第2話 ベラ 塔へ潜入する
ベラが何者かは知らない。いつの間にか吸血鬼女王と呼ばれるようになったが、自分は渡り鳥のベラという通り名がいい。
そもそも吸血鬼というのは、イギリスの作家、ブラム・ストーカーの小説、吸血鬼ドラキュラが元ネタだ。
そのモデルは15世紀のワラキア公ヴラド三世である。もっとも作者自身はヴラドのニックネームと出身地を借りただけだ。
ドラキュラの意味も、ルーマニア語で竜の息子というもので、血を吸うわけではない。
ヴラド三世は敵兵を串刺しにして周囲に飾ったという。その残酷性から敵には畏怖の大将とされたが、領民にとっては自分たちを敵の脅威から守ってくれる賢王として慕われたという。
次にアメリカのトッド・ブラウニング監督で、出演はベラ・ルゴシの作品が有名である。
ベラの名前は彼から取られているが、女吸血鬼なら、アイルランド人作家のシェリダン・レ・ファニュが発表したカーミラのほうがしっくりくるだろう。
ベラがクラシックギターを手にしたのはわからない。いつの間にか演奏が得意になったのである。
世界中を徒歩で旅し、そこの音楽を仕入れる。それが彼女の生き甲斐であった。
特にエビルヘッドは過去の音楽を再現してくれるし、オルデン大陸のフエゴ教団も箱舟から偉人たちのレコードを提供してくれたことがある。
本人は過去など気にせず、旅から旅を繰り返していた。
ニューエデンと呼ばれる大陸では、ボサノヴァやジャズを習い、オルデン大陸のレスレクシオン共和国ではタンゴなどを習った。ビートルズやクイーンといったグループサウンズも好きだ。
キノコ戦争のせいで文明は退化しても、音楽だけは、すたれていないのである。
音楽こそは世界の共通語であり、武器にもなるのだ。
「おっと、昔レスレクシオン共和国で出会った鉄人間、長い間会ってないッスね。ひさしぶりに会いたいッス」
ベラは独白した。鉄人間、アイアンメイデンの女性から教わった柔らかく、暖かい曲が耳にへばりついて離れない。
ジャズやボサノバ、ラグタイムのように洗練されてはいないが、関係ないのだ。
音楽とは人の心をひきつける。それだけでいいのである。
ベラは丸一日歩いているが、疲労感はない。彼女は死体なのだ。暖かいところはだめではないが、あまり長居はしたくない。
人と出会えばすぐに覚える。まるで写真を撮影するように相手の顔ははっきりと覚えるのだ。
音楽も数えきれないほど覚えていた。だが世間の事はあまり興味がない。それに顔を覚えても再会するのは数十年なので、まったく意味がなかった。
さてベラは平原を歩いていた。雪が降っていてわからないが、かつては人の住んでいた場所である。キノコ戦争の時代、ビッグヘッドたちが汚染された土地と残骸を喰らいつくしたのだ。
「うーがー」
すると地面がいきなり盛り上がる。それはゾンビヘッドであった。焼けただれた顔に、歯茎をむき出しにしている。
実際はジャイアント・ホグウィードの遺伝子を持っているだけだ。
ジャイアント・ホグウィードはセリ科の多年生植物である。
その樹液が人間に触れ、それが日光に当てられると、炎症や失明を起こす。危険な植物なのだ。
もっともベラの皮膚は死体なので、反応はしないが。
ゾンビヘッドは他のビッグヘッドと違い、動きは鈍い。だが数が多く、脅威となるのだ。
しかしベラは慌てない。ギターを構え、音を鳴らす。
周囲には場違いな音楽が鳴らされている。するとゾンビヘッドたちはぶるぶると震えだした。
次にどかんと爆発する。粉々に砕け散った後、ゾンビヘッドは元のジャイアント・ホグウィードに変化したが、寒い平原では長くはもたないだろう。
「前に見たときは、マンチニールだったッスけど、こちらは違うみたいッスね」
マンチニールは触れると炎症する毒の木である。おそらく様々な木を利用して、ゾンビヘッドを作っているのだろう。
するとベラの背後に別のゾンビヘッドが現れた。そいつらは三体ほど乗っかっており、いばらを身にまとっている。さらに数メートルほど離れ、相手を逃がさないように囲んでいるのだ。
ふとベラは首を傾げた。なぜこいつらは自分の前に現れなかったのかと。
「きっと頭がよくないッスね」
すぐに首を振り、塔へ向かっていく。
☆
ベラは塔を目指して歩いていた。ところがラブたちはベラが通った後に、いきなり出てきたのだ。
自分の邪魔をせず、後からやってきた。
出て来るのはスカルヘッドだ。骸骨のようなビッグヘッドである。
こちらはシラカバの遺伝子を持っており、寒冷地でも平気なのだ。
身軽なのか、ゾンビヘッドより動きが軽い。たったったと雪原を器用に走ってくる。
スカルヘッドがベラに飛びかかろうとした瞬間、ベラはギターをかき鳴らす。
その瞬間、ベラの周りに音の壁が生まれた。
スカルヘッドは弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。最後はシラカバへ変化した。
他にもスカルヘッドたちが出てきたが、がっちりとスクラムを組んでいる。
塔へ向かうベラを無視して、じっと待機していた。
「奇妙な性質ッス。これがオルデン大陸なら、笑いながら人を食べていたッス」
さらに歩みを進めると、遠くから地響きが聴こえる。ベラはちらっと音の方を向いた。
それは巨人であった。近くに行けば人間の死体がいくつか組み合わさった物だと分かる。
ソフィアが言っていたスキターリェツとはこの事である。スキターリェツとはロシア語で放浪者という意味だ。
キノコ戦争の時に、胞子の毒で死んだ者たちである。彼らは理不尽に死を迎えたことが理解できなかった。それ故に死体が数百体集まり、巨人の形を作ったのである。
ベラはよくわからない。あいつらを作ったのはビッグヘッドの神、エビルヘッドではないかと言われているが、それは違う。
なぜわかるのかといえば、昔本人から聞いたからだ。
人の脳には神応石という砂粒ほどの大きさの石がある。
それは感情に反応するもので、本人のみならず、他者の感情にも反応するのだ。
スキターリェツは巨人となり、永久凍土を歩き回る。自分たちの身体を腐らせないためだ。
百数年も歩いているため、すでに足はすり減っている。それでも歩みを止めることはない。
永遠に彼らは放浪者として、自分の身体が擦り切れるまで歩き続けるのである。
「ただ歩くだけで何が楽しいッスかね。自分みたいに音楽を探すこともしないんスかね?」
ベラは気にも留めず、すぐに塔へ向かった。塔は石造りの無骨な造りである。
なんとなくロシアのクレムリに似ていると思った。ロシア語で要塞という意味があり、塔は敵から守っているように見えたのだ。
周囲にはバリケードが敷かれてあるが、なぜか外部より、内部に向けて設置されていた。
さて塔の中に入ると、むき出しの石がお出迎えである。真っ暗で何も見えない。空気が冷たく、ネズミや虫などの気配も感じない、生命に拒否された場所に思えた。
塔の内部にはゴーストヘッドが出てきた。不気味な顔が宙を浮いており、ぶぅんぶぅんと不快な音を出している。
これらは本物の幽霊ではない。蚊ほどの大きさのビッグヘッド、ミクロヘッドたちの群体である。
それらが数体、塔の中をさまよっていた。試しにギターを弾くと、内部は反響し、ゴーストヘッドたちは怯えて逃げ出した。
途中で甲冑や着ぐるみが置かれてある。おそらくゴーストヘッドが中に入って操作するのだろう。
ところがベラが通り過ぎても無視している。
逆に道を戻ろうとしたら、襲ってきた。甲冑の中に入り、がしゃんがしゃんと、迫ってくるのである。
さらに着ぐるみはいきなりブリッジしたと思ったら、がさがさと虫のように這うように襲ってきたのだ。
もちろんベラは音で撃破した。入れ物を破壊することで、ゴーストヘッドは逃げ出すのである。
「まったく侵入者を防ぐには、甘い警備ッス。ここの主人は何を考えているッスかね?」
ベラは首を傾げるが、歩みを止めることはなかった。




