第3話 塔の上のバーバ・ヤーガ
ろくな障害もなく、ベラは最上階へたどり着いた。
部屋は広く、ダンスパーティが開けるほどである。そこにひとりの女性が立っていた。
少し赤みがかかった金髪の長髪で、17歳ほどである。顔の造作は不揃いで、鼻がやや長過ぎ、口幅がかなり大きく、顎の形は整っていた。青い目が印象的である。
白いドレスを身にまとっており、手にはヴァイオリンを持っていた。
「うふふふふ、ニコライお父様のお客様ですかぁ? 本日は私の演奏を聴きに来ていただきありがとうございまぁす。今日はわたくしがお転婆でないことを、アレクサンドリアお母様にも証明させていただきますわぁ」
女性は頭を下げた。最上階にいたから彼女はバーバ・ヤーガなのだろう。
バーバ・ヤーガはまるで周りに人がいるようにふるまっている。
視線はきょろきょろ動いており、首の動きもどこか人形のようにぎこちない。
「あんたが、バーバ・ヤーガッスか? 自分はベラというッス」
「今日の演奏はくるみ割り人形でございます。存分に堪能してくださいませ」
「いや、名前を教えてほしいッス」
「ああ、くるみ割り人形とはチャイコフスキーの作曲した三代バレエのひとつですわ」
まったく話がかみ合わない。バーバ・ヤーガはベラなど見ていないようだ。
腹話術人形のように、誰かに操作されているような感じがする。
ベラはため息をつくと、いきなりバーバ・ヤーガは目を見開いた。
背中を向け、背中を弓のように曲げて、ベラを睨みつけたのだ。
「……!? あなたまさか、もしかしてチェーカー!? わたくしたち家族を皆殺しに来たのですのね!! 許せません、許せませんわ!!」
するとバーバ・ヤーガは狂ったようにヴァイオリンを演奏しだした。
足元から冷気が発生する。氷がベラを襲うが、彼女はギターをかき鳴らし、音のバリアを作った。
だがバリアは破れ、足元とマントが凍り付く。キラキラと光っており、ガラスのようにもろくなっている。
ベラはすぐに脱出した。ギターは無事である。
ベラの中身は銀髪に赤い目を持つ、美人である。だが死人なので顔つきは硬い。人形のようであった。
胸は小さく、手足は長い。均整の取れた体つきであった。
下着は身に着けておらず、素っ裸の状態である。
「ふぅ、危ないッス。服はどうでもいいけど、ギターだけは替えがきかないッスからね」
ベラはクラシックギターに頬ずりしていた。しかしバーバ・ヤーガは無視して演奏を続ける。
力強く、くるみ割り人形を演奏している。ベラ自身がバレエを舞っているように思えた。
もっともそれは命懸けの踊りだ。氷は蛇のように迫ってくる。
「うふふふふ!! わたくしの家族を害するものは許せませんわ! 臨時政府を名乗るたわけものに殺されるとは思わないことですわ!! ラスプーチンのように簡単に暗殺されるほど甘くはないですわ!!」
「さっきから何を言ってるッスか。わけわからんす!」
バーバ・ヤーガは狂ったように演奏を繰り返す。彼女の目にはベラが映っていない。ひたすら冷気を生み出し、げらげら笑っていた。
ベラは赤い瞳で彼女を睨みつける。そしてギターを手にする。
演奏するのは、ロシア民謡の『カチューシャ』だ。
こちらも力強い演奏を披露する。バーバ・ヤーガはまったく聴いていない。自分の曲に夢中なのだ。
ベラの身体を氷で包んでいく。
ベラはさらに演奏を続けると、音の爆弾はバーバ・ヤーガの身体を蝕む。最後は頭が爆発して終わった。
「ふう、終わったッス」
ベラは演奏をやめた。バーバ・ヤーガは頭を吹き飛ばされ、首なし死体になっている。
そのまま後ろに倒れるかと思いきや、足を踏ん張ると、またヴァイオリンを弾きだしたのだ。
すると首元から煙が上がる。彼女の骨と筋肉、皮膚が見る見るうちに再生されたのだ。
これにはベラも驚いた。
ベラはギターを構えるが、戦うことはなかった。なぜなら突如部屋に闖入者が現れたのである。
バーバ・ヤーガは石の棺に閉じ込められた。中は狭いようで身動きが取れず、ヴァイオリンも演奏できない。
彼女は完全に封印されたのである。
「ふぅ、ようやく封印することができたわ」
それは異形の怪物であった。巨大な人間の顔にあごの下は大蛇の身体がとぐろを巻いているのである。
青白い表情に爬虫類を思わせるするどい目つき、とんがった鼻に三日月のような口に紫色のクリームが塗られていた。
額には黒いどくろの刺青があった。怪物の名前はネクロヘッド。ラブたちのボスである。
「ありゃりゃ、ネクロヘッドじゃねーッスか。おいッス」
「はい、おいッス。ひさしぶりね、ベラ。というかなぜあたくしがここにいるのか尋ねないのかしら?」
ネクロヘッドの声は男だが、中性的なしゃべり方をしていた。中世では認められないだろう。
ベラとも顔見知りのようである。顔が大きいだけに、顔も広いようだ。
「そういえば、そうっすね。偶然じゃないッスか?」
「こんな辺鄙なところに、偶然もないでしょうが。すべてはあなたを利用させてもらったのよ」
ネクロヘッドの言葉は次のようなものだった。
バーバ・ヤーガの生前はロシア大公女で、家族ともども虐殺されたという。
遺体はエカテリンブルグの森に一緒に捨てられていたそうだ。それ以前だと彼女が生存していたという話でもちきりだったらしい。映画にもなったそうだ。
それ故にキノコ戦争が始まる前から、彼女は放浪していたという。しかし人を恐れた彼女は決して人里に下りることはなかった。
人々の噂が神応石に反応した結果である。キノコ戦争がはじまり、一度はキノコの熱に焼かれたが、すぐに再生したという。
百数年前、エビルヘッドが一度ロシアに赴き、彼女と出会った。バーバ・ヤーガはエビルヘッドをチェーカー、彼女を殺した秘密警察と錯覚し、攻撃してきたのである。
当時から冷気を武器にしていたが、彼女は狂っていた。まともな言葉は耳に入らず、ひたすら冷気をまき散らすのである。
神応石を持ってしても、彼女のような能力を持つ者はいない。精々体の一部を強化する力だけだ。
舌を槍にしたり、歯を銃弾のように吐き出したり、唇を震わせて超音波を出したりが関の山である。
バーバ・ヤーガの場合、超越した能力のせいで、頭がおかしくなったのかもしれない。
エビルヘッドは彼女を封じた。それがこの塔である。ソフィアたちは最近作られたと思っているが、実際はネクロヘッドがゴーストヘッドを利用して、隠していたのだ。
ところがバーバ・ヤーガが復活した。まだ外を出るつもりはないが、いずれは出てしまう。
そうなる前になんとかしたい。そこにベラが現れたというわけだ。
「なるほどっす。しかしこの人は何がしたいんすかね? 演奏会を開きたいなら、村に行けばいいのに」
「彼女は、家族を探しているのよ。それ以外は興味がないみたいね。下手に近づけばビッグヘッドでも客人と思い込むくらいだからね」
この塔はバーバ・ヤーガを守るためではなく、他者を彼女から守るためだったのだ。
だから塔に近づく者には無関心で、内部に向けた罠があったのである。
「いつの日か彼女の両親が見つかるといいわね。もっともそんな日が来るとは思えないけど……」
ネクロヘッドはしみじみとつぶやいた。
「じゃあ、お父さんお母さんにふさわしい人を見たら、ここを勧めるッス」
ベラがそう言った。ネクロヘッドはそううまくいくかしらと否定的だ。
「それはそうと、下着くらい身につけなさい。いくら不死人とはいえ、みっともないわよ」
そう言ってネクロヘッドは口から袋を取り出した。そこから黒い下着を出す。
「えー、面倒臭いッス。いやッス」
ベラは拒否したが、ネクロヘッドにあれよあれよと着せ替えられた。
黒い下着は透けており、秀悦なデザインであった。
「エビルヘッド教団の信者が作った物よ。わたしじゃ着れないから、あなたが付けてちょうだい。替えの下着もあるから」
しかし着替えは持っていなかった。なぜ下着だけ持っていたのか謎である。
結局着替えはウラル村まで行かねばならなかった。