第1話 渡り鳥のベラ登場
新連載です。オルデンサーガの流れをくむ作品で、ブラッドメイデンを読めば、楽しめます。
「あーれー! 助けて―!!」
絹を裂くような若い女の声が響く。周りは雪一面で、森の木も凍っており、キラキラと光っている。
木は何千年も過ぎているような、塔のような大きさが多かった。
まるで巨人に囲まれているような錯覚を覚える。
さて声の主を探してみると、相手は人であった。だが全身白い毛に覆われている。
顔は褐色で、まるでゴリラのような印象を受けた。
胸が大きく膨らんでおり、尻も大きいので女性だと分かる。
その右腕には小さな子供を抱えていた。彼女と同類だ。
彼女は何から逃げているのか。それは白い巨大な犬であった。そいつらは二本足で歩いている。
レーシーと呼ばれる怪物だ。スラブ神話では森の精霊と呼ばれているが、こちらは事情が違う。
彼らは野犬であった。それがキノコ戦争時に、胞子の毒によって多くが死に絶えた。その中で生き延びた者が巨大化し、人間と同じ知能を持って、二足歩行に変化したものだ。
もっとも知能は原始時代のように打製石器を扱い、毛皮をまとっている。
ちなみに追われているのは、ジェド・マロースという人間だ。
こちらもスラブ神話に出てくる精霊である。ただし名前だけもらっただけだ。
その手に持つ打製石器は血にまみれていた。おそらく哀れな犠牲者によってつけられたものだろう。
それはジェド・マロースの女性たちの身内のものかもしれない。
「ああっ!!」
女性は豪快に転んだ。大の字になって、真っ白な絨毯の如き、雪原に倒れる。
レーシーたちはそんな彼女を取り囲む。言葉は発しない。口元を醜く歪め、よだれをたらしている。
目はらんらんと光っており、獲物を狩って楽しむ狩人の目であった。
「ママァ……。こわいよぉ……」
子供はぎゅっと女性に抱きつく。女性は母親なのだ。彼女も我が子をぎゅっと抱いている。
「……こわくない。ええ、こわくなんかないわ!!」
女性は声を震わせながら、大声を上げる。それはこけおどしにすぎず、却ってレーシーたちの嗜虐心を湧き立てたに過ぎない。
レーシーたちはにやにや笑いながら、手にした打製石器を、子どもの頭に突き刺そうとした。
「待つっす」
そこに場違いなほど明るい声がかかった。それは薄汚れた黒いマントにゴーグルに防塵マスクを付けた人間だ。皮手袋にウエスタンブーツを履いている。
しかもこの世界ではアーティファクト扱いされるクラシックギターを手にしていた。
レーシーたちは闖入者をちらりと見た。その表情は怒りに浮かんでいる。せっかく獲物をなぶり殺しにして楽しむつもりだったのだ。気持ちのいい雰囲気をぶち壊しにされて、ひどく不機嫌である。
彼らは一斉にギターを持つ人間に襲い掛かった。相手はまったくあわてず、手にしたクラシックギターの弦を鳴らす。
それはタンゴであった。タンゴとは19世紀後半にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで起こった、4分の2拍子系のダンス音楽だ。また、それに合わせて踊るダンスでもある。
キノコ戦争以前ではスペインで流行していた。
踊る相手もいないのに、タンゴを弾く。いったいどんな意味があるのだろうか。
それはすぐに理解できた。
レーシーたちの動きが止まる。まるで彫像のように固まったのだ。
そして互いに向き合い、打席石器で殺し合いを始めたのである。
それこそタンゴを踊るように、殺しあう姿は、悪夢と言えた。
数分もしないうちにレーシーたちは自ら命を絶たされたのである。
残るは無残な死骸だけであった。ジェド・マロースの女性は惨事に驚いたが、すぐギターを持つ人間にお礼を言う。
「ありがとうございます。私はウラル村のソフィアです。この子は私の息子アルチョムです」
アルチョムは頭を下げる。勢いが過ぎて、思わず前のめりに倒れてしまった。
ソフィアは慌てて起こす。アルチョムは顔についた雪を払った。
「自分はベラッス」
最初はくぐもった声だが、マスクを外すとはっきり女性だと分かる。
まるで体育会系のしゃべりだが、ソフィアは気にしなかった。方言だと思ったからだ。
「ベラ……、ですか? もしやあなたさまは渡り鳥のベラさまなのですか? そういえばいつもギターを持っていると話に聞きました!」
「そうッス。人からよく渡り鳥と呼ばれるッス」
ソフィアはお礼にと、村へ案内した。
村は丸太小屋がほとんどだった。イズバという名前で農村部では有名な造りである。
ここは不死王国と呼ばれていた。治めているのはエビルヘッドのしもべ、ネクロヘッドだ。
ネクロヘッドは巨大な頭に蛇の胴体がとぐろをまく姿をしている。青白い肌で、氷よりも冷たいと言われていた。
ラブと呼ばれるビッグヘッドを使役しているという。それも死人のように不気味な存在だというのだ。
ゾンビにスケルトン、ゴーストなど、アンデッド系のビッグヘッドを生み出し、奴隷として、働かせているという。
ただしネクロヘッドは人々の生活に干渉しない。単に同じ村の人間同士の結婚を認めないだけだ。
生贄をよこせば、道を作り、治水やがけ崩れを処理する。それも喰われるわけではなく、モスクワという地域に連れて行かれ、エビルヘッド教団の支部で働いているそうだ。
ソフィアが説明したが、ベラはつい最近までそこにいたから知っている。
ソフィアは自分の家に案内する。他の家より若干大きい程度だ。彼女は村長の妻だという。
しかし肝心の夫はベッドで寝込んでいた。なんでもレーシーたちと戦い、ケガをしたそうだ。
ベッドから抜け出せないことを嘆いていたが、ベラは気にしなかった。
案内されたのは応接間だ。木製のテーブルと椅子が並んでいる。レンガ造りの暖炉は薪がくべられており、パチパチと燃えていた。
「まずはごちそうさせてください。ボルシチにピロシキ、ウォッカもございます」
しかしベラは固辞した。自分は人の食事をとらないのである。代わりに家畜を一匹ほしいと願い出た。
ソフィアはアルチョムに命じて、家畜小屋から大きなウサギを抱きかかえてきた。元は普通のアナウサギだったが、巨大化したのだ。
ベラはウサギの頭に触れると、見る見るうちにウサギは干からびた。からんと倒れてしまう。
あっという間にウサギはミイラと化したのだ。それを見てアルチョムは泣き出し、部屋を出て行った。
母親はまったく動じない。この程度では驚愕するのに値しないからだ。
「これが吸血鬼女王の力……。あなた様ならわたしたちの悩み事を解決してくれるかもしれません」
そう言ってソフィアは説明を始めた。
「最近は村の南方に塔ができました。そこには魔女が住んでおり、ラブたちを使役しているのです」
それは石造りの塔で、周囲はラブたちでいっぱいになったという。ソフィアがレーシーに襲われたのは、塔のせいで住処を追われたとのことだ。
ソフィアとアルチョムは村の女性たちと一緒に、森の中にある花を取りに行ったのだ。4人ほど犠牲になり、先ほど村の男たちが回収しに行った。
「ベラさま、お願いがございます。どうか塔に住むバーバ・ヤーガを倒してください。村長の代理としてお願いいたします」
ソフィアは頭を下げた。
「わかったっす。どうせ急ぐ旅でもないッス」
ベラは快く承諾してくれた。ソフィアは破顔する。
「ありがとうございます。塔はかつてロシアと呼ばれた時代、エカテリンブルグというところにあります。そこにはラブだけでなく、スキターリェツも通っておりますので、気を付けてください」
こうしてベラは旅立つのであった。ちなみに干からびたウサギは解体し、皮を剥ぎ、干し肉になったので無駄にはならなかった。