一章 第二話『孫娘』
森日名子は森楓と森久子の長女であり、今年、東京都港区三田にある私立藍葉ノ森学園中等部一年に入学したばかりである。
森楓の一家は森家宗家の一家であるが、宗家の菊介とは異なり、東京都港区南麻布に居を構えている。
日名子にとって祖父の菊介は怖い存在である。宗家として森財閥を世界的企業に成長させた人物であり尊敬できる人物だが、同時に、男尊女卑の考えが強く、三つ年下の弟である菖蒲に席を譲るように怒られた事が何度もあった。
菖蒲は菖蒲で、名前の事をひどく気にしていた。藍葉ノ森学園は幼稚園にあたる幼年部から大学院までの学科学部がすべてそろっている大規模私立学園であるが、ここのところ菖蒲の名前が花の名前であったことが同級生に揶揄われているそうである。
名前を決めたのは祖父で、その名前は森家宗家を継ぐことを意味している。しかし、小学生にはその理由は理解できない。そして、花の名前は女性に多い名前であるため、菖蒲が揶揄われる原因となっているわけである。
日名子にとっても可愛い弟が揶揄われるのはあまり面白いことではない。それに先祖伝来の命名法とはいえ弟がそんな名前を付けられたことに反発を感じていた。
日名子は長い髪をしており、目がくりっとしているところが可愛いと同級生によく言われている。もちろん上流社会の子女が通う学校であるから直接的な言い方をするのはごく近い者同士があつまったときぐらいである。
日名子の友人関係はものの見事に北陸に地縁がある家の子女か、森財閥の関連企業の子女に限られてしまっている。それというのも他の子女は森家のことをあまりいいように扱ってはくれない。理由はなかなか教えてもらえないが、とにかく何かあるらしいのだ。
しかし、その何かを直接聞くことは上流社会の子女にとってタブーにあたる。そんなこともわからないのかという態度をとられるのが関の山である。
そんな状況に最近日名子はもやもやしていて底知れぬ不安を感じていた。
その日の朝、日名子はいつものように女中の笠原秀子に見送られて、運転手の笹田の運転するクラウン・マジェスタに乗り込んだ。
いつも日名子は自動車で送り迎えされているえわけだが、この日は少し様子が違った。
自宅を出発してしばらくしたところで横から二十代くらいの女性が飛び出してきたのだ。幸いブレーキが間に合ったので何事もなかったが、その女性に笹田はさすがに怒っていた。ドアから降りて怒鳴った。
「一体どういうおつもりですか!あんな場所から飛び出して!!」
しかし、女性はこたえない。そして自動車の奥に座る日名子をみるといい捨てるように言った。
「同じ森家でも総本家のお嬢様はいい生活ね・・・・・。」
その言葉に笹田は眉をしかめた。
「森家の方なら示すべき礼儀というものがあるでしょう。どこの分家の方かしりませんが、このような事をされると困ります。」
「私を辻の部下にさせて、壊し屋なんかやらせている奴がどんな生活をしているかみにきてやっただけよ。」
「名前を!」
「あんたたちなんかに名乗る名前はないわ!」
そういうと狭い路地を女性は走り去っていった。
笹田は難しい顔をした。
「お騒がせしました。お嬢様を学校にお連れ次第、報告させていただきます。」
日名子はあまりのことに呆然としていた。
「先ほどの方は森家だと名乗っていらっしゃいましたが・・・・・。」
「おそらく分家筋の方でしょう。ですが、森家のなかにも上下の別がございます。同じ森家とは思わないことが肝要でございます。」
(上下の別・・・・家格で区別している上に、その家の中まで区別するって本当によいことなのかしら・・。)
心の中で日名子はそう思ったが口には出さなかった。
学校前につくと、日名子は自動車を降りて、礼をとる笹田を後ろに校門へ急いだ。