ユライデ強襲・奴隷の少女
初投稿になります。
文字数が多くなってしまいましたが、宜しければお付き合いください。
ガタガタと言う振動と柔らかな日差しに誘われて訪れた眠気を、小さく息を吐いて追い出す。
土を踏み固めただけの簡素な街道が走る森はかなりの深さだが、春先や夏場ならともかく、秋も深まり冬の訪れを告げるこの季節では静かなものだ。
恐らく、後暫くの時を置けば木々もその葉を落し、純白の雪化粧に覆われるのだろう。
バタール地方・エキンガム周辺と言えば、このウッズオール大陸の中でも屈指の豪雪地帯だ。
標高3000m級の山々に囲まれたこの地は、一種の盆地に辺り周囲の山々から吹き下ろす冷たい風の影響もあって年間を通して気温がそう高くならない。
最も高くなる夏場でさえ、他の地方に比べ6~8℃程低く、最高気温も26~8℃と比較的過ごしやすい半面、冬場の冷え込みは他の地方の比ではなく、氷点下の日々が続く事になる。
――最も、そんな環境だからこそ生息する魔物もいるのだが・・・。
内心で呟きつつ、俺――エンシェント・クライスは一度視線を自身が座る御者台から後ろへと移した。
生活スペースとの仕切りとして設けた壁板で見えないが、その奥にある貨物スペースには旅の必需品である水樽や食料を保管する木箱等と共に、数時間前に狩ったアイスベアの毛皮が置かれている。
水色の美しい毛並みが特徴的なこの熊種の魔獣は、冬眠前のこの時期に脂肪を蓄える為に食い溜めを行うので気性が荒くなる。
元来がランクA-の魔獣である事に加え、この時期のアイスベアは他の時期に比べて遥かに危険度が上がるのだが、同時に最も毛並みが美しくなるのもこの時期なのだ。
それと言うのも、夏季のアイスベアは濃灰色の毛色をしており、当然ながら毛足も短い。
アイスベアの毛皮の特色とも言える、毛足の長い水色の体毛は冬季特有のものなのである。
その危険度に比例して、冬季のアイスベアの毛皮は保温性と耐水性に優れるだけではなく、耐刃性も備えた優良素材として高値での取引がされる。
それだけではなく、この時期のアイスベアはその気性の荒さから危険性も高く、害獣として討伐優先度も高くなる。
元々、魔獣種として繁殖力も高いだけに、放置しておけば深刻な害意を齎す故だ。
俺の様な冒険者を生業とする人間には、色々な意味で美味しい獲物である。
とは言え、ランクA-は伊達や酔狂ではなく、生半可な冒険者達では金銭を得る糧にする所か、アイスベアに冬を越す為の貴重な脂肪として蓄えられてしまう事も少なくはないのだが・・・。
現在、俺の馬車の貨物スペースに積んであるアイスベアの毛皮はざっと20枚。
一枚当たり金貨5枚での引き取りと考えれば、今回の遠征だけでもかなりの儲けになったと言えた。
そんな事を考えながら馬車を走らせる事暫し、そろそろ森を抜けようかと言う辺りで馬車を引く二頭の馬が体を緊張させる。
その理由は俺にも直ぐに解った。
馬車の行く手数キロの地点から立ち昇る黒煙だ。
――・・・あの場所は、ユライデの村の辺りか。
黒煙の方向にある村を思い起こす同時に、俺は馬に鞭をくれ、速度を上げる。
同時に、左腰に吊るした水晶刀・レヴグロウを抜き放ち、言霊を解放。
「喚起・八属霊晶!」
レヴグロウを握る右手から魔力がレヴグロウ本体へと走り、透明な水晶の如き刀身を虹色に輝かせる。
刹那、刀身から放たれた8色の光は、八頭の狼として顕現する。
それを視線で確認する事もなく、それぞれが光・闇・火・風・水・土・樹・金の属性を持つ八狼へと俺は号令を下した。
「号令・守護法陣・・行け!」
号令一下、猛然とユライデの村に向けて駆け出す八狼を見送り、俺は二頭の馬を操っていく。
守護法陣。
晶喚者である俺が指定した守護対象を守護しつつ、外敵を排除する陣形である。
今回の守護対象者はユライデの村の人間であり、排除指定はそれに仇なす輩に設定した。
馬を急がせながら、ユライデの村に関する情報を思い起こす。
村自体はそう珍しいものではなく、僻地にある小村のそれでしかない。
人口自体もそう多くはなく、然したる特産品があるでもないしがない農村だ。
強いて言えば、周囲を囲う山間部に生息する魔獣目当ての冒険者が訪れる程度のものであり、行商人の往来もそう多くはない上、隣国であるガラージェからは国境沿いから幾つかの村や街を挟んでいる為、軍事的なものであるとは考えにくい。
更に言えば、火の手が挙がっている時点で魔獣に襲われたと言うのもないと考えて良い。
何故なら、魔獣の狙いは飽くまで食料となる家畜や住人であり、必要以上の破壊はしない上、この地方に生息する魔獣の大半が行使可能な魔法は氷系、数キロ先で確認できる程の黒煙が上がると言うのはあり得ないのだ。
黒煙と言う条件で合致するのは火炎系の魔法だが、魔獣の線で限定するのならば、それを行使可能なのは火山地方に住まう魔獣、もしくはリッチに代表されるハイ・アンデッド等だが、そのいずれもこの地方には生息はしていない。
そうなれば、残された可能性はただ一つ。
盗賊の類だ。
身持ちを崩して盗賊に身を窶す輩はいつの時代も少なくはないし、その手の輩にとってはユライデの様な僻村は恰好の獲物だ。
自衛力に乏しく、王都や大きな街からも距離がある為に援軍も期待できない。
金銭的な儲けこそ少ないが、食料を奪う事は可能な上、若い娘を浚って人買いに売れば金に換える事も出来る。
それ以外にも僻地故の条件で自分達の拠点として活用する事も出来る為だ。
そしてその何れの目的にせよ、村への被害は甚大だ。
前者であれば冬を越す為のなけなしの食糧全てを奪われる事に加え、年若い女と言う女が根こそぎ連れ去られるだろうし、後者であれば欲望をぶつける事に使える女以外は皆殺しと言うのが常である。
いずれにせよ、相当数の人数が略奪の名の元に命と未来を奪われる。
それは人道的にも、異世界に転移してしまったとは言え――CHAIN創立者兼初代総帥・阿鷺荒斗を兄と慕った文月戒として見過ごす事など許されない。
半年前にこの世界に転移して以来、エンシェント・クライスとして文月戒の名を名乗った事こそないが、それでも俺の本質はそれだ。
俺の育った施設の先輩であり、血の繋がらない俺を弟と呼んでくれたあの義兄の名に、泥を塗る事など出来はしない。
故に、一人でも多くの命を救う。
その想いを抱いて村へと駆け付けた俺を出迎えたのは、地獄へと変えられた風景だった。
簡素とは言え、情緒ある家々が立ち並び、幼い子供たちが駆け回っていた村は血に濡れた屍がそこかしこに転がり、打ち壊された家々から火の手が上がっている。
村の入り口で馬車を止め、御者台から飛び降りて駆け出す。
思念を通じて八狼の一体、金の属性を持つ晶狼に馬車の護りに着く様に命じると、村の中を走りぬける。
つい数日前に訪れた時とは余りに違う光景に、驚くよりも先にふつふつと怒りがこみ上げてくる。
冒険者に憧れる少年が居た。
『お兄ちゃんって冒険者なんでしょ!? 僕、冒険者になりたいんだ! 後何年かしたらお兄ちゃんが居る街に行くからさ! だからその時は僕にアドバイスしてよ!』
夢と希望に瞳を輝かせてそう語った少年は、首から下を瓦礫に埋もれさせて虚ろな瞳を空に向けている。
都会に出た息子を案じる老婆が居た。
『ここは見た通りなぁんにもないトコだからねぇ。王都に行って一花咲かすって出てっちまったのさ。出世も大事だろうけど、早いトコ嫁っ子貰って孫の一人も見せて欲しいトコなんだがねぇ』
王都の空へと遠い視線を投げてそう言った老婆は、袈裟に切られた背の傷を晒して道端に倒れ伏している。
滞在期間は僅か一日。
それでも、クォージュと言う『街』から来た俺が珍しかったのか、様々な人々が声を掛けてきた。
人付き合いが良いでもなく、然して面白い話が出来るでもない俺に、それでもこの村の人々は暖かく接してきてくれていたのだ。
それを――。
足を進める度に目に着く死骸と廃墟。
記憶にあるあののどかな光景と温かな人々をこの様に変えた輩への怒りが、どうしようもなくこみ上げる。
兄貴であれば、感情の高ぶりに反比例するかの様に思考が冷え込んでいくのだろうが、未熟な俺はと言えば体の芯から煮えくりかえりそうになっていたその時――
「なっ、何なんだよこの化け物どもっ!」
「ふざけんなっ! 誰だよっ、この村が簡単に人ぶっ殺せて女抱き放題だっつったの!?」
荒みきった気分を更に荒ませる汚い声と、俺が放った八狼の吠え声が廃墟と化した村に響き渡った。
駆け付けた俺が見たのは、傷つき、地に伏せた村の男達とそれを護る七体の晶狼。
そして晶狼に向かって武器を構え、罵声を上げる盗賊達だった。
~レラ~
特産品があるでもなく、国境に近い訳でもないユライデの村は貧しいながらも穏やかな毎日を送っていました。
山から時々下りてくる魔獣を除けば、特に危険がある訳でもなく、豊かになる事は望めませんが、それでも、日々を何とか過ごせる位には十分な収穫もあります。
ただ、そんな日々が退屈だったのでしょう。
男の子の中には成人を迎えると同時に村を出ていく人も居て、それだけが悩みの種ではありましたけど、それでも長閑で穏やかな日々が続いていたんです。
変わった事と言えば、数日前にアイスベア目当ての冒険者だと言う黒髪の男の人が来ただけでしょうか?
それにしたって、別に珍しいって程ではありません。
この時期になると、何人かはアイスベア目当ての冒険者が訪れる事はありますから、これだって、村で暮らす中での日常と言えます。
まぁ、そんな中でもあの人は結構目立っては居ましたけどね。
全身をすっぽりと隠す漆黒のマントを羽織り、それを脱いだら今度は女性が羨むような、珍しい真っ黒の長髪を首元で束ねた美青年、ですからね。
それだけでも色々噂になりそうなのに、ソロで活動してる冒険者ですから。
当然、人気にもなります。
エンシェント・クライスと名乗ったその人がユライデに滞在したのは僅か一日程度でしたが、その僅かな間にも沢山の人が押し寄せていたのを覚えています。
とは言え、それはある種の流行病。
話題の中心になった人が出て言ってしまえば、そこで終ってしまうものですから。
実際、エト――エンシェントさんが出発した時点で落ち着いてしまいましたしね。
そうなれば、後は穏やかな日常が過ぎ去るだけだったユライデの村が、唐突に騒がしくなりました。
理由は、盗賊の襲撃です。
突如鳴り響いた警鐘と「盗賊だ! 盗賊が攻めて来たぞ!」と言う大声。
そしてそれをかき消してしまう程の怒号と悲鳴、爆発音。
このユライデの村は大きな街から遠い小さな村ですから常駐軍は居ませんし、村の男の人達が作った自警団があるだけです。
自警団を纏める金物屋のゴルさんは昔、重戦士として冒険者パーティーの壁役を務めていたと言う経歴を持っていますが、それ以外の皆は定期的な訓練こそしてはいても戦闘職にすらついていない村人で、勿論戦闘経験なんてありません。
『分散していては護りきれない』と言う理由から、時折現れる魔獣に備えて作られた『警鐘がなった場合、戦闘の出来ない者は教会に集まる事』と言う決まりですから、私は大急ぎで教会へ逃げ込みます。
15歳の成人を間近に控えたとは言え、薬師見習いでしかない私に出来た事と言えば、自分の体を抱きしめながら月の女神レアイラート様に祈る事だけでした。
そのまま、どれだけ時間が経ったでしょうか?
戦闘の音以外は自警団の皆の悲鳴とそれを楽しんでいる様な盗賊の罵声だけが響いていたのが、ある時変わりました。
「なっ、何なんだよこの化け物どもっ!」
「ふざけんなっ! 誰だよっ、この村が簡単に人ぶっ殺せて女抱き放題だっつったの!?」
理由は解りませんが、今まで必死に抵抗する自警団の皆を嘲笑っていた盗賊達が、何かに脅えた様な叫び声を上げているんです。
そして次に聞こえてきたのは、お腹の底にまで響き渡る様な澄み切った狼の吠え声と、痛みと恐怖に染まった盗賊の悲鳴。
それさえもやがて聞こえなくなり、シンと静まり返り――
ギィッ、と音を立てて教会の扉が開きました。
そこに立っていたのは――
「済まない、駆け付けるのが遅れたな・・」
抜き身の――水晶の様に煌めく透明な剣を携えた、黒髪の青年。
数日前に村を訪れた冒険者、エトさんでした。
~エト~
襲撃から一夜明け、俺は何とか破壊を免れた宿の一室で一人の老人と対面していた。
「この度は本当にありがとう御座いました。村を代表してお礼を言わせて頂きます」
そう言って深々と頭を下げる老人――このユライデ村の村長であるトワン老に首を横に振って答える。
「いや・・全員を救えたなら兎も角、犠牲が出てしまっているからな。礼を受ける訳にはいかんさ」
もしもの仮定等無意味に過ぎるが、もう少し早く駆け付ける事が出来ていれば、犠牲者を減らす事も出来た筈だと思うと、どうにもやり切れないものがある。
「だとしても、です。貴方様が駆け付けて下すった御蔭で、助かった者も多い。あのまま貴方様が来て下さらなければ、私や村の男達は皆殺され、女達は辱しめられていた事でしょう。貴方は、それを防いで下さった。それだけでも感謝してもし足りませぬ」
そう言うトワン老だが、こちらもやはりやり切れない思いはあるのだろう。
窓から見える、犠牲者の亡骸を運ぶ若者達を悲しげに見つめていた。
犠牲になった村人達の亡骸は一端教会に集められ、後日火葬すると言う。
中世ヨーロッパを彷彿とさせるこの世界で、土葬ではなく火葬が一般的なのには理由があり、その中でも最も大きな理由が死体のアンデッド化を防ぐ為である。
元の世界と違い、強弱の差こそあれ全ての生命が魔力を持つこの世界では、大きな問題なのだ。
恨みを抱いて死んだ亡骸を放置すると、亡骸に残された魔力が変異を起こし、生前の記憶や人格を失った状態で肉体を蘇生させる事がある。
最も、厳密な意味での蘇生ではなく、死体は死体のまま、所謂リビングデッドとなるのだ。
こうなってしまうと、生者への恨みと満たされる事のない飢餓感に突き動かされるままに行動を開始する事になる。
死体故に痛覚も恐怖もなく、肉体が完全に破壊しつくされるまで止まる事のないリビングデッドは、敵対する側としては厄介極りない上、その肉体の生前を知る者にとってはかつての友や家族へ武器を向け、かつての面影の残る肉体を破壊し尽くさなければならないと言うのは避けたい所だろう。
更に言えば、アンデッド=不浄の存在と言うのはこの世界でも共通の認識であり、かつての友や家族を不浄の身に貶める事を厭うのは当然と言えた。
暫し無言の時が過ぎた後、トワン老は瞑目し大きく息を吐く。
そして俺へと再び向けられた瞳にはやはり悲しげな色が浮かんでいたが、それでもハッキリとした口調で続けた。
「村の恩人であるエト様には、相応のお礼を差し上げるのが礼儀なのですが・・・このユライデの村は元々貧しい事に加え、今回の件もあって十分な謝礼を払う事が出来ないのです」
確かにそうだろう。
元が寒村である事に加え、今回の襲撃では殺された者だけではなく破壊された建物も多い。
不幸中の幸いと言うか、食料を蓄えた倉が無事だった事と、何とか過半数の人間が救えた事で何とか復興自体は可能だろうが、その為には当然ながら金が居る。
増して、襲撃の犠牲となって親を失った子供や、怪我の療養の為に当分の間床に伏す事を強いられる者も少なくない。
それらを考慮すれば、恩人とは言え俺に金銭を渡せる程の余裕はないだろう。
それは別に構わない。
元々それを目的に動いた訳ではないのだ。
俺がそう言うと、トワン老は再び頭を下げて礼を述べた後、「それでも、」と続けた。
「ユライデは見ての通りの寒村です。だからこそ、私達は恩義には礼を尽くさねばならないのですよ。そうでなければ、この様な寒村に力を貸し与えてくる者達が居なくなってしまいます。礼を尽くし、恩義に報いるからこそ、助けの手を伸ばしてくれる者がいるのです。私達はそうやって近くの村や、時折訪れる冒険者の方々と生きて来たのですから」
そう語るトワン老の目には確固たる決意が見て取れる。
――・・これは何を行っても無駄、か。
内心で呟き、小さく嘆息する。
トワン老が言っている事も解らなくはないのだ。
恩義に対して確りと報いるからこそ、貧しい村通しで協力しあう事が出来ている。
これは確かな事であり、今回の様に理由はどうあれ、例外を作る事はある意味で害悪になってしまう可能性があるのも確かだ。
『村を救って貰いながら、何の礼もしなかった』と言う噂が伝わってしまえば、それが理由で協力関係が破綻しかねない、と言いたいのだろう。
そしてそれは裕福ではない寒村だからこそ、顕著に表れるのだ。
例えばユライデの村が近くの村に食料の援助を申し込んだ際、近隣の村々がそれに応じてくれるのは、逆の立場になった際には受け入れて貰えると言う信頼があるからに他ならない。
無論、自分達の村が生き残る為に必要な量は確保しなければならないのだから、それは僅かな物でしかないのかも知れないが、それでも貧しい中での精一杯と納得できるだろう。
これもまた、信頼が生み出すものであり、俺への例外はそれを崩してしまう事に繋がる。
寒村であるが故に、近隣との繋がりを大切にする事で生き延びてきたユライデの村としては、それだけは避けたい所だろう。
トワン老は俺の様子から、納得して貰えたと判断したのだろう。
小さく頷くと、パンパンと手を叩く。
それに答える様に開かれた扉から入って来たのは、一人の少女だった。
村娘にしては器量も良く、背の中ほどまで伸びた真青な髪に飾られた顔立ちは十分に可愛らしいと言える。
年の頃は14~5、と言った所だろうか?
木綿製らしい簡素な衣服を身に付けた肢体は、華奢ではあるが年相応の発育を見せている。
その少女は緊張した面持ちで俺へと歩み寄ると、静々と頭を下げた。
「レラ、と申します」
そう言って真っ直ぐ俺を見つめてくる少女――レラに続く様に、トワン老が言葉を続けた。
「今回、エト様にはこの娘を奴隷として差し出す事にさせて頂きました。見ての通り、このユライデの村では一、二を争う器量良しですので、クォージュに戻られた際に奴隷商に売却すればそれなりの額になる筈です。本人もそれを了承しておりますので、エト様が奴隷を持たない主義だと言うのであれば、そうなされても結構です」
・・・成程、こう来たか。
払えるだけの金銭がない以上は、それに代わる物を。
クォージュに拠点を構える俺が相手である以上、食料の類は余り意味をなさず、特産品がある訳でもない以上、それらで代替えする事も出来ない。
そうして残されたのが、『人』と言う事だ。
確かにこの世界では奴隷制度が認められており、貧しさから身売りする者も決して少なくはない。
地球の歴史に置けるアパルトヘイト政策に代表される、白人種が黒人種に対して行ったものとは異なり、この世界での奴隷制度と言うのはある種の救済策とも言える。
国に支払う税金が支払えない、不作による口減らし、と理由は様々だが、そう言った理由から奴隷になった者は、主に買われる事で最低限の衣食住を保証される事になる。
また、奴隷だからと言って何をしても許される訳ではなく、税を納めている市民に比べて制限はあるものの、人権的な保障もなされている為、性的、肉体的なものを問わず虐待を行えばその時点で罪人として扱われる。
無論、女性が奴隷として所持される以上、性的な接触が一切行われないと言う事は考え難い故、主、奴隷間での性的行為は法の上でも認められているし、奴隷の身分になる時点で女性の側もそれを受け入れなければならない。
これは奴隷となる人物が男性であっても変わらない。
受け入れずに拒否する事も出来ないではないが、その場合は奴隷としての区分が変わり、制限が増加する事になる。
奴隷の区分と言うのは犯罪奴隷、通常奴隷の二つに大きく分けられる。
前者である犯罪奴隷は文字通り、刑罰『奴隷刑』を執行された犯罪者がなるものであり、行動に課せられる制限は多岐に渡る。
主人を始め他者に害意を加える事は当然として、基本的に命令に対する拒否権を持たず、労働の種類に関わらず賃金は支払われない。
衣食住にも制限は存在し、酒を始めとする嗜好品の類は禁止であり、生命維持に必要な栄養以外は取る事が出来ない。
罰則である以上はある意味当然とも言えるが、異性、同姓を問わず性行為を行う事も禁止事項に当たる。
これには強姦は当然として、純粋な恋愛の行く着く結果としての性行為も範囲に含まれる。
そして通常奴隷との最も大きな違いは、奴隷の身分から解放される事がないと言う点だ。
奴隷刑と言う罰則自体が凶悪犯罪を起こした重犯罪者に適用されるものであり、死刑の様に一瞬で済ます事無く、生涯に渡って過酷な労働に従事させる事を目的としている事に起因する。
環境の過酷さこそ違うが、地球で言う所の終身刑だと考えて良いだろう。
次に後者、通常奴隷だがこちらは先に言及した通り、税金を支払えない等の理由から奴隷の身分に身を窶した者の事で、こちらに課せられる制限はそう厳しいものではない。
税金を納めていない以上、それによって保障される権利――商業権を始めとする各種権利の取得や作り上げた技術への権利保障(所謂特許権だ)――と言ったものを得る事が出来ない事等が最大の制限として、それを除けば賃金が通常の労働者に比べて低い、奴隷の身分でいる間は結婚が許されない、等だ。
そして主との間に起こり得る性行為を受け入れない場合は、更に服装に関する制限を始めとして、幾つかの条項が追加される。
服装に関しては地球で言う所の女性イスラム教徒を彷彿とさせる目元と手を除く全身を隠す服装が義務付けられ、職種自体も制限――販売業の様に多くの人と接する職に就けなくなる――が課せられる事になる。
これは所謂恋愛制限に関わる事でもあるのだが、自身を購入した主に対して行為を拒んでいる以上、例え恋愛によるものであるとしても他人に体を開く事があってはならないと言う理由なのだそうだ。
まぁ、色々と述べてきたが、制限こそあるものの基本的な権利の大半は保障されているのは間違いない。
解りやすい例としては、主に『他の男に抱かれて来い』等と言った命令を下されたとしても拒否が許される上、強要された場合は役所に訴え出る事も可能だ。
それでも隠れて行う者が出そうなものだが、その辺りは確りと管理されている。
それを可能にしているのが『隷属の円環』だ。
奴隷契約に際して主の魔力を編んで作られる一種の魔導具であり、奴隷はそれを首に着ける事が義務付けられている。
これは奴隷と言う身分を示す為の物であると同時に、禁則事項への抵触を防ぐ強制力を宿すだけではなく、主に対する一種の防衛装置の様な役割も持っている。
先に上げた性行為を例題として上げるなら、主以外への奉仕を強制された場合はそれが円環に記録され、役所に保管されている奴隷契約証書の条項の一部が自動消滅すると言う形で連絡される。
クォージュの様なある程度の規模を持つ街であれば、奴隷もそれなりの数で存在しているが、奴隷契約に関する書類が納められている部屋はそれ自体が一種の魔導具として完成されており、署員たちが日々目を通して確認する手間をかけずとも、条項消滅が起きた場合は扉の色が赤く変わり、変質した書類自体が赤い光を発する。
故に、扉の異変にさえ注意しておけば、異変の際に室内に入りさえすれば法に抵触した違法所持者を発見できると言う訳だ。
そしてその際、違法所持者と見なされた主は一切の財産と権利を剥奪され、犯罪奴隷に墜ちる事になる。
これは権利を制限され金銭で買われた身である奴隷と言う弱者を、強者の立場を利用して行った犯罪と言う観点から、通常の姦淫罪よりも重く見られる故であり、現実問題として、主としての権限を持ってすれば奴隷を脅す事は酷く容易い。
主を持たない奴隷は逃亡奴隷と見なされ、処罰の対象になる。
更に言えば、税金を支払わないと言う事自体が元々罪である以上、通常奴隷と言う立場は一種の温情措置であるからだ。
つまり、『経済的に支払えなかったのは仕方ない。猶予期間をやるから働いて返せ』と言う事だ。
特定の主を持つと言う事は職場――引いては収入の証明でもあり、それがあるからこそ奴隷は一定の権利を約束されているのだ。
逃亡奴隷にはその証明がない。
つまり、未納分の税金を将来的に修められると言う保証がない。
また、主からの逃亡と言うそれ自体も罪であるのだから、真っ当な職に就く事は望めずやがては身を持ち崩すか野たれ死ぬかのどちらかだ。
奴隷にとっては主からの『追放』はそのまま終わりを意味しており、それ故にそれを楯に取れば大抵の命令は強要できる。
大げさとも取れる魔術設備を用いた、『隷属の円環』と『契約証書』、『証書保管室』が存在しているのは、それらの主の横暴の被害から善良な奴隷を保護する為の機構である故だ。
と、まぁ色々と述べてきたが、この世界での奴隷制度はそうなっている。
翻って、今回の件。
金の代わりに奴隷を譲渡する、と言うのはそう珍しい事ではない。
金銭で購入した奴隷を再び売り払う、と言う行為自体は法で禁止されていると言う話ではないし、中にはその奴隷の容姿等が気に入り、最初から報酬として奴隷の身柄を要求すると言うのも少なくはない。
これは先に述べた奴隷契約の条項――主以外への性行為の禁止――が関わっており、金銭的に裕福だろうが、地位が高かろうが、そこは男と女。
気に入った容姿の異性を抱きたいと言う欲求は変わらない。
それを合法的に可能にするのが奴隷の譲渡である。
奴隷と言うのは身受け額+税金を支払い、身分を買い戻すまでは厳密な意味では『人』ではなく、所有者の『財産』として扱われるからこそ可能な事だが、このユライデの様な寒村地域では、金銭の代わりとして娘を差し出す、と言うのは決して珍しい事ではないのだ。
とは言え、通常の――税金の未納等の――理由からなる奴隷と違い、本人の承諾が必要になる。
それさえクリアしてしまえば、ある意味、ユライデの様に貧しい地域では貴重な交換材料になるのは確かだ。
支払い分とされる娘の一生を棒に振る事に目を瞑れば、ではあるが。
それを念頭に置いて件の娘――レラを見て見れば、その眼には緊張以外にもしっかりと決意が見て取れる。
――成程、気丈な娘だ・・。
内心で呟きつつ、小さく嘆息。
今回の様に取引に際して差し出された奴隷は、通常奴隷とはやはり区分が変わる。
飽くまで、『取引上の対価として、一生を差し出した』として認識される為、余程の事がない限り奴隷身分からの解放がなされないのだ。
それが『譲渡奴隷』と呼ばれる所以だ。
まぁ、だからこそ余程の事がない限り、この様な取引は行われないのも事実ではある。
人伝に聞いた話ではあるが、あっても年に二、三件・・多くても十件あるかと言った所だろうと言う。
――・・・まぁ、何にせよ断る・・とは行かないか。
と言うのも、良くも悪くも寒村地域と言うのは義理がたい。
適当な品で茶を濁そうにも、その後で彼女を売る事で得られた代金がクォージュの自宅に届けられる、と言う展開は想像に容易いのだ。
ならば、見も知らぬ誰かに買われるよりは俺の手元で・・と言うのは少々傲慢が過ぎるかも知れないが、彼女のその後を想像して後味の悪さを味わうよりは、ここで受け入れてしまった方が心情的に楽なのは確かでもある。
故に――
「・・・承知した。トワン老、彼女の身柄は俺、エンシェント・クライスが貰いうけよう」
俺の返答等、これ以外にはなかった。