「交渉者」という肩書
電話にて呼び出された幣は、電話相手の指定した部屋へと移動する。
電話相手はたった一人、同じ経理部で働く女性である。
「交渉者」――頼住 志信。人の信頼を金で買えるという能力を持ち、幣の能力をフルで活用し、ありとあらゆる交渉を一人でまとめ上げる。
買い取る信頼の金額は人により左右され、基本的に大物程値段は高くなる。
会議よりも交渉を優先していた彼女の相手は、蓋が先程話していた政府関係者であり、かなりの高額を積んだらしく、
「あー、もう! ほんと腹立つ! 何であんな奴にあんな金額積まなきゃなんないのよもう!」
髪を乱暴に掻き毟り、怒りを露わにしながらとある部屋で一人悪態をついていた。
そこへマグカップを2つほど持ちやって来た幣は、
「だいぶ荒れてんな。――いくらかかった?」
彼女の前へマグカップの一つを置いて、そう聞いた。
「2.5。はぁ、ほんとぼったくられた気分よ」
マグカップに淹れられたコーヒーを啜りながら本当に不機嫌にそう呟いた彼女は、
「にっが!……これブラック? あり得ないんだけど」
「甘党の味覚は理解できなくてな。自分で砂糖なんかは入れてくれよ」
一口飲んで驚愕、とばかりに目を見開く。
それに対して何とも投げやりに幣が返して……おもむろにガムシロップ二つと練乳をコーヒーに投下した頼住は、しっかりとかき混ぜて、今度は満足気にコーヒーを飲む。
「はー、ホッとする甘さー。これくらいが一番よねー」
「見てるだけで胸やけ起こしそうだがな、俺は。んで? お前がまとめた交渉ってのはどうなったんだ?」
こちらはブラックでコーヒーを飲みながら、「2.5」、つまり2500万もかけて買った信頼を元に進めた交渉の事を聞く幣。
「ほとんど向こうの出した条件変えず。よ。派遣するペースや派遣後のアフターフォローは全部こっちに一任させたし、この世界に戻って来た後の事は全部向こうに押し付けたけどね」
満足そうに鼻を鳴らし、爪をいじくりながら、私の手柄だぞ。とふんぞり返る。
「向こうからの保障は?」
「派遣した人数、異世界での功績、この世界に戻ってきてからの働き、に応じての歩合制でまとめたわよ? 社長の指示だったし」
「あ、そこはちゃんと出来てんのね」
「当たり前でしょ。ていうかそこに一番お金積むはめになったのよ? 全くこっちの事信用してなかったからね」
「そら金に関係する事だから当然っちゃ当然さ。現にこの会社なんて、政府からは怪しい会社以上の評価はされてねぇだろうしな」
コーヒーを飲み干して、幣は自分が呼び出された理由について尋ねる。
すなわち、
「んで? 合計いくら出せばいいんだ?」
金はどれだけ必要であるか? と。
「交渉に来てたやつ個人に2500、あとここまで運転してきたやつには800、あいつが付けてた盗聴器の向こうに居た連中に1000ずつ、7300……で大丈夫なはず」
「余裕持って8000にしとくか。――と。」
部屋に転がっていたアタッシュケース。中身が空のそれを幣は持ち上げやや乱暴に叩く。
「あー、だるい。今日は安静にしとかなきゃだな……」
そのアタッシュケースを頼住に放り投げ、鼻をすすりながらそう言った幣は、自身の体に変調をもたらした、自身の能力の副作用に苦笑しながらソファーをベッド代わりに体を投げ出す。
「ん。きっちり8000。んじゃバラまいてくるー」
アタッシュケースの中に出現した札束を確認し、にっこり笑顔で部屋を出て行く頼住を尻目に、体温計にて検温した幣は、
(39度6分……きっついな、久々に)
そう頭の中でのみ弱音を吐いて、彼の意識は沈んでいった。
* * *
「そう言えばですけれどー、渡良瀬さんはちゃんとご飯食べていますかー? 何やら顔色が最近悪く見えますよー?」
幣が抜けた後も進んでいた会議、というかもはや報告のしあいも落ち着いた所で、そう渡良瀬は尋ねられた。
「……えぇ。ちゃんと食べていますよ」
「嘘は良くないのですよー。答えるまでの間で判別余裕なんですからー、全く、あなたが居ないとこの会社は商売あがったりなのですからねー。……あとでご飯作りますので食べてくださいよー?」
ゆっくりとした口調で、本気で渡良瀬の事を心配してそう決めた優しい声の持ち主は、
「食材を買ってきますねー」
と慌ただしく会議室を後にした。
「まー、もう話す事なさそうだし、そもそも何人か消えたし、今回はここまでにしとこうか。一応今回の会議をまとめた資料はあとで作るから、何かあれば今度の会議の時にでも聞いて。んじゃ、解散ってことで」
と蓋がまとめるが、そもそも会議の行われていたこの部屋に居るのは彼と渡良瀬のみになっているし、あまり格好は付いていなかった。
超少数精鋭、というよりは仕事の内容的にそもそも社員となれる者が少ないこの会社の日常風景ではあるのだが……割と寂しさを感じつつ、蓋は静かに会議室を後にした。