二十ではなさそうだ。おかげで集めるのに苦労はしなかった。
蹴飛ばして骨を一か所にまとめながら、重要なことに気が付いた。
煙草をやらない自分は、ライターもマッチも持っていない。
ルルララが「火を点けるのが簡単」とか言ったから無意識に点けられるものだと思ってしまったものの、彼女にしても手ぶらだ。持っていかれたウェストポーチの中に道具が入っていたかもしれない。
「ルルララ、火を点ける道具は持ってたりする?」
期待せず聞いてみると、ルルララはあっさり頷いた。
「道具はないですけど、火なら点けられますよー。何に点けます?」
「ん? じゃあ、とりあえずこの骨に」
火を点けるなら枯れ枝の方が都合がよいのだろうが、骨なら骨で毛皮の切れ端や乾いた肉片がまだ残っているから、大差ないだろう。あまり積極的に触りたい物でもないが、もうなるようになれだ。
「はいっ」
ルルララが手をかざすと、何の前触れもなく毛皮の切れ端に火が付いた。
「うおっ、やっぱり魔法じゃん!?」
通訳魔法といい、この子、技術では到底不可能なことを軽々とやってのける……!
「これは魔法じゃなくって、顕現って言います」
こともなげにルルララは言う。
顕現。
自分からしたら魔法だが、この世界の住人なら誰でもできる技術にすぎないそうだ。
「体の内外にある魔力を『よく知っているもの』に変換するっていうだけのことなのです」
「俺はその魔力が分からないからなあ」
説明を聞いても、自分から見ればやっぱり魔法としか思えない。
ともあれ、これで火種はできた。さっそく、毛皮の切れ端や骨をかき集めて焚火にする。
間を置かず、パチパチと音を立てて火が大きくなり始めた。
砂漠のような光景からも想像がつくが、空気はだいぶ乾燥しているらしい。地底世界なら湿度が高そうな印象があるが、ここはそうでもないようだ。
「よし、これを片っ端から投げてく」
「えっ……こ、こんな何も感じ取れない距離から……? あ、あの……わたしも『ナゲル』、できます?」
「できるんじゃない? あっでも、変に力を入れると肩や肘を痛めるから気を付けてね」
「は、はい……」
恐る恐る、ルルララが火の付いた骨を拾い上げる。
実際、物を投げることができる動物は数少ない。
そもそも現代人だってスポーツ以外で「投げる」という動作などまずしないだろう。「投げる」というのは、自然界においては特殊能力なのだ。生まれて初めて物を投げるというなら、充分に注意しないと一発で関節を壊しかねない。
「こう、棒を持って軽く、ぽいっと」
お手本として一本、火勢の強い骨をモウセンゴケに向かって投げ付ける。
ルルララを気にしたせいで勢いが弱く、モウセンゴケまでは届かなかった。
「ぽいっと!」
真似して投げようとするルルララ。口だけは元気だが、手にはしっかりと骨を握ったままだった。もはや見ているだけで可愛らしい。
「そこで手を離さななきゃ!」
「あっ、離すんですね! んー、ぽいっと!」
再チャレンジした骨は明後日の方向に飛んで行ってしまった。
まあ、こんな場所なら火事になることもない。
「はー、これが『ナゲル』ってことですか。火の付いたものを手放すのって、不安ですね……」
そんなことを言いながらも、ルルララは満足そうだ。両手を胸に当てて余韻をかみしめる。
「初めてじゃあそんなもんだよ」
言いながら、次の燃えさしを投げる。
今度は狙い過たず、モウセンゴケの葉に上手いこと貼り付いた。
とはいえ多量の粘液に包まれているし、そう簡単に燃えるはずが……。
「うわっ!?」
……と思いきや、モウセンゴケの巨大な葉が一瞬にして火に包まれた!
「火、点きました? すごいすごい! やっぱり伝説の種族です!」
ルルララが飛び跳ねそうな勢いで称賛してくるが、すさまじい勢いで燃え上がる炎に、こちらは冷汗しか出ない。
どうもモウセンゴケの葉を包む粘液に油分が含まれているようだ。熱に焙られて暴れるせいで巨大な葉同士が次々とぶつかり、激しく延焼していく。
「……や、やっちまった……?」