ルルララ
他人の視線が怖い自分だが、不思議なことに向き合っていても彼女は怖くない。
前髪で目が隠れているからなのか、まったく視線を感じないのだ。
「あっ、さっきは助けてくれてありがとうございます!」
「いやいや、危ないとこで助けられてよかったですよ」
少女が丁寧な言葉遣いなので、こちらも丁寧語で返す。
それにしてもこの翻訳、不思議な感覚だ。
例えるならテレビの副音声がいちばん近いだろうか。両方の音が同時に聞こえてくる。
「そうだ、言葉通じるようにしてもらってありがとうございました」
頭を下げると、少女は照れたように両手を頬に当てる。
「いえいえー、お安い御用なのです」
最大の懸念だった言葉はあっさり通じるようになった一方、疑問点が次々と湧いてくる。
とはいえ矢継ぎ早に質問しても困るだろうし、とりあえず最初の疑問をはっきりさせよう。
「えっと……」
こちらが口を開こうとすると、少女が小首をかしげる。
「でも、えーと、お兄さんは……触れた感じ、お兄さん、カレキスでもアルロウでもないですね……? もしかして、キャルズ……?」
種族か所属組織らしい言葉を彼女が口にした時、耳にノイズが走ったような感覚があった。
どうやら、日本語に訳せない言葉は、彼女が口にした本来の音だけが聞こえてくるらしい。
「なのにこんな、どこの集落からも離れた辺境にいるなんて」
「辺境ですか……そもそも、ここはどこなんですか?」
「うっ……どこって言われると、どこでしょ? 難しい……ほんと、魔力も薄くてなーんにもないとこです。わたしの集落以外だと、いちばん近い街は……歩いてどれくらいなのかな、すみません、分かりません……」
辺境と言われても元になる基準が分からないが、考えてみれば自分だって、世界地図もなしに日本の場所をうまく説明できる自信はない。
魔力という言葉が気になったが、おいおい確認していこう。
まあ、言葉が通じるようになった時点で魔法以外は考えにくい。
「というか、そんな丁寧な言葉遣いしなくて大丈夫ですよ?」
「はい……あ、そう?」
確かに自分よりずっと年下のようだし、あまり丁寧な口調にしていても壁があるようにとられそうだ。
「じゃ、お言葉に甘えて、普通に話すね」
「はいはい。えっと、あ! すみません忘れていました!」
すっと背筋を伸ばし、こちらにまっすぐ顔を向ける。
「改めまして。わたし、ルルララと申します。湯の山に住むカレキスです。助けていただいたご恩、一生忘れません」
言って、ルルララは深々と頭を下げる。このジェスチャーも同じ認識で良さそうだ。
「いやそんな大げさな。そうだ、俺の名前はテル。で……えっと、たぶんだけど、この世界の人間じゃないんだと思う」
我ながら怪しい自己紹介だが、ルルララはすんなりと信じてくれた。
「そ、そんなことってあるんですか! 街でもなくて、別の世界……? 信じられない、けれど信じます。どうりで、不思議な手触りなのです」
そこで、まだ指先を触れ合わせたままだったことに気が付く。よく考えれば顔と顔の距離も近かった。
少し照れ臭いが、ルルララは離れようとしない。
「温かで、ふわんとしてる。優しい指先です」
「あ! そういえばさっきはいきなり手を握ってごめん」
「いっ、いえいえ! 知らないのなら仕方ないですよー」
またちょっと赤くなる。やはり指を絡めるのは照れるようなことらしい。
それにしても、つい先ほど死にかけたばかりだというのに少女の声は呑気なものだ。
いや、自分も他人様のことは言えないか。
こんなありえない状況なのに、不思議なくらい心が穏やかだ。
あっさりと言葉が通じるようになったのも大きいが、何よりもルルララの屈託ない人柄のおかげだろう。こうして向かい合っているだけでも心が休まる。
「けどさ、さっきの宝石みたいなやつ、貴重なんじゃない? あれで言葉が通じるようにしてくれたんだろ?」
「あっ……それはまあ、ちょっとは、ですけど」
少しだけ歯切れが悪くなる。やはり大事なものだったらしい。
「じゃあ、俺だって助けてもらってことだ。この恩は絶対に返すよ」
ルルララがいなかったら遠からず路頭に迷っていただろう。
言葉が通じるようにしてもらっただけでも、返しきれないほどの借りだ。
「いえいえ、そんな、恩だなんて……!」
「いやいや」
お互いに恩を売り買いするようなやりとりを何度か繰り返して、どちらともなく吹き出す。
「あはは、もう、テルさん頑固なんですからー!」
「それはお互い様ってことで!」
「でも……ほんとに、外から来た方なんですねえ。魔力結晶をご存じないって」
無知さに呆れるというより、本気で感心している口調だ。
「それで、話は戻りますけど、どうしてこんなところにいたのです?」
「いやほんと、気が付いたら飛ばされて来たっぽくて、右も左も分からなくてさ。ルルララこそ、どうしてこんなところに? 家が近いって訳でもないよな?」
「それは……」
途端に、ルルララの表情が曇る。
何やら深刻な事情があるようだ。自分でも何か役に立てることはあるだろうか。
「……実は、ヨドミから魔力を回収したいのです」