裏返り
微グロ注意です。
平穏はふだんはそうと感じられずとも、ある日ふとした時にそれが尊いものだった事に気が付く。
例えばそう、病気になった時の事を考えてみて欲しい。
普段当たり前に行っている動き回るという事が、病気になった途端に眩しいものに見えてくる事だろう。
*
現在は平穏。
定期的に派遣者からくる連絡を受け取り、データ取りをし、報告の内容毎に整理して。
――他愛ない世間話を二言三言交わして定期報告終わり。
送られた先の時間の進みや時差もあるのだろう。
皆して10時の定期報告と言うのだが、こちらと言うべきか。地球上の日本の時間は午前6時を少し過ぎた所であり、眠い目を擦りながら癒山も渡良瀬も淡々とこなしていった。
「コーヒー……淹れるっす?」
渡良瀬に気配った、というよりはコーヒーでも飲まないと二度目の睡眠に入ってしまう、と癒山が提案し、
「お願いできますか? ――冷蔵庫に練乳が入っているのでそれをぶち込んでください」
「れ、練乳っすか!? 滅茶苦茶甘そうっす……」
「脳を動かすには糖分摂取が一番ですよ? と言っても自分は頼住さんの真似をしているだけなのですが」
「頼住さん大丈夫っすかね? 健康面とか」
「炊江さんが栄養バランスの調整を完璧にしてくれている筈なので大丈夫でしょう」
「運動不足になりそうっすけどね」
僅かに苦笑しコーヒーを淹れに席を立った癒山を見送り、今日の新聞へ目を通し始める渡良瀬。
ソファに寝そべり、スーツに皺が入ろうともお構いなしで新聞を読むさまは休日のお父さんと言っても差し支えない。
癒山が淹れたコーヒーをゆっくり味わっている時に、二人の耳に届いたのは、出来れば聞こえて欲しくはない大きな音。
大型車のものと思われるブレーキ音。そして、何かにぶつかる音。
窓から外を除けば、視界の一部には赤い色が撒き散らされていて。
思わず癒山が、ゔっ……。と後退りする程には凄惨な光景だった。
ブレーキがある程度間に合ったのだろう。その人型はとりあえず人の形を保っていたし、体の内側にあるものを外に出してはいない。それでも、夥しい出血の量はすぐにでも手当を行わなければ手遅れになる事を如実に物語っていた。
不自然に折れ曲がった手足も、閉じられていない瞼も、目を覆いたくなる惨状なのだが、それでもその人物の胸は、微かな呼吸に合わせて同じく微動していた。
「渡良瀬さん! あの人の傍に飛ばしてくださいっす!!」
「何を――「早く!! 手遅れになるっす!!」
状況を把握した癒山は渡良瀬に、事故の被害者の傍へ自分を転移させることを指示して、
一瞬聞き返すがそれも阻まれ、急かされて。
癒山の肩を掴んだ渡良瀬は被害者の元へ自分ごと癒山を転移させた。
転移するやいなや被害者へと駆け寄った癒山は、目を固く閉じて、被害者の胸と腹に両手を押し付ける。
(何を、などと当たり前のことを聞いてしまいましたね。治すに決まっているでしょうに)
必死に能力を使い被害者の命を繋ぎとめようと、能力をフルに使う癒山の額に汗が浮かぶ。
と、そこへ大型トラックの運転手が駆け寄ってきて。
「嬢ちゃん何やってんだ!? 救急車は呼んだからそっとしといた方が……」
「うっさいっす! 今手を離したらこの人亡くなっちゃうっす!!」
戻れ戻れ、と。
行くな行くな、と。
ブツブツと独り言をつぶやき続ける彼女の手が震え始めた頃、
「ガハッ!? ゲホッ! ゴホッ!」
と大きく咳き込んだのは今まで身動き一つせずに周りが諦め始めた被害者で。
トラックの運転手が驚いて癒山に問いかける。
「お嬢ちゃん何者だ? 天使か女神か?」
「どうーでもいいっす。一応死なない程度までは回復したはずっす。後は救急車にお願いするっす」
その問いかけにまるで応じず、後は任せた。と去ろうとして。
「あぁ……。やっぱ来たっす。嫌っす、またあの感覚は……勘弁
何かにおびえる様に走ろうとした彼女はしかし、一歩目を踏み出す前に膝から地面に崩れ落ちて。
自らの肩を抱き、口から出したそれは。
「あああアアあああああアあああアああアあアアアあああアアっ!!??」
渡良瀬が彼女の口からは聞いた事も無い様な、慟哭だった。




